黒尾長編 Let me sleep in your voice fin

惚れる



「名前さんってSNSでのHNさんだったんですね」
「えっ」

定時終わり、金曜日。ああ今週も頑張った、なんて開放感を引き連れてやって来たのは何の変哲もない居酒屋。
今日はここで鉄朗さんと待ち合わせしていて、付き合って一週間、仕事もあったしこれといってどこかに行ったりだとかまだしてない私達の初めてのデートだと言うべきか。って言ってもご飯食べるだけだけど…それでも浮かれながら、事前に指定されていたお店、案内された席には、鉄朗さん、それと赤葦くんが座っていた。

赤葦くんとは実はあのストーカー事件ぶりで、お礼を言わなきゃとは思っていたところ。ガッカリなんかしてない、決して鉄朗さんとデートだとか浮かれてたわけじゃない……言い聞かせてる私に、赤葦くんの第一声は「…すいません」だった。察せられた。

だからって別に嫌なわけじゃない。今日は元からこういう会だったんだと思い直し、楽しむことにした私へ更に赤葦くんがぶつけた言葉が冒頭のセリフだった。

「…え?」
「おい赤葦、いきなりそれかよ…あ、すんませーん。生一つ追加で。…名前ちゃんビールでいいよね?」
「あ、はい、ありがとうございます」

私、鉄朗さん、そのちょうど間くらいに机を挟んで赤葦くん。私はさっき赤葦くんに言われた言葉が引っかかって、続きを促すように視線を向けた。

「すいません、今ちょうどその話してたんで…お久しぶりです」
「あ、うん…?お久しぶりです…」
「あれから大丈夫ですか?」
「あ、はい、あの時は本当にありがとうございました」
「いえ、無事でよかったです」
「ちょっと赤葦、名前ちゃんのビール来たし先に乾杯しましょーや」
「そうですね」
「あ、あ、ありがとうございます」
「おつかれーい」
「お疲れ様です」

カチン、とジョッキをぶつけて空きっ腹にビールを流し込む。んんん、美味しい!週末だーって感じ!
店員さんを呼んで適当に料理を頼んでくれる鉄朗さんに感謝しつつ、私は先程の赤葦くんの言葉が気になっていた。「名前さんってSNSでのHNさんだったんですね」って。言ったよね?え、どうして赤葦くんがそのことを…?
疑問が顔に出ていたのか、赤葦くんが話し出す。

「黒尾さんって、名前さんと出会う前から、SNSでのHNさんのこと好きだったんですよ」
「ちょっ、赤葦!」
「さっきまで嬉しそうに話してくれたじゃないですか」
「え、ちょっと待って、どういうことですか?」
「待って待って待って、言わないで」
「俺もう聞き飽きたんで、名前さんに聞いてもらったらどうかと思って」
「赤葦なんか怒ってる?」
「そりゃあ俺だって付き合いたてのお二人の邪魔になるなんて知ってたら、呼び出しには応じませんでした」
「名前ちゃんいるって言ってなかったっけ?」
「付き合い始めたってことを先に言ってくれなかったですよね」
「ごめんって」

目の前で行われる遣り取りを、やきもきしながら見守る私。話の続きは気になるし、でも赤葦くんにも同情するし、こんなに慌ててる鉄朗さんは珍しいし。聞いちゃダメな話なのかな、でも気にするな、なんて無理な話。

しばらく見ていたけど、結局赤葦くんに負けたのか鉄朗さんは大人しく黙り込んだ。この二人って、そういう力関係なんだろうか。なんていうか私は、この二人の関係どころか、鉄朗さんのことだってまだ何にも知らない。知らないことが多すぎる。

赤葦くんは心なしか少し楽しそうに笑って、改めて話し始めた。

「黒尾さん、前からよくファンレターくれる人ですごい良い人がいるって言ってたんですよ」
「ファンレター…」
「そうです。で、それがSNSでもコメントくれるSNSでのHNさんって人と同一人物な気がするってなって」
「えっ」
「それから黒尾さん、SNSでのHNさんの話ばっかりだったんです。…ね?」
「………どうだったかな」
「そしたら最近知り合ったお隣さんがSNSでのHNさんだって発覚して」
「や、え、それって…」
「だから、黒尾さんの顔も知らない想い人が、名前さんだったわけです」
「もうやめて赤葦!黒尾さんのライフはゼロだから!」

さっきよりも大きな声で止めに入る鉄朗さんは、お酒のせいもあるのかほんのり赤い。いや、鉄朗さんは割とアルコールに強いし、これはお酒のせいではないんだろう。でも私はどうしても気になって、そのまま隣の鉄朗さんを見上げた。

「…名前ちゃんもそんな顔で見ないでください」
「だ、だって…」
「あーもぉーまじ…!赤葦の言う通りだよ!こんなかっこ悪いっつーか気持ち悪い一面知られたくなかったわ…」
「私は嬉しいです…!」
「…ソウデスカ」

照れ隠しなのか、やっぱりそっぽ向いてしまう鉄朗さん。視線を前に戻せば、赤葦くんはいつもの無表情に戻っていたけどどこか満足気だった。

それからは、色んな話を聞かせてもらった。赤葦くんや木兎くん、それからこの前あった月島くんはみんな高校の時の部活で知り合ったこと。実は私と鉄朗さんは同い年だったこと。

楽しく過ごす時間というのはあっという間だ。お開きになって居酒屋さんの前で「次はまた名前さんと、みんなで集まりましょう」なんて言って赤葦くんは帰っていった。
そこから二人で私たちのマンションを目指すため、並んで歩き始める。さっきまでの騒がしい場所から急に静かな夜の道で、何だか世界に二人きりみたいな錯覚を覚えた。

「…名前ちゃん」

だからかな。鉄朗さんの声が、いつもより響いている気がしたのは。

「はい?」
「…なんかごめんな、今日の話…マジでひいてない?」
「えっ、どうしてですか?嬉しいですよ!」
「…それならいいけど」
「私、ほんっとうにクロさんのファンなんです。だからそんなクロさんと出会えて、クロさんをしてる鉄朗さんに出会えて…幸せです」
「嬉しいこと言ってくれんねぇ」

お互い前を向いてるから、鉄朗さんがどんな顔をしているか分からない。だけど、声から喜んでくれているのがわかってむず痒い。
何となく触れ合った手が絡めとられて、その熱を共有して。そういうことを何でもない風にしてくれる鉄朗さんなのに、変なところで照れたりして。そして、また好きが増えていく。

「…鉄朗さんが、恥ずかしい思いしたんなら私もこれくらいは言わないとフェアじゃないかなって」
「ふ…そういうのなんか、名前ちゃんらしいわ」
「そうですか…?」
「ね、じゃあついでにもう一個お願いしていい?」
「?」
「敬語。やめよーよ」
「え」
「俺と名前ちゃん、同い年。で、付き合ってる。それなのにいつまで敬語なわけ?」
「そ、それは…」
「ほーら。前は敬語やめてって言ったらやめてくれたじゃん」
「あれはそういう設定の遊びだったから…!」
「え、これそんな渋るとこ?」
「…は、恥ずかしいです…」
「でも敬語やめてくれたら、俺もっと喜んじゃうけど?」
「……鉄朗さんのそういうとこ、ずるいよ」
「…名前ちゃんは可愛いね」

街頭によって映し出された影が、ゆらゆらと私たちの後をついてくる。静かな夏の夜の道、まるで私たち二人きりの世界。

私はきっとこれからも、こうやって毎日好きを更新していくんだろう。 
 

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20.8.9.
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