2023黒尾誕 e la notte fin

程遠い数センチ


「苗字さん?」
「……」

 黒尾くんって、彼女がいるの? この人って黒尾くんの彼女なの? 脳内で何回も繰り返す言葉は音にならない。
 待ち合わせてから何度も何度も聞こうとして口を開いては躊躇って、正直今の状態では素直に黒尾くんとの時間を楽しむどころじゃなかった。

 黒尾くんが私にしてくれる全ての心遣いが嬉しかったのに、幼馴染と話してからはただ女の子に慣れすぎているだけな気がしてしまう。
 あれから何度もインスタで黒尾くんを探しては、勿論男の人との写真もあったけど、女の子と写っている写真があればその距離の近さにやきもきしてしまう。
 あとこれは今日の話。なんか黒尾くんのスマホがやたら鳴っている気がする。

 黒尾くんはあまり私の前でスマホをいじらないけど、でももしかしてインスタのあの子からメッセージが大量送信されているんじゃ? ……なんて想像が止まらないし、たまにスマホを確認しては小さく笑っている黒尾くんの表情にズキズキと胸が痛んだ。

 こんな気持ちになるならなにも知らない方が良かった。そしたら今もただただ黒尾くんにドキドキして、黒尾くんの話に笑って、楽しめていたはずだ。
 現実は、「ちょっとごめん、」って一々断ってからメッセージを返す黒尾くんの姿に顔も知らない彼女を見ているみたいで勝手に切なくなって。

「疲れた?」
「!」

 黒尾くんの言葉にハッとして、いつの間にか俯いていた顔を上げた。
 呼ばれていることすら気付かなかった。何度か私を呼んでくれていたのか、ちょっと心配そうに覗き込んでくれる黒尾くんと目が合う。
 小さく首を振って、「大丈夫だよ」って笑って。だけどそんな私を見て何故か眉を顰めた黒尾くんの、「寒い? 室内行く?」ってちょっと落ちた声のトーンに無理やり上げた口角が落ちる。
 せっかく二人でいるのに黒尾くんの話を全然聞けていなかったから、怒らせちゃったのかもって。

「あ、言っとくけど怒ってないからな」
「……なんでわかったの?」
「苗字さんわかりやすいから〜」
「……黒尾くんはわかりにくいよね」
「そ? 俺苗字さんの前ではかなりわかりやすいと思うんですけど」
「ええ? 全っ然、ちっともわかんないよ!?」
「……そんな全力で言う程?」

 肩を震わせた黒尾くんに何度も勢い良く頷くと、黒尾くんはそれがツボに入ったのか更に大きな声で笑う。
 わかりやすい、なんてとんでもない。黒尾くんがわかりやすいなら、今こんなに悩むはずがないもの。……なんて、言えないけど。

「んー、じゃあさ」
「?」
「俺が今何したいか、わかる?」
「わかるわけない……」
「諦めんの早っ」
「だって、そうだもん!」
「手」
「え?」
「手、繋ぎたいなーって」
「……て?」
「うん」
「……誰と?」
「苗字さんと」
「あ、はい……」
「あ、そこは素直に出してくれんだ」

 にやって笑った黒尾くんが、私が出した右手を優しく包んだ。

「え……?」

 私と黒尾くんの手、全然大きさが違う。ちょっと冷えていた手は触れたところから熱が伝播して、それはみるみる全身を伝ってビリビリと身体が痺れていく。

 衝撃は、遅れてやってきた。

 え? えっ!? 絶対いま私真っ赤になってるよ、だって黒尾くん、手、……手……!?

 繋がれた手と黒尾くんの顔を見比べて、そんな私が可笑しいのか黒尾くんはにやにやと見下ろすだけ。だけど、ずっとそうしている私に痺れを切らしたのか「これでもわかんない?」って、……わかるわけないよ!

「や、ちょっと……」
「ん?」
「く、黒尾くん、彼女……」
「……んん?」
「彼女、い、いないの……」
「…………は?」

 絶対今のタイミングで聞くことじゃなかったと思う。だけど、思わず口から零れ落ちたのは、ずっといつ聞こうかと私を苦しめていた悩みだった。
 黒尾くんは、私の顔を見て固まっている。聞き取れなかった? それともどうしてそれを、……とか思ってる? 

 黒尾くんを信じたい、なんて思いながら信じきれない自分が嫌になる。今手を繋いだのも私の反応を見て遊んでるだけ? って、一ミリも思わないかと言えば嘘になる。

「黒尾くんって、彼女、いないよね……?」

 もう一度、掠れた声で繰り返した言葉は小さく消えてしまいそうだった。

「え……ハァ!? それはなに、いるかいないのかって話? それともいるかいらないかって話? え? どうしてそうなった? なんで今のでそうなる?」
「わっ、ちょ、」
「ちなみに彼女はいないし欲しいけど、まじでどっから……え? 苗字さんには俺が彼女がいるのにこうやって他の女子と手を繋ぐ男に見えると?」
「み、見えない、けどっ」
「でも今の質問ってそういうことだよな? 今日ずっとなんか言いたそうだったのってもしかしてそれ?」
「えっバレて、」
「多分自分が思ってるよりかなりわかりやすいからな、苗字さん。なんか言いたそうだな、言いにくそうだなってのは薄々気付いてたけど……」
「そ、れは……インスタが、……黒尾くんの写真が……」
「え? 何? インスタ?」
「く、っ……うぅ……」
「ちょ、待っ…………はぁ!?」
「っ、」

