黒尾長編 Let me sleep in your voice fin

溶け合う



「はぁー…」

あの日から、鉄朗さんとは何となく会っていなかった。距離が近づいたと思ったら、また離れてしまう。でもあの日の鉄朗さんの言葉の真意がわからなくて、様子がおかしかったのも気になって、クロさんの動画ですら観れていない。重症だった。もう何度もあの時のことを思い出し、その度にその羞恥に悶えている。

そしてそんなことばっかり考えていたからかもしれない。

「鉄朗さぁーん」
"…どうした?"
「すいません、あの…鍵失くしました…」
"ぶっ…ひゃっひゃっひゃっ!!名前ちゃんは何でそんな次から次へとやらかすわけ!?"
「笑ってる場合じゃないです…」
"御祓い行った方がよくね?"
「急にそんなガチコメントも困ります…」

というやりとりをしたのは一時間ほど前。すぐに電話に出てくれた鉄朗さんは、久しぶりに話すとは思えないくらい普通に、鍵を失くして困っていた私を家に招き入れてくれた。

「管理会社に電話する?」
「でもよく思い出してみたら、多分鍵、会社なんですよね…」
「あ、置いた記憶あるわけ?」
「はい…」
「でも流石にこの時間じゃ閉まってるか」
「そうなんです…今日に限って残業して帰ってきたんで…もう閉まってますね」
「ドンマイだな」
「軽い」

言ったものの、全部自業自得だ。鉄朗さんと変に気まずい感じはなくて安心したけど、考えるべきは今日の夜をどう過ごすか。実家は遠いし、近くに泊まらせてくれるような友達もいないし、給料日前だからネカフェも避けたいし…あーーー詰んだ…

鉄朗さんに入れてもらった麦茶を飲み干し、テーブルに突っ伏していると上から鉄朗さんの大きな手のひらがわしゃわしゃと頭をかき混ぜた。

「ここ泊まる?」
「え!?」
「だって名前ちゃん、行くとこなくて困ってんでしょ」
「は、はい…え、でも…!いいんですか!?」
「…俺がこの前言ったこと覚えてる?」
「え…っと、…はい」
「それ踏まえて聞くけど、…どうする?」
「…お、お世話になります」

急に、この前の続きみたいなピリッとした空気が流れた。でもあれから考えてみたけど、やっぱり私はクロさんファンなのだ。そして、きっとそれ以上に鉄朗さんのことも気になってしまっている。

とりあえず、と鉄朗さんはTシャツとハーフパンツを出してくれて、着替えてみたけれどTシャツは片方の肩が出そうだしハーフパンツはウエストがゴムにも関わらず押さえてないとずり落ちそうだったから諦めた。絶対平均以上の体格であろう鉄朗さんのものだから仕方ないけど、それにしても、この格好さすがにかがんだらパンツ見えるのでは…?

「…いいねぇ彼シャツ」
「…は、恥ずかしいですね…」
「今日着てたの洗濯して乾燥機かけるから」
「何から何まですいません」
「とりあえず…飯食う?」
「あ、私なんか作ります!」
「マジ?じゃ、冷蔵庫の中テキトーに使って〜」

冷蔵庫の中にはあまり食材がなくて、炒飯と中華スープとサラダという大したことのないメニューになってしまったけど、鉄朗さんに少しでもお礼をしなければと一生懸命作った。
並べられた料理は少し作りすぎたかな、と思ったけど鉄朗さんにかかればあっという間になくなった。美味しい美味しいと言いながら食べてくれた鉄朗さんは、お礼なので私がやりますと申し出た片付けもやってくれて、きっとこの人はいい旦那さんになると思う。
…なんて、現実逃避してる場合じゃない。

鉄朗さんは今シャワーを浴びている。私は図々しくも先に入らせてもらったので、部屋でなんとなく付いているテレビを眺めているけど、その内容は頭に入ってこなかった。

"「さっきの目、他の男にしないでネ」"
"「…あれ嘘。襲っちゃうから、俺でも。てか俺が。それでもいいなら、さっきみたいな顔していーよ」"

「あああああ」

最近何度も何度も頭の中でリピートした言葉をまたこんな時に思い出してしまって、両手で顔を覆って身悶えた。

「なーに唸ってんの?」
「ひっ…鉄朗さん」

そんなことをしてたから、不覚にもお風呂から戻った鉄朗さんにも気付かなかった私は大袈裟に肩を揺らす。

「は、早いですね」
「まぁシャワーだけだし、名前ちゃん待たせてるし」
「す、すいません」
「なんか飲む?いつものビールでいい?」
「あ、ありがとうございます」

隣に座った鉄朗さんの肩が触れる。そこだけが異常に熱く感じて、変に意識せずにはいられない。とにかく何か話さないと、会話が途切れてまた変な空気になってしまったら、と焦るばかりでこんなときに限って話題も思い付かなかった。

「…黙んないでくださいヨ」
「え、あ、はい、うんと…はい」
「ぷっ…何それ。…名前ちゃん、俺のこと避けてたでしょ」
「そ、そんな…鉄朗さん、こそ」
「俺は様子見ですぅ。……ちょっと意識した?」
「っ、……は、い」
「でも、俺んとこ来たってことは…そういうことじゃねーの?」
「……は、」

い。最後まで言わせてくれなかった。あの時みたいに距離を詰められ、鼻がくっついたかと思うとゆっくりと顔を傾けて落とされた口付け。ふに、って柔らかい感触に驚いて口を開けば、すぐにぬるりと舌が侵入する。鉄朗さんが両手でがっしりと頬を包み込んでいて、逃げられない。

「ふ、っ」

鉄朗さんの舌が丁寧に歯列や歯裏をなぞって、くすぐったくて息が漏れた。一瞬離れては、息を吸う暇もなく角度を変えて落とされるキスは確実に快感を引き出させるための動きで、いつの間にか鉄朗さんのシャツを皺が出来るくらいに握りしめている。

「名前ちゃん」

漸く解放されたときには、息は切れて酸素を取り入れる為に必死に呼吸するだけ、思考はどろどろに溶かされていた。でもきっと私、どこかでこういう展開を望んでいたのかもしれない。辛うじていつもの笑みを貼り付ける鉄朗さんも、余裕はなさそうで。

「その格好、まじで無理」
「…鉄朗さんが着せたのに」
「…もう我慢とかできませんけど」
「………はい、」
「…嫌がるなら、いまのうちですけど?」
「…ちゃんと、聞いてくれるんです、ね」
「…嫌がる女の子を無理矢理どうにかするような奴じゃねーから」
「…大丈夫、です、嫌じゃない…」
「…もう知らね」
「ふ、んんんぅ、」

そのまま、二人ベッドに沈んだ夜は長かった。


To melt together


20.6.29.
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