黒尾長編 Let me sleep in your voice fin

望む



「あ、せんぱーい!お昼一緒にどうですかぁ?」
「あ、うん、いいよー」
「やった!お財布とってきます!」

可愛がっている後輩と久しぶりにランチへ出た時。メニューを覗き込んで店長おすすめのオムライスランチにしようか、人気ナンバーワンのナポリタンランチにしようか迷っている私に、自分はもう決めたらしい後輩があの話を切り出した。

「クロ、どうなったんですかねぇ?」
「えっ」
「ほら。あの配信から、音沙汰なしじゃないですかぁ」
「あ、ああ…うん、そうだよね」
「好きな人と、上手くいってたらいいなぁ」
「応援してるの?」
「え、まぁ、はい。あれ見て、やっぱり中途半端なことはしないとこ、好感度高いなって思いましたし」
「…そっか」
「先輩は許さない派ですか?」
「え!?そ、そんなことないよ!応援してる、うん」
「ふーん?」

店員さんと目が合い、注文を取りに来てくれたそのお姉さんにオムライスランチと、後輩のハンバーグランチを注文する。お姉さんがキッチンへいったのを確認し、また後輩は口を開いた。

「でもクロ、上手くいったら活動辞めそうじゃありません?」
「えっ。ど、どうして」
「だって彼女がいるって分かってたらどうしてもアンチとか…クロそういうの避けそうだし」
「す、すごい分析力…」
「こう見えて初期からファンやってるんで。でも先輩もですよね?」
「え、ど、どうして」
「勘です!」

にっこり笑う後輩に、私は曖昧な笑みを返すしかできなかった。


* * *


鉄朗さんと付き合い始めて、ようやくタメ口にも慣れてきた頃。お付き合いは極めて順調。隣同士に住んでいることもあり仕事の日でも早めに終わったら会えるし、今まで話さなかったことや聞かなかったこと、知らなかった鉄朗さんを知れて毎日充実してる。

そして、それなのに、私の中で引っかかっていること。それは後輩が言っていたように、クロさんが活動を辞めるのかそうじゃないのか問題。

後輩の分析通り、鉄朗さんは彼女ができたらクロを辞めると言っていたのだ。だからこの間、私はじゃあ彼女じゃないのかなんて思って悩んだりもしたのだから。結局正式にお付き合いが始まった代わりに、その件は有耶無耶になってしまって…そして今に至る。

「名前ちゃん今日はボーッとしてんね。疲れた?」
「へ!?あ、いや、そんなことは…」
「そうには見えないけど」
「ちょっと考え事しちゃって」
「ほー?俺といるのに考え事?」
「わ、あ、そこ、擽ったい…!あ、あははっ、やめ、あはははっ」

悪い顔して私の脇腹に手をやる鉄朗さんに、されるがままの私。漸く解放避れたときには髪も服もぐちゃぐちゃで、酷い有様だった。それなのに、自然と後ろから抱きこまれる形になっていたことに跳ね上がる心臓は正直だ。タメ口に慣れても、これには慣れない。鉄朗さんは後ろから私の肩に顎を乗せてくるから、耳を掠める鉄朗さんの髪が擽ったい。

「なーに」
「な、何が…」
「何か俺に聞きたそうな顔してる」
「そんなこと…」
「ない?」
「…ことも、ない…」
「ぶふっ…名前ちゃんは正直だねぇ」
「鉄朗さん、それ、わざとでしょ…」

耳元で、わざと低めの声を作って聞いてくる鉄朗さんは、見えないけどきっとニヤニヤ笑ってるの、さすがにそれは分かるよ。「いやー俺の声に弱い名前ちゃんが可愛くって」って、だからそこでそんな声で言わないでくれません?なんて言っても鉄朗さんは聞いてくれない。この人は、自分が面白いと思うことに正直だ。

「言いたくないならいいけど。気になんなら聞いちゃえば?」
「…動画」
「動画?」
「クロさん、辞めちゃうんですか」
「あー…」
「前に、彼女できたら辞めるって言ってました」
「言ったかもなぁ」

聞いてみたけど、私の心臓は痛いくらい速く鳴っていた。クロさんを辞めるって言われたらどうしよう。私がいるから、と言われれば嬉しいけど、でも私は同じくらいクロさんも好きだからもう観られなくなるのも寂しい。
こうだったらいい、というものもなくて私は我儘だ。

「俺はね?名前ちゃんが傷付くの嫌なんですよ」
「うん…」
「この前みたいなの避けるためにはさ、公表するじゃん?好きな人います宣言しちゃったわけだし。彼女になりましたーって」
「うん…」
「でもやっぱネットっていろんな声があるしこの前みたいに応援してくれるって人もいれば、推しに女がいるのは気に入らないって人もいると思うワケ。そういう人の心ない言葉とかさ」
「うん…」
「だから、元から彼女が出来たら辞めよっかなーって思ってたわけなんですけど。でも」
「…でも?」
「名前ちゃんがクロの大ファンだから辞めて欲しくないよーって顔してっから、迷ってるわけですよ俺は」
「えっ」

私は思わず首を後ろに捻った。私の肩に頭ごと乗せていた鉄朗さんは反射的に離れて、私を見下ろしている。近い距離にあるその顔が、いつもより真剣な顔で思わず見入ってしまった。

「名前ちゃんは、どうして欲しい?」
「そ、れは…」

そんなの決められないよ。私の言葉にクロさんの引退が掛かっているなんて。

「…鉄朗、さんは…活動、楽しい?」
「んー?まぁ、楽しいよ。始めたのは小遣い稼ぎくらいのノリだったけど」
「えっ、そうなの?」
「おう。でもなんか動画作りとか詳しい奴に色々聞いたりして、俺ができることとか考えたりして…普通に最初は恥ずかったけど、全然知らない世界だったし慣れたら楽しいって思えるようになった」
「そっかぁ…」
「それに自分で言うのもあれだけど、俺こういうの結構向いてると思いません?」
「うっ」
「ふっ、言わずもがなって感じ?」
「ま、まぁファンですから…」

なんだか改めて言うのは恥ずかしくて、小さくなる言葉尻に鉄朗さんはニヤッと笑った。でも、それを聞いちゃったら私の答えは決まってる。鉄朗さんが楽しんでいることを、私を理由に辞めて欲しくはなかった。
それはファンとしてだけじゃない、彼女としてもだ。

「…出来れば、辞めないでほしいです」
「…いーの?」
「はい。だってもしアンチの人が何か言ってきたって、その気持ちもわかるし」
「名前ちゃんのこと、顔も何も知らないけど、悪く言われるかもよ?」
「ネットで何言われたって別に気にしない。それより、私のせいで活動辞めちゃう方が嫌だよ」
「…名前ちゃんには敵わねえなぁ」

眉を下げて笑う鉄朗さんは、嬉しそうで。その表情を見て、また私も嬉しくなる。
こうして鉄朗さん、もといクロさんは活動を続ける方になった。ただし、「名前ちゃんに害があるならやっぱり辞めるかもしんねーから」だそうだ。
久しぶりの配信では、この間好きだった人と付き合うことになったこと、それでも良ければ応援してほしいこと、正直に話したクロさんは取り敢えずファンの人たちにも受け入れてもらえて、このことは本当に一件落着した。

「ねぇ鉄朗さん」
「ん?」
「次の新作動画はいつ出る?」
「……撮り溜めてんのがあるから、すぐ出せるけど」
「うそ、楽しみ!!」
「……一緒にいるときは俺だけ見ててね?」



Hope to


20.8.14.
- ナノ -