黒尾長編 Let me sleep in your voice fin

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「名前ちゃーん…起きろー」
「んん…」
「遅刻しますよオネーサン」
「ん…え…や、きゃああっ」
「ぶっ…くくっ…ひゃっひゃっひゃっひゃ!だいじょーぶ?」
「い、痛いです…」

朝。狭いベッドの上で目覚めた私は、ドアップの鉄朗さんに驚き勢い良く落ちてしまい、爆笑されている。
昨夜のことを感じさせない空気と、嫌でも思い出してしまう私達の格好。それを自覚して、私は慌ててベッドの上にあった布団を抱き寄せた。

「ちょ、名前ちゃん俺も裸なんですけど」
「うぎゃっ!ちょ、や、すいません、」
「ぶひゃひゃひゃひゃ…!"うぎゃっ"て…!」
「わ、笑いすぎです!」
「ぶふ、ごめんごめん…ほら、シャワー浴びてきたら?仕事っしょ?」
「す、すいません、それじゃあお借りします…」

そうして私は逃げるようにお風呂場へ向かった。覚醒しきっていない頭にお湯を被ると、少しだけスッキリする。昨日、私と鉄朗さんはソウイウコトをしてしまった。甘くって、でもやっぱり意地悪で…昨夜の鉄朗さんを思い浮かべて顔に熱が籠る。

でも今日も普通に仕事はあるし、ゆっくりしてはいられない。私はなるべく考えないようにしながら支度をし、その間に鉄朗さんが用意してくれた朝ごはんもしっかり食べて家を出る。

「ほんと、お世話になりました」
「全然いーよ、お仕事頑張ってね」
「は、はい」
「あ、名前ちゃん」
「?」
「忘れ物」
「!」
「…いってらっしゃい」

軽く触れるだけのキスは、所謂"いってらっしゃいのキス"ってやつだろうか。甘い、甘すぎる。

「イッテキマス…」

朝から心臓に悪い。


* * *


「先輩、いいことありました?」
「え?ど、どうして」
「そういうのわかっちゃうんですよ私〜」

無事に置き忘れられた鍵も回収し、午前中の仕事もスムーズに終えた昼休み。よく一緒にランチを食べる仲のいい後輩は、一つ歳下の社交的で仕事もできる、所謂"周りから可愛がられる"女子だ。特に何も話していないのにそう指摘されるほど、私の顔は緩んでいたのだろうか。だとしたらだいぶ恥ずかしい。

「彼氏でも出来ました?」
「えっ!」
「先輩分かりやすい〜!詳しく聞かせてくださいよぉ!」
「ええっ?」

そんな風に言われるのは、確実に鉄朗さんのことが理由だってわかってる。でも、どこからどこまで話していい?クロさん…って言うのは勿論秘密だし、昨日のことは?

「…誰にも言わないでね」
「勿論です!」

結局、訳あってお隣さんと話すようになり、色々あるうちに二人でよく会うようになって、昨日遂に致してしまった…と、かなり濁して、でも話せることは全て話してしまった。

「それじゃ、そのお隣さんと付き合うことになったんですね」
「え」
「え?」
「いや…どうだろ?そういうことは…何一つ…」
「え〜?でも、絶対その人も苗字先輩のこと好きですよ!絶対!言い切れます!」
「そ、そうかな…」
「そうですよ!今日帰ったら、その辺きちんと聞いてみるべきです!」
「今日!?」
「こういうのは、早い方がいいです!」


* * *


仕事終わり。昨日とは違って定時で上がれた今日は、帰りに後輩から「先輩、頑張ってください!」なんて送り出され、私は真っ直ぐ帰宅した。

でも、今日の朝のこともあるしどんな顔をして会えばいいのか分からない。鉄朗さんと一夜を過ごしてしまったことと、好きと自覚したのがほぼ同時だったこともあり頭の中もまだ整理できてないし、そもそも何て聞けばいいの?"私達って付き合ってるんですか?"とか…?いや!それは無理、恥ずかしい!

そういえばクロさんの動画でそういうシチュエーションがあった気がする!?さ、参考に…!なんて、ご本人の考えた動画に助けを求めるなんて藁にも縋る思いなのだ。
私はバッグの中からスマホを取り出し、目当ての動画を観ようとした時だった。

「あ…クロさん配信中だ…」

配信アプリから、今リアルタイムでクロさんがライブ配信をしていることがわかる通知。ってことは、とりあえず今は聞けないし、遅くなるなら今日は無理かもしれない。ホッとしたような残念なような…
私は動画を観ようとしていたことも忘れて、クロさんの配信をつけた。

「そうそう、次の動画のネタもね、もういっぱい案があって困っちゃってマス。早く観てもらいてーけど編集が追いついてなくて…」

あ、じゃあもうすぐ新しい動画あがるのかなぁ?楽しみだなぁ〜。動画の中のクロさんの言ったことに頬が緩む。鉄朗さんのことは置いておいても、やっぱり私はクロさんの推し活動も大事なのだ。

「あれ…」

"「でも俺、彼女出来たらクロ辞める気でいるからね。そこは誠実ですよ」
「えっ」
「ん?」
「辞めちゃうんですか…?」
「彼女できたら、な」"

ふと思い出したのは、つい先日の会話。彼女が出来たら、クロさんとしての活動は辞めると言っていた鉄朗さん。でも今の配信での感じだと、まだまだ沢山動画出すし辞めないってことだよね…

ってことは。クロさんに彼女はいないし今後もしばらくできる予定はないってこと?私、彼女ではない?どくどく、心音が嫌な感じに速く聞こえる。
でも確かに、私鉄朗さんに「好き」とも「付き合おう」とも言われていない。いい歳した大人だしそういう改めて告白みたいなのって別にないのかも、なんて思ってみたりもしたけど一度気になったら考えずにはいられない。もしかしてあれは、一夜限りの遊びだった?でもそれなら情事の後の穏やかで優しい視線は?朝のあの甘いキスは?あれもただの気まぐれ?

……わからない。鉄朗さんの気持ちも、こういう時どうしたらいいのかも…全然わからない。でも、気付いてしまった。

「私だって、何にも伝えてない…」

好きって伝えて、相手の気持ちを知る。簡単で、たったそれだけのこと。
鉄朗さんはクロさんで、クロさんは私の憧れで、ただお話できるだけで十分なくらい幸せだったのに。今は鉄朗さんの気持ちが知りたくて、あわよくば好きって言って欲しくて…こんなにも欲張りになってしまった自分が怖い。


To desire


20.7.9.
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