黒尾長編 Let me sleep in your voice fin

泣く



慣れない全力疾走に体がついていけなくなって、蹲った場所。そのすぐ前に公園があって、そこのベンチに座ることで少し落ち着きを取り戻した私は、既に後悔でいっぱいだった。
こんなはずじゃなかったのに。何にも知らないフリをしていれば、今頃笑って鉄朗さんとご飯を食べていたはずなのに。

曝け出したくなかった感情も、言いたくなかった言葉も、相手にぶつけてしまった今後悔してももう後の祭り。
鉄朗さんは、どう思っただろう。急に泣かれて、伸ばした手も拒否されて、嫌な思いをしただろう。本当に今度こそ嫌われてしまったかもしれない。

「う、ふっ…く…」

涙はまたみっともなく垂れ流される。どうして、ネガティブな日はとことんネガティブだ。こんなに泣くことないのにって自分でも思うけど、体と脳は別なんだから仕方ない。私だって本当は泣きたくないのに。

「…ねぇ、」

突然降ってきた声に、驚いた。顔を上げると更にビックリしてピタッと涙は止まり、その人を見つめてしまう。綺麗な猫目は視線に耐えきれなかったのかすぐに逸らされ、ちらちらと窺うようにしてこちらを見るその人はさっきマンションから出てきた鉄朗さんの浮気疑惑のお相手。

何故そんな人に、話しかけられているのか。さっき一瞬顔を合わせただけの、私がただ一方的に知るその人を前にして、私は言葉が出てこなかった。この人にだって言いたいこと、聞きたいことは沢山ある。でもそれでさっき失敗したばかりなのに、口を開けばまだ感情的になってしまいそうで…出来なかった。いや、本当は事実を知るのがこわいだけかもしれない。
それに、単純に見つけてくれたのが鉄朗さんではないことにガッカリしてしまった。

そんな私を見て、この人は何を思っているのか。暫く無言の時間が過ぎて、その人は考えるようにしてゆっくりと言葉を紡いだ。

「…クロが、探してる」
「え…」
「…彼女に嫌われたかもって、走り回ってるよ」
「…どうして、」
「あとはクロと話して」

そう言ったその人は、見計ったかのように公園の入り口へと視線をやった。釣られて私もそちらを見ると肩で息をした鉄朗さんが立っていて、目が合うや否やこちらに向かって全力ダッシュ。私の前まで来ると、座ってる私をぐいっと抱き寄せてその腕に閉じ込めた。

「名前ちゃんっ」
「鉄朗さん…」
「浮気って、こいつ?」
「………」
「こいつ男だからね?」
「えっ」

言われたことが、わからなかった。
鉄朗さん越しに見えたその人は、私でもわかるくらい嫌そうな顔をしている。…もしかしたら私はとんでもない勘違いをしていた?

「幼馴染みの研磨。話したことなかった?」
「…ある…」
「そいつです」
「………えぇ!?」

うわあぁ。恥ずかしい。どんどんと顔に熱が集まって、耳まで真っ赤になっていることが自分でもわかる。確かによく見れば研磨さんと言われた人は、髪も長めだし顔も綺麗、全体的にラインも細くて繊細だけど、それは男の人にしては、と言う感じだ。高いと思っていた身長も、男の人なら平均の範囲だろう。

「名前ちゃん?」

鉄朗さんの肩に顔を埋めて、私は考えた。なんて言えば、なんて謝ればいいんだろう。
勝手に傷付いて、鉄朗さんに酷いことを言って、拒否して、傷付けて。蓋を開けてみればこんな間抜けな勘違いだなんて。

すると、背中に回された腕がぎゅって強くなって、思わず「うっ」って変な声が出てしまう。ゆるゆると顔を上げると鉄朗さんは呆れた顔で、でも笑ってて、それでも私は申し訳なさでいっぱいだった。

「…誰が浮気したって?」
「……ごめんなさい」
「あーあー、こんなに泣いちゃって」

鉄朗さんの親指が私の目元をぐいっと拭って、そのままポンと頭の上に掌が乗った。

「…まじで焦った、身に覚えないし」
「…ご、ごめんなさい…」
「誤解は解けました?」
「うん……け、研磨くんもごめんなさい…」
「…別に」
「にしても…ぶふっ…研磨が浮気相手って…」
「ちょっと、やめてよ…俺だってクロなんか嫌なんだけど」
「ひでーなぁ、俺とお前の仲じゃん」
「…帰る」

明らかに不機嫌な声でそう言い残して本当に行ってしまう研磨くんに一瞬焦るけど、鉄朗さんは何でもない風に「またな」って手を振って見送るからきっとこれが常なんだろう。
研磨くんの姿が見えなくなって、公園に二人きり。もうとっくにあたりは暗くなっている街灯の下で、改めて私は頭を下げた。

「ほんとに、ごめんなさい…勘違いして、手も…引っ掻いちゃったし…」
「それはいーけど。名前ちゃんは、もうちょっと俺を信じてくれてもいいんじゃない?」
「…うん」
「大方この前研磨が来てたの見かけたとかなんだろうけどさ。気になることはすぐ確認してよ。一人で心配にならないで」
「…ごめ」
「もう謝らなくていーから、」

さっきみたいにまた腕を引っ張られて鉄朗さんの胸に飛び込む。鉄朗さんには何でもお見通しみたいで、それがまた私の不甲斐なさを痛感させられる。そしてそれすらも分かっているかのように、鉄朗さんの大きな手が私の頭を撫でると何故だか分からないけどぽろっと涙が溢れた。

「一人で辛かったっしょ?…俺、そんな思いさせたくないんですけど」
「ん、」
「名前ちゃんが思ってるより、ずっと名前ちゃんのこと好きよ?俺。もうちょい自信持って」
「鉄朗、さん」
「名前ちゃんは?」
「好き…」
「仲直りでいい?」
「うん…ごめっ…なさ、」
「はいはい泣かないのー」

全然浮気されたわけじゃなかったし、鉄朗さんの気持ちが離れたわけじゃなかったし、そもそもしょうもなすぎる勘違いだったし。だから多分これは悲しいんじゃなくて、安心したんだと思う。こんな私でも優しく許してくれて、笑ってくれることに。

こうして私たちの初めての喧嘩は私の一方的な勘違いで、幕を閉じた。

「今日は俺んちにお泊まりね」
「えっ」
「どんだけ俺が名前ちゃんにお熱か分からせてやる」
「えっ」


Weep


20.8.26.
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