2023黒尾誕 e la notte fin

時めくスピード


『苗字さんが前におすすめって言ってた映画の最新作、今週からのやつ?』
『そう! 黒尾くん前作も観たって言ってたよね?』
『あんなに勧められたらな(笑)』
『でも面白かったでしょ?』
『結構』『かなり』

 間髪なく連続で送られてきた言葉に、口元が緩んだ。早いもので、黒尾くんと出会って一ヶ月が経っていた。

 毎日男の人とメッセージを送り合っているなんて多分あのときの自分に言っても信じないし、時間的にも気持ち的にも、それが今の私の生活の中で結構な割合を占めていることだってきっと信じない。
 更に言えばあの日の夜本当に黒尾くんから連絡がきたのも、私にとっては信じられないことだった。

 最初は黒尾くんからたった数文字の羅列が送られてくる度に動揺して、なんて返すかっていうのも毎回真剣に悩んだ。文が長すぎないか、逆に短すぎないか、絵文字が少ないと無愛想に伝わるんじゃないかとか、普段気にしないところがやたら気になったりもした。
 黒尾くんのメッセージを読んで、返事を打って、これで大丈夫かなって三回は読み返して送る私に対して、黒尾くんのレスポンスはほぼ会話してるときと同じ速度。焦って何回も打ち間違えて、それでまた焦るって悪循環。
 黒尾くんはたとえ返事が遅くても誤字があっても気にしないんだろうけど、私が気になるのだ。

『毎回友達と公開初日に観に行くんだっけ?』

 それなのに、いつの間にか講義やバイトで黒尾くんからの返事がいつもより遅いとソワソワして、何度も新着メッセージがないか確認してしまうようになった。
 だいぶスムーズに返せるようになった返信。その分知っていく黒尾くんのこと。
 このドキドキの理由を説明するには十分だった。

『よく覚えてるね(笑)でも今回は誘おうと思っていた友達がバイトで、一人で行こうか迷ってるかな』

 ここまでくると経験がなくてもなんとなくわかって、多分、私は今まさに黒尾くんのことを好きになっていってる途中なんだと思う。初めての男友達って枠をあっという間に飛び越えて、好きな人になりつつあるんだと思う。

『じゃあ俺と行く?』

「……え?」

 だけど私は、この関係がこれ以上どうにかなるなんて、それこそ少しも信じていなかったのだ。




「苗字さん、久しぶり」
「お、お久しぶり、です……」
「あれ、緊張してる?」
「……うん」
「んな緊張しなくても」
「そのうち慣れると思うから気にしないで……」
「いやーショックだわー。俺的には結構苗字さんと仲良くなったつもりでいたのに」
「……全然ショックな顔してないよね、黒尾くん」

 黒尾くんは私の言葉に大きく吹き出し、それから「言うねえ」ってゲラゲラ笑っている。一ヶ月ぶりに会う黒尾くんは前に見たときから何も変わっていない。だけど前に会ったときは夜で、みんなもいて、だからやっぱり違和感は拭えなかった。
 今日のことを友達に話すと、今までそういったことに疎かった私に友達の方が盛り上がってしまい、一緒に服を見に行ったり髪型を考えてくれたり沢山協力してくれた。私に似合うと言って新色のリップまでプレゼントしてくれた。

 私が一番心配なのは黒尾くんと実際に会って二人で何話すのかってことだったのだけど、そこは『黒尾くんに任せていれば大丈夫』らしい。

「予約してあるから発券してから先に飯食うのでいい? 苗字さん、お腹空いてる?」
「あ、うん、ぺこぺこ」
「ぺこぺこ」
「な、なに……」
「いや、なんでもない。ぺこぺこなら早く食わなきゃな。ぺこぺこなんだもんな」
「なにっ!?」

 黒尾くんは人との距離感の掴むのが本当に上手だと思う。上手く話せるかな、緊張しすぎて黒尾くんに退屈させないかな、って不安だった気持ちはいつの間にかすっかりなくなって、メッセージのやりとりをしていたときと同じように自然に黒尾くんと話せていた。

 私と黒尾くんの学校の丁度間にある、映画館も併設されているショッピングモール。数年前にリニューアルされてからはデートスポットとしても話題で、そんなところに黒尾くんと歩いているなんて不思議な感じ。

 平日だからそこまで混んでいないけど決してガラガラというわけでもないモール内にはカップルも沢山いて、私と黒尾くんもあんな風に見えているんだろうか。
 すれ違う女の子たちがみんな背の高い黒尾くんを見ている気がするけど、多分気のせい。こんなことを考えてしまう私の浮かれ具合に恥ずかしくなった。

「苗字さんなに食いたい?」
「えっ!? えーっと……」
「ちなみに俺のおすすめはここかここ。苗字さんはこっちの方が好きそう」
「そ、……んなのわかるの……?」
「前に辛いのはだめって言ってたし、最近魚が食いたいとも言ってなかった?」
「言ってた、かも」
「ならやっぱこっちがおすすめ」
「……じゃあそっちで」

