黒尾長編 Let me sleep in your voice fin

自惚れる



「おーい、名前ちゃーん」
「んん…」
「起きなくていーのー?仕事はー?」
「仕事…アラームなるまで…」
「昨日設定してなくね?今7時だよ?」
「7時…!起きます…!」
「うおっ」
「え…え!?クロさん!」
「ドーモ」

朝。優しい声に起こされて、目を覚ますとドアップで飛び込んできたクロさん。驚きで一瞬で覚醒してしまった。

「な、んで…ここにいるんですか!」
「なんでって…昨日名前ちゃん寝ちゃったし、鍵かけないで帰るわけに行かねーじゃん?」
「あっ…すいません…」
「全然。安心して寝ちゃってまぁ男として見られてねーことがよく分かりました」
「すすすすいません…!」

クロさんの言葉に、私は思わずベッドの上で土下座する。そんな私を面白がるように、「悲しいなぁ〜」なんて呟くクロさんはきっとニヤニヤしてる、見なくてもわかる。でも決してクロさんのことをそんな風には見れないとかじゃなくって(そんな風に見るのすらおこがましいとは思うけど)、ただ昨日は色々あって疲れてしまったのだ。泣き疲れて子供のように途中でスイッチが切れたのだろう。勿論多分クロさんはそんなことわかっていて、揶揄っているだけなんだろうけど。

「名前ちゃん、これ俺の連絡先」
「え!?」

家を出る直前。クロさんから渡された紙切れには、メッセージアプリのIDと電話番号が書かれていた。

「なんかあったらすぐ連絡できるように登録しといて」
「い、いいんですか…?」
「嬉しそうじゃん」
「クロさんの連絡先ゲット…!」

私は手元にある紙切れを手帳に挟みながら呟く。やばい…これどんなラッキーイベント?

「で、今日終わったら連絡チョーダイ。駅まで迎え行くので」
「ええ!?」
「はは、すんげー顔」
「だ、だって!そこまでしていただく訳には…」
「昨日の今日でまだこわいっしょ?」
「でも…」
「まぁまぁ、巻き込まれついでに行かせてよ」
「…でもぉ…」
「名前ちゃん心配だし」
「クロさん…神…?」
「もっと言って」

そんなこんなで家を出たところでクロさんとは別れ、私は仕事へ向かった。もう平気、って訳じゃないけどクロさんが居なかったらまだ怖くて普段通りには出来なかっただろう。でもどうしてここまでしてくれるんだろう。こんな、ただのファン、もといお隣さんなだけなのに。

「お隣さんから、ちょっとは進展してるのかな」

呟いて、その独り言にふと首を傾げる。私はお隣さん以上の関係を求めているのか?あんな、SNSや動画を見れるだけで幸せだった人と、現実に出会えただけでも奇跡なのに。それだけでなく、たまに会って話したりするお隣さんとしても図々しいくらい良くしてくれているのに。私はまだ、満足していないのか…?

考えても、答えは出ないまま。いつの間にかその日の仕事を終えていた。


* * *


「クロさん、お待たせしました…!」
「おーお疲れさん」
「ほんと、お迎えまですいません…」
「いーのいーの。晩飯食ってかね?」
「えっ」
「何食いたい?」
「ええっ」

駅で待っていたクロさんは、普段通りの格好だけど立っているだけで絵になる。改めて外で見ると、スタイルはいいし顔もいいし、髪型はちょっと変だけど、こんなに素敵な人が私を待つためにそこにいる、その事実が信じられなかった。
私がそんな風に思っていることなんて知らないクロさんは、自然に私の鞄を持って歩き出している。なにこの出来る男感。動画の中で彼氏を演じるクロさんだって素敵だけど、本物だって負けず劣らずのスパダリだと思う。

連れてこられたのは、おしゃれな隠れ家みたいな居酒屋だった。家の近くにこんなとこあったのか、と素直に驚く。
案内されて席に座ればクロさんは私の方へメニューを広げてくれて、至れり尽くせりなこの感じがこそばゆい。

「名前ちゃん飲める人?」
「あ、はい、普通に」
「じゃあ飲もうぜ〜」

選んだドリンクと、クロさんが適当に頼んでくれた料理はセンスが良くて全部美味しい。なんだか今日は、感心させられっぱなしだ。

「重ね重ねありがとうございます…」
「なんのこと?」
「ふふ…クロさん最高」
「…なぁ、名前ちゃん」
「?」
「そのクロさんって言うの、やめない?」
「え?」

クロさんは持っていたジョッキを置いて、曖昧に笑いながら頬を小さく掻いた。

「その、せっかく仲良くなれたのにいつまでも他人行儀っつーか…名前ちゃんといるときの俺は、クロじゃなくて黒尾鉄朗ですし」
「?」
「いや、元々クロってあだ名でもあるんだけどさ…名前ちゃんはそうじゃなくって、"動画投稿してるクロ"として呼んでるっしょ?」
「えっと、まぁ、はい…でも、じゃあ何て呼べば…」
「それ以外の呼び方だったら何でも」
「ええ…えっと、じゃあ………鉄朗さん…とか?」
「………」
「や、やっぱ今のナシで!!!」
「いや、いいじゃん。それ採用」
「思ってた以上に照れます…」
「顔赤くなってますよー?」

クロさん…改め鉄朗さんが言うことはいまいちよく分からないけど、でも私の思い違いでなければやっぱりお隣さん以上の関係になれているのかもしれない。
今日の朝感じた疑問への答えにはならないけど、でもそれは単純に嬉しかった。この関係にまだ名前はつけられないけれど、でも今の距離感は心地いい。

「ていうか、私が押し掛けた時はあんなに焦ってたのに…」
「そりゃそうだろ、普通に知らない人きたら誰でも焦るわ」
「ま、まぁ…でも必要以上に関わりたくない〜って感じだったじゃないですか」
「どっから身バレするかわかんないからねぇ。不安要素は潰しといた方がいいっしょ?」
「自覚してるけど言い方ひどいです!」
「いや、だからしょーがなくね?」
「そうですけど…」
「ま、いいじゃん。今は名前ちゃんと会えて良かったって思ってますよ、ボク」
「えっ」
「また顔赤くなってんぞ?」

こうやって、人のことを揶揄って遊ぶところがたまにキズだけど。
クロさんと、鉄朗さん。色んな顔が見られることに、私は特別なんだと感じてしまう。
そしてそれは勘違いや願望なんかじゃなくって、ちょっとだけ、ほんの少しだけ、鉄朗さんも私を特別だと思ってくれているのかも、と思ったりしちゃうのです。


Be conceited


20.6.18.
- ナノ -