2023黒尾誕 e la notte fin

あの子の王子様


 友達に先日のことを話すと、「アンタ絶対黒尾くんのこと逃しちゃダメだよ」とそれはそれは真剣な顔で言われた。
 男の人というものを知らない私ですら薄々気付いていたけど、黒尾くんはやはり他の女の子から見てもかなり優良物件らしい。
 本当は私は黒尾くんの発言の真意について相談したのに、結局よくわからないまま。「名前が心配することはなにもないから」とだけ力強く告げられたアドバイスも、またよくわからないまま。

 でもこのままゆっくり黒尾くんと仲良くなって、そしたら一パーセントくらいは黒尾くんも私のことを好きになってくれる未来が……なんて妄想をする。
 いずれは両想いになれたら嬉しいけど、ただそれはまだあまり想像出来ないっていうのが正直なところで、今の私にとって現実的ではない未来で。
 だって今は私自身、黒尾くんに対する感情に振り回されていっぱいいっぱいだ。それにこの状況も結構楽しいし、もう少しこのままでも……と、そう思っていた矢先の出来事だった。

「私はちょっと心配だな」
「え……?」

 大学の友達とはまた違ったところでずっと私のことをよく知る幼馴染は、難しい顔で言った。

「だって黒尾って人、私でも知ってるよ。友達の友達とかでしょっちゅうインスタでも写真回ってくるもん。結構派手そうじゃん」
「え……っと、そうなの? でも黒尾くん、見た目ほど怖い感じじゃないんだよ」
「そんなのわかんないって。遊んでる人ってみんな、名前みたいな慣れてない子狙って最初は優しいふりして近付いてくるんだから」
「うーん……」
「ほら見て。この人でしょ、"黒尾クン"」
「!」

 びっくり、ずっとスマホを触っていたのはこれを探していたのか。友達に見せられた画面には、女子とピースして写っている、間違いなく『黒尾くん』の写真。
 そこには私だったら黒尾くんと以外は絶対あり得ない距離感があって、全く知らない私にもわかる程の仲の良さが見えて。私の向かいで、準備してた? ってくらい次々と黒尾くんの写真を探し出してくる幼馴染をただただ見つめるしか出来ない。

「彼女って感じの人はいなさそうだけどさぁ……明らかに慣れてるじゃん、"黒尾クン"」
「……」
「そんな人がどうして名前に? って、やっぱりちょっと思っちゃうよ。全然タイプ違うし」

 幼馴染の言うこともわかる。それが決して恋愛ごとに慣れていない私を馬鹿にしているんじゃなく、心配しているだけだってことも。
 私もまさか、黒尾くんみたいな人と知り合って好きになるなんて思わなかったから。

 でもやはり、私の知る黒尾くんはそんな人じゃないのだ。背が高いし目付きもちょっと悪いけど、実は真面目で優しいし、みんなに好かれるムードメーカーで、気遣い上手で、誠実で――

「あ、待って。これ見て」
「え?」
「これはちょーっと怪しくない?」

 そんな、どうやったら納得してくれるかなと思考を巡らせていた私に突きつけられたもの。
 スマホ画面には、『鉄朗の隣〜』なんて私は一度も呼んだことのない黒尾くんの名前と共にアップされた、黒尾くんの横顔写真があった。

 前髪で目元は隠れていても、もし名前が書いていなくても、知っている人だったらきっとみんな黒尾くんだってわかる。 

 女の子っぽいハンドルネーム、ホーム画面の紹介文には黒尾くんと同じ大学名のアカウント。
 アカウントの本人の写真は一枚もないのに黒尾くん単体で写っている写真は沢山あって、そこにまた意味を勘繰ってしまうのは私だけじゃない、幼馴染も同じだったみたいだ。

「……これって黒尾くんの彼女?」
「いや、わかんない。でも少なくともこの子の方は好きだと思う」
「……そ、っか」
「でもこんな写真撮らせてるし名前で呼ばれてるってことは、"黒尾クン"も満更じゃないってことじゃない?」
「……」
「……やっぱやめといた方がよくない?」
「……」

 言葉が出なかった。一気に心拍数が上昇して血の気が引いていく、嫌な感覚が身体中を駆け巡る。
 たったこれだけで今まで私が見た黒尾くんを全部否定するわけじゃないけど、薄々気付いていた私と黒尾くんとでは見ている世界が全然違うんだってことを証明されてしまったのは事実。

