黒尾長編 Let me sleep in your voice fin

悔やむ



「あっ……」
「お、名前ちゃん」
「こ、こんばんは…」
「こんばんは。今帰り?」
「は、はい」
「お疲れ〜」
「ありがとうございます…」

マンションのエントランスで鉄朗さんとばったり会うのは、これで何回目だろう。あれから何となく私の方から連絡は取れなくて、鉄朗さんからも何もアクションがなくて。久しぶりに偶然遭遇した鉄朗さんは、やっぱり普通で私だけが挙動不審。

「なーんか久しぶりだよねぇ」
「そ、そうですね…仕事、ちょっと忙しかったんで…」
「あ、そうなの?ちゃんとご飯食ってる?」
「はい、もうだいぶ落ち着いてきましたし」
「それならいーけど」

忙しかったなんて、聞かれてもないのに言い訳。

どうして連絡くれなかったんですか。
私のことどう思ってるんですか。

聞きたいのに聞くのが怖くて、でもこうして会ってしまえばモヤモヤより嬉しさの方が勝ってしまう。

「落ち着いたならさ。久しぶりに飲みません?」
「あ、えっと…はい、」
「どっちの部屋にする?」
「じゃあ、鉄朗さんの部屋で…私の部屋今散らかってるんで」
「おっけ。用意できたら来て」

だから、こうして前と何も変わらない態度で誘われても断れずにいる。


* * *


しばらくはテレビでバラエティ番組を観たり、最近の私の話をしたりして過ごしていた。こういうときだって鉄朗さんは自分のことを話さない。私が知っているのは、クロさんだってことと、在宅でお仕事してること、あとは木兎くんたちの存在だけ。初めて会った日にはぐらかされてから、どうせ聞いても答えてくれないだろうと私から聞くこともなかった。

でも、私は鉄朗さんのことももっと知りたい。何を思っているのかだってそうだけど、もっと些細なことでも、例えば好きな食べ物とか、誕生日とか、趣味とか…そういうことだって。

今の私にだったら、教えてくれるだろうか。不安な気持ちと、ちょっと自惚れた思いが入り混じる。

「鉄朗さんは、最近どうですか?」

だから、こんなこと聞いてしまったんだと思う。

「んー…仕事は割と落ち着いてっかなぁ」
「そうなんですね…この前の配信観ましたよ」
「あ、マジで?コメントくれなかったじゃん」
「え、そんなの覚えてるんですか?」
「まぁ…意識しないようにしても、名前ちゃんがSNSでのHNさんだって知ってるんだからちょっとは気にしちゃうデショ」
「あの日は観る専だったんです!」
「ふーん?」

ほんとは、コメントしたかったけど。他に色々気になることがあって出来なかったなんて、言えないよ。

「…新作、また出るんですか?」
「あー、うん、今週中には」
「へぇ…楽しみにしてます!」

半分嘘、半分本当。それでも核心には触れられなかった。だって鉄朗さんは至って普通にしてて、気にしている私の方がおかしい気がして。

空気が変わったのは帰る頃だった。「そろそろお暇します」、って言った私の言葉で二人で飲んだ缶とか、開けてくれたおつまみのゴミを片付ける。袋にゴミを集めていた私の後ろからふと影がかかり、振り返ると真剣な表情の鉄朗さんが私を見下ろしてる。

「…ど、どうしたんですか?」
「名前ちゃん、この前はごめん」
「こ、この前って…」
「ずっと謝るタイミング探してたんだけど、避けられてる気がして…あの、あんなことするつもりじゃなかった、っつーか」
「……それ、は…どういうことですか…?なかったことにしてくれ、ってことですか…?」
「えっ」
「……わかりました」
「名前ちゃん?」
「この前のことは、忘れます。……あの、私、もう帰りますね。これ、途中でごめんなさい」
「ちょ、!」

居た堪れなくなった。声が震えて、気付いたら持っていた袋を鉄朗さんに押し付け私は部屋を出ていた。

やっぱり私なんかが、鉄朗さんの彼女になれるわけなかったんだ。あの夜のことを何度も思い出しては、意地悪だけどベッドの上で甘い言葉を連ねる鉄朗さんを思い出しては、どうしようもなく愛しい気持ちになっていた私はなんて滑稽なんだろう。

こんなことなら、あの日この気持ちに気付きたくなかった。…動画の中のクロさんを応援しているだけで満足してたら良かったのに。そんな風に思ってしまうくらい、いつの間にか私の中で鉄朗さんの存在が大きくなりすぎていたんだ。

「はぁ…」

最悪だ。あんな風に出てきてしまったら、もう今までみたいに会うことすら出来ないかもしれない。
私は何も考えたくなくて、無心でSNSを開いてTLを眺めた。

「え!?」

そこで見つけた投稿。

"人気動画投稿&配信者クロ、彼女匂わせ?炎上"

これってクロさんのことだよね…すごい拡散されてる…!震える手で記事を開けば、この前私も観た配信のスクリーンショットが載っている。更にスクロールすると、そこには衝撃のことが書かれていた。

"後ろに小さく映ってるの髪留めだよね?女の影…"
"彼女いないって言ってたのに〜!"
"彼女はいないけどお持ち帰りはするんじゃね?w"

この髪留め、私が失くしたと思ってたやつだ…この前鉄朗さんの家に忘れて行ってたんだ…!どうしよう、私のせいだ…
血の気が引く。鉄朗さんはこのことを知っているのだろうか。とりあえず連絡…

いや、それも迷惑かもしれない。
さっき飛び出してきてしまったことを思い出して、項垂れた。

「どうしよう…」

私に出来ることはない。為す術もなく、私はただその投稿を何度も読み返すことしか出来なかった。


To regret


20.7.12.
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