 思いっきり手を引かれ、飛び込んだのは黒尾くんの腕の中。
 黒尾くんにしては珍しく焦ったように早口で捲し立てるからなんだかよくわからなくなって、不安も想いもごちゃ混ぜになって、それが涙となって溢れ出す。
 黒尾くんって、男の人ってこんなに力強いんだ。今までの優しさからは全然想像できないくらいの力でぎゅっと抱き締められると、なんか余計に泣けてきた。

 私の言葉を聞いた黒尾くんは凄い剣幕で否定してくれたから、ああやっぱり違うかった、黒尾くんはそんな人じゃなかった、って安心もあったのかもしれない。答えを聞く前にわかるくらいのことだったのに、一瞬でも疑ってしまったこと。ごめんなさい。
 絶対意味不明だと思うのに、何度も謝罪の言葉を口にする私が泣き止むまで、黒尾くんはただただ抱き締めて宥めるように背中をポンポンと叩いてくれた。

 どれくらいそうしていただろう。

「……落ち着いた?」
「ん、……ごめんなさい……」
「顔上げられる?」
「無、無理……今絶対ぶさいくだし……」

 きっとメイクはボロボロだし、目も鼻も真っ赤になってかなり酷い状態だと思う。
 それなのに、あろうことかすんと鼻を啜った私を覗き込んできて泣き止んだことを確認した黒尾くんは、困ったように眉を下げて「普通に可愛いけど」と言うのだから……耳元で響いた黒尾くんの声に、私はボンッと爆発でもしてしまったみたいに耳まで真っ赤に染め上げた。

 それから移動して、私は黒尾くんに全てを話した。
 黒尾くんが女の子に慣れ過ぎていて、もしかしてかなり遊んでいる人なんじゃないかと言われたこと。インスタに黒尾くんの写真がいっぱい上がっていて、その中には女の子も沢山いて不安になったこと。特に一人、黒尾くんと凄く距離の近そうな女の子がいたこと。今日ずっと鳴っている黒尾くんのスマホの相手が、もしかしたら彼女かもしれないと思ったこと。

「それ、苗字さんは信じたんだ?」
「し、信じたくはなかったけど……」
「けど?」
「でも黒尾くんが私と仲良くしてくれる理由が何も思い付かなくって、もしかしたら……ってちょっとは思ったり……した」
「ほぉん」
「ごめんなさい……」
「いや……」

 黒尾くんがゆっくりと身体を離すから、またちょっぴり不安が顔を出す。
 だけど黒尾くんはすぐにまた私の手を取って、真っ直ぐに見つめてくれるから。そんなの信じちゃダメでしょ、って咎めているのに、同時に仕方ねえなって優しい目をしているのがわかった。黒尾くんはわかりにくい、はずだったのに。

「まず女の子には慣れてません。断じて。苗字さんにそう見えてたなら、それは俺が苗字さんを大事にしたかったのが伝わってただけ」
「へっ」
「あとインスタ? は知らねえけど、だって俺アカウント持ってねえし」
「え、そうなの?」
「うん。まぁでも色んな飲み会参加してるし、写真もあんま気遣ってなかったとこはある。女子との距離感も今度から気を付ける」
「……そ、そこまでしなくていいんだけど、」
「や、苗字さん不安にさせたら意味ないし。あとなんだっけ?」
「これ……」

 今回の、一番の不安の種。本人に見せるなんてこんなことしていいのかなって思うけど、でもこれ、鍵アカでもないもんね。
 例のアカウントを表示させたスマホを受け取った黒尾くんは、しばらくスクロールして投稿を確認した後、また私にスマホを返してくれた。

「これ知らない人」
「えっ……え!?」
「名前で呼ぶ女友達いないし、だけど心当たりはある。から今度大学で見つけたらこれやめてって直接やめさせる」
「えっ」

 ちょ、っと待って。これ、知らない人がやってたってこと? 名前で呼んでるのに? 距離が近い気がしたのに?
 でもよく考えれば、物理的に距離が近い写真の中の黒尾くんは全て横顔とかこちらを見ていないものだし、こっちを見ている風なのはちょっとだけ画質が荒いから遠くから撮ってアップしただけに見える。隠し撮り? それってやばい人なんじゃ? しかも心当たりがあるって……?
 だけど、黒尾くんが大丈夫って言うから大丈夫なのかな、って思っちゃうんだから不思議。

「あとは?」
「きょ、今日はなんかすごく……スマホが鳴ってる気がして」
「あー」

 黒尾くんから聞く真相はさっきから予想外のことばっかりで、正直もういっぱいいっぱいだった。もう疑っているわけではないのに、別の意味でドキドキしてしまう。
 でもこれは、今日ずっと気になっていたことだから。

 私からの最後の質問に、黒尾くんはたっぷりとためて、それからちょっと照れた顔で紡いだ科白。

「今日俺誕生日なんですよ」
「……え?」

 これは流石に予想出来るわけないよ。


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