 私は黒尾くんを名前で呼べないし、そんな気軽に写真を撮ったりSNSにアップしたり出来る程の仲でもない。学校も違うし約束をしなければ会うこともできない、結局それだけの関係だから。
 私にとっての黒尾くんは『初めての』男友達だけど、黒尾くんにとっての私は沢山いる女友達の一人でしかないから。

 最初からわかっていたはずなのに、今更ショックを受けるのは自分勝手かもしれない。だけど、少し仲良くなれた、もしかしたら黒尾くんも少しくらい私と同じ気持ちかも……なんて、とんだ自惚れだと知って恥ずかしくなった。

「まだ会ったのも何回かなんでしょ?」
「うん……」
「名前がどうしてもって言うなら止めないけどさ」
「く、黒尾くんに……」
「ん?」
「もう一回会ってから決めるとか……ありかな……?」
「……それ絶対諦められないじゃん」
「うう……」

 そう。結局、多分、私は今更黒尾くんを好きなのを止めるなんて出来ない。この前まで恋の始め方を知らなかったのに、終わり方なんて知るはずもない。
 もしかしたら私が思っていた黒尾くんと違うかもしれないって知っても、結局私は黒尾くんに会いたくなってしまうのだ。

「名前、"黒尾クン"にこれ誰って聞いてみなよ」
「えっそんなの聞いたらウザくないかな」
「名前が言う黒尾くんが本当ならそんなこと思わないし、ちゃんと否定してくれるでしょ」
「……」
「でも本当に遊んでる人なら彼女がいてもいないって嘘つくこともあるんだからね。そのへんちゃんと見極めなきゃダメだよ」

 そんなことが出来たら苦労しない。幼馴染もそこはわかっていると思うけど、それでも私が諦めないんだから仕方ないとため息を吐いただけで最後には「頑張れ」って背中を押してくれた。
 黒尾くんとは丁度今週末会うことになっている。朝、黒尾くんから連絡が来たときはあんなに嬉しかったのに、今は色んな感情が渦巻いてちょっと複雑だった。
 好きな人がいることってずっと楽しいものだと思っていたのに、思えば私は黒尾くんと知り合ってから不安ばっかりだ。




 約束の日まではあっという間だった。待ち合わせ場所は前回と同じ場所だったのだけど電車が遅延していたせいで五分遅刻。
 小走りで向かったその先に黒尾くんの姿を見つけたとき、そんなに久しぶりってわけでないのに嬉しくって胸がきゅうっと甘く締め付けられた。
 遠くから見ても、今日も黒尾くんは格好良い。

「おっ、来た」
「くっ、……黒尾くん! ごめんね、待ったよね」
「や、全然ですよ。苗字さん寒い?」
「え? ううん、黒尾くんこそ」
「俺は大丈夫だけど、苗字さん鼻赤くなってるから」
「わ、ちょっと走ったからかな」
「まじ? そんな急がなくて良かったのに」

 恥ずかしくて鼻を覆った私は、今日のために買ったブーツのつま先に目線を落とした。

 今日、黒尾くん本人にインスタのあの子について聞くんだ。いつがいい? 今じゃない、っていうのは流石に私でもわかる。でも早い方がいいよね。じゃないとどんどん聞きにくくなっちゃうよね。

「見て、この前のやつ付けてんの」 

 私の密かな決意なんて知らない黒尾くんは、この間一緒にやったガチャガチャでとったキーホルダーを掲げて笑っている。
 ちょっと気怠げな目元が黒尾くんに似ている、クロネコのキーホルダー。

「私も付けてるよ、学校で使ってるペンケースに」
「お揃い?」
「ううん、お揃ってないやつ」
「お揃ってないやつか〜」

 気に入っちゃってお互い何回もやったから、私が付けているのは今黒尾くんが見せてくれたクロネコとは少し表情が違うやつだった。でも多分私は、帰ったら黒尾くんとお揃いに変えちゃうかもな。……黒尾くん、嫌じゃないのかな。

「よし、じゃー行きますか」
「うん」

 今日は前に約束した通り、黒尾くんが友達から美味しいとすすめてもらったというお店でお鍋を食べる予定だ。
 予約してくれている時間まで少しあるからそれまでは周辺をぶらぶらするだろうし、聞くならそこがいい。

 緊張して変に顔が強張る。こんなときにどうして、前に黒尾くんに言われた「苗字さん、また緊張してる」って言葉を思い出すんだろう。
 私は本人を横目に見上げながら、それもいつも黒尾くんのせいだよ、と心の中で文句を言ってみた。


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