黒尾長編 Let me sleep in your voice fin

叶える



青い空、白い雲。夏も後半に差し掛かったというのにまだまだジリジリと全てを焦がしてしまいそうなくらいの熱を放出し続ける太陽は、ちょうど真上に上がった頃。マンションの下で、私は吹き出る汗をタオルで押さえながらその人を待っていた。

ププッと短いクラクション音が聞こえてそちらを見やれば、黒い車が私のちょうど目の前で停車する。運転席から出てきたのは、いつもより全体的にお出かけモードな鉄朗さん。ラフなのに、かっこいい。改めて彼を目の前にして見上げると、そんな感想しか出てこなかった。

「おはよ、名前ちゃん」
「もうお昼だよ」
「いーのいーの、とりあえず乗りな」

言いながら鉄朗さんは助手席の扉を開けて私をエスコートしてくれる。そんな扱いに慣れてない私はドギマギしながらその黒い車の助手席へ大人しく乗り込んだ。

「車持ってたの?」
「や、免許は持ってっけど普段乗らねーから、カーシェアみたいなの登録してんの」
「へぇー…」
「なにそんな顔して。車運転する鉄朗さんかっこいいー!って?」
「えっ」
「図星かよ」

ほんとは、その前から普段あまり見れない部屋着以外の鉄朗さんにドキドキしていたんだけど。でも確かに運転する鉄朗さんだってかっこいいに決まってる。軽く笑いながらナビを操作する鉄朗さんは、慣れた手つきで設定を終えると横目で私を見ながら「シートベルトしなよ」と言った。

「あ、はい!」
「よし、しゅっぱーつ」
「わーい」

軽やかに進みだす車の中は既に冷房が効いていて、さっきまでの不快感は嘘のようだ。最近流行りの音楽がシャッフルで流されているようで、たまに鉄朗さんが鼻歌を歌っては間違えて私が笑う、なんて他愛もない楽しい時間が過ぎていく。
だけども私は今日の目的地を知らなくて、そもそも今なぜこうして二人でドライブしているのかと言うと、昨日の夜の「明日デートしませんか」という鉄朗さんのお誘いが始まりだった。

付き合ってからまだちゃんとしたデートというものをしたことがなくて、会うとなれば専らどちらかの部屋。そこで今日、二人でどこか出かけようということになったんだけど予定に関しては完全に鉄朗さんプレゼンツ。私はただ指定された時間に指定された場所で待っていただけだ。

「鉄朗さん、今日はどこ行くの?」
「んー」
「んー?」
「名前ちゃんが喜ぶ場所」
「?」

行き先を聞いても、教えてもらえないまま。小一時間走った後、着いたのは海辺の小さなログハウスみたいなところだった。

「ここは…?」
「お腹空いてない?」
「すいてる!」
「じゃあ先に腹ごしらえしよーぜ」

私の手を握って中に入っていく鉄朗さん。中はおしゃれなカフェスペースが広がっていて、一つ一つが半個室になっている客席は賑わっているのにとても落ち着けそうだ。案内された席でメニューを開くと、どれも美味しそうで目移りする。どうやらここはパンケーキ屋さんらしかった。

「決まった?」
「んー…この期間限定のトロピカルフルーツのやつか、ご飯系のこっちにしようか迷ってて…」
「また両極端な」
「だからこそどっちも捨てがたい…」
「じゃ俺こっち選ぶから、名前ちゃんこっちにすれば?」
「えっいいの?」
「うん、俺は何でも。シェアすればいいじゃん」
「鉄朗さん優しい〜…あ!」
「今度は何?」
「これ、この前の動画でも同じようなシーンあったよね!彼女の迷ってるアイスどっちも選ぶの!」
「ぶっ…そうそう、あったな」

いつもみたいに"相変わらずだな"って顔して鉄朗さんが笑う。それがまたちょっと嬉しそうで、クロさんとして喜んでるんだろうなぁってのが分かるから私も嬉しくなってしまうんだ。

そんな遣り取りをしてお互いのパンケーキを半分ずつ食べた私達は、お店を出てまた10分ほど車で走った先にある小さな浜辺にやって来た。

「すごーい!こんなとこあるんだ…」
「海水浴場じゃないちょっと隠れた位置にあって、割と綺麗で、影もあるし秘密の浜辺!って感じっしょ」
「めっちゃテンションあがってる!あ、もしかして私がこの前海行きたいって言ったから?」
「それもある」

それ"も"?鉄朗さんは私の疑問には気付かないフリをして浜辺に座った。私もその隣に座る。近くに大きな岩があって、影になっていたからかそんなに熱くはなかった。

海へと目を向けると太陽の光を受けて波がキラキラ輝いている。それを見たら水に触りたくなって、私はそこから駆け出した。

「鉄朗さーん!」
「ちょ、急に…うわっ」
「へっへーん、引っ掛かった!
「振り向き様にはひどくね?てかかけすぎ」

ああ、今の私達、カップルっぽい。私がかけた水はモロに鉄朗さんが被り、着ていたTシャツは早くもびしょ濡れになっているけどそんなことも気にせず楽しそうに笑っている。そこから私達は子供のように散々水遊びを楽しんでいて、気付けばもう夕方と言える時間になっていた。