 むずむずする。今日は何食べたとか、友達が食べていたあれが美味しそうだったから自分も食べたいとか、今のだけじゃない、今日黒尾くんが出してくれる話題は全部ここ一ヶ月のメッセージで何気なく話したことばかりで、そんなの覚えてるんだ、って驚かされる。
 いや、私も覚えてるよ? 黒尾くんが今日付けてる腕時計は大学生になってバイト代で初めて買ったものだって言ってたやつだとか、家で出てくるおばあちゃんのご飯の影響で洋食より和食の方が好きなんだとか。

 でもそれは、私が黒尾くんのことが気になっているからで。私のは、気になっている人の話はどんなに些細なことでも忘れたくない、って邪な気持ちからきているわけで。

「……黒尾くんってすごい」
「えっなにが」
「なんでもないです」

 元々のコミュ力の差? 人種の違い? こんなので一々感動してたらどんだけ男慣れしてないんだよって思われるよ。そこはわかっているつもり。正直に嬉しい気持ちは大事にしたいけど、過度な期待はしてはいけないのだ。

 まだピーク時間よりは少し早いからか、待つことなく入店出来たお店は黒尾くんおすすめの創作和食料理屋さん。大学生の私たちが入るには少し躊躇ってしまうような落ち着いた店内はどこか大人びていて、一見雰囲気重視なのかと思えば開いたメニューにはどれも美味しそうなご飯ばかり。
 正直、こういうのでチャレンジしない私が普段絶対に選ばないタイプの店。私だったらこういうとき、一度は見たことのあるチェーン店か、行ったことのあるお店を選んでしまう。

 黒尾くんはここに来たことがあるってことだよね。でもここ、男友達と……って感じのお店じゃないよね? だったら誰と……なんて思考は「決まった?」って黒尾くんの言葉に遮られた。

「あ、うん、これにしよっかな」
「お、いいな。美味そう。あ、すんませーん」

 店員さんを呼んで、私の分も頼んでくれて、なんていうか……この仕事が出来る感。合コンのときに思った、黒尾くんが人気者な理由はこういうところもあるんだろうな。

 そうやってジッと黒尾くんを観察していると、バチッと目が合って、咄嗟に逸らしてしまって。そんな私のあからさまな態度にも黒尾くんの「どした?」って優しい声が響いて、するとじりじりとまた目線を合わせてしまうのだから不思議。
 なんだかな。私ばっかり慣れてなくて、恥ずかしいな。

「……チケットのお金、今返していい?」
「うわ、まだ覚えてた? 奢るつもりで来たのに」
「そんなわけにはいかないんで、ちゃんと分けて持ってきました」
「アラアラご丁寧に……ありがとうございます」
「ううん、私の方こそ予約までありがとう」

 良かった……受け取ってくれた。友達は『デートでの女の子はにこにこお礼を言って奢られてるのが可愛いんだよ』って教えてくれたけど、これはデートじゃないもん。ただの友達として遊びに来ただけなんだから。

 それに、私はそういう可愛い女の子を演じるテクニックなんて皆無だから。ただただ無駄に気を遣ってしまうから。
 だから、黒尾くんが案外あっさり受け取ってくれたことに安心した。

 そう思った矢先に、黒尾くんは私の顔を窺うように向かい合わせで挟むテーブルに身を乗り出す。

「ちなみにここは俺に奢らせてもらいたいんですが」
「えっ、駄目だよ私そんなつもりで選んでないもん!」
「そんなつもりって? 知ってたらもっと安いの選んでた?」
「そっ……ういう、わけじゃないけど……」
「ふっ……くく、苗字さんわかりやすいってよく言われない?」
「…………言われないけど」
「んー、じゃあさ。映画んときの飲み物は苗字さんが買ってよ。それでチャラってことで」
「そんなの全然値段が違うんだけど……」
「差額分くらい俺にカッコつけさせてくれませんかね? いや、カッコつける金額でもねえんだけど」
「……その言い方ずるいよ、黒尾くん」
「うん、わざとやってる」

 私が気を遣うから敢えて全部言ってくれてる? 黒尾くん、凄すぎない? 本当に同い年の男の子なのか疑ってしまうくらい、見せつけられる経験値。
 どうすればいいんだろう、って悩む暇もなく言ってくれるのは有り難い。奢られるのが絶対嫌なわけでもないから、黒尾くんみたいに言ってくれるならちょっとくらい友達が言う『可愛い女の子』のフリしてみてもいいのかなって思ってしまう。

「じゃあ、……ここはご馳走になります」

 ドキドキしながらお礼を言えば、黒尾くんはまた揶揄うみたいに「真面目だねえ」って笑った。


- ナノ -