「はー…水遊びだけで本気になりすぎだろ」
「久しぶりの海だから楽しかったぁ」
「そりゃーよかった」
「喉渇いたね」
「車の後ろに、冷凍したやつ積んでるから取ってくるわ。もう溶けてるだろ」
「鉄朗さん準備よすぎだね」
「ちょっと待っててな」

近くに停めた車へ飲み物を取りにいく鉄朗さんの言い付け通り、私はまた砂浜に座り込んで待った。楽しかったなぁ。たまにはこんなデートも素敵だ。
砂をいじっていた私の手は無意識に相合い傘を描いていて、左に私、右に鉄朗さんの名前を入れて思わず口角が上がる。何だか学生のときにこっそりノートの端に好きな人の名前を書いた時みたいなドキドキ感。

「なーに可愛いことしてんの」
「わっ!」

急に降って来た声に、大袈裟に肩が跳ね上がった。ちょっと意識がトリップしてたから、鉄朗さんが戻って来ていたことに気付かなかった。は、恥ずかしい…!

ニヤニヤする鉄朗さんを軽く睨んだけど、きっと照れ隠しだって気付いているんだろう。彼は何事もなかったかのように私に飲み物を差し出した。そこで、ふと気づく。鉄朗さん、何か、大荷物になってる…?

「なにこれ…?」
「なんでしょう?」
「…バーベキュー…?」
「ピンポーン!大正解!」

得意げな顔をした鉄朗さんは、私の顔を覗き込んで反応を伺ってる。私はといえばまだ状況に理解が追いついていなくて、きっと間抜け面だ。

「バーベキュー?用意してきたの?」
「うん。名前ちゃんとやろうと思って」
「すごい…」
「ちなみに花火もありマス」
「すごい…」

まるで馬鹿の一つ覚えみたいにすごいすごいと言えば、鉄朗さんはそれだけで嬉しそうだった。
準備だって手際良くこなしてしまう鉄朗さんに私は感動しっぱなしで、まるで自分の誕生日か何かのように特別な日だと錯覚する。本当に今日何かあったっけ?その答えは分からないまま、ただただ楽しい時間が過ぎて行った。

すっかり辺りは暗くなって、手に持つ花火はどれも綺麗に輝いていた。程よい疲労感と、未だ収まらない高揚感。私は隣に立つ鉄朗さんの空いている方の手をギュッと握った。

「お?どーした?」
「今日は、ありがとう。すーっごい楽しかった」
「喜んでくれて何よりです」
「でもどうして急にバーベキューと花火?」
「んー…今日、一ヶ月記念だし?」
「えっ」
「あ、忘れてた?」
「いや、そうじゃなくて…鉄朗さんって、そういうの気にしない人だと思ってたから…」

だから敢えて私も期待してなかったし、今日のこれがそういう意図だと、考えにも及ばなかった。それは何となく鉄朗さんにも伝わっていたのか、特に気にした風ではない。

「SNSでのHNさんが、初めて俺にファンレター送ってくれてそこに書いた感想の動画って覚えてる?」
「え?…それって…」
「彼氏と夏に海でバーベキューと花火するやつ」
「車で迎えにくるとこから…全部そのまんまの流れだ…」
「"いつか彼氏とこんなデートがしたいですー!"って。SNSでのHNさん言ってたから」
「えぇ…すご…鉄朗さんすごすぎる…」
「感動した?泣く?」
「ちょ、見ないで」

不覚にも、ウルっとしてしまった。覚えてる。初めてクロさんを知った動画で、あまりにも良くて、勢いだけで送ったファンレター。それさえも鉄朗さんは覚えていて、"いつか動画のシチュエーションを再現したデートをしてみたい"、当時書いた私の言葉をこうやって叶えてくれるなんて。

この人はどこまでできた人間なんだろう。どこまで私を喜ばしてくれたら気が済むんだろう。どうやってこの気持ちをお返ししたらいいんだろう。なんて思っていても、鉄朗さんはただ嬉しそうに笑ってるだけで。

「サプライズ成功〜」
「うう…鉄朗さん、好き…」
「俺も、名前ちゃん大好きデスヨ」
「うわーん…かっこよすぎだ…」
「これからもよろしくね?」
「勿論です…」

感動の涙でちょっぴり塩っぱいキスも、生温い空気と花火の後の焦げた匂いも、波の音も。全部また素敵な思い出となって、私はずっと忘れないんだろう。


To make come true


20.8.16.
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