孤爪連載 NO HEROINE , NO HERO fin

「なにかありましたか、お嬢さん」
「……なにか」
「うん」
「なにか……あっ、さっき木兎さんがクロのこと探してたよ!」
「いやいやそういうことじゃなくて……え、なに、なんか言ってた?」
「パンツが一枚ないから絶対クロのとこに混ざってるって」
「んなわけねえだろ」

 なんだそれ。わざとらしく顔を顰めると、ようやく幼馴染の顔が少しだけ緩む。

 それを見て少し安心するも、朝から元気のない様子にほとんど確信を持ちながら「研磨とって意味で聞いたんだけど?」と名前を覗き込んだ。
 目を見開いた名前の反応はそれはそれはわかりやすくて、こういうときにとても助かる。
 それがなくても、今日は不自然に名前と研磨がお互いを避けている気がした。とは言ってもほんとよく見たら、ってレベル。

 昨日から少しずつ蓄積されている疲労とこの暑さを前にして、バレーにも関係のない二人の距離感の変化なんてきっと誰も気付かない。

「ナニモナイヨ」
「それは隠す気あんのか?」
「……」
「今なら話、聞いてあげますけど?」

 俺の言葉に少しだけ迷った風に黙り込んで、というか言葉を探しているのだろう。

 午前の練習を終えたこの時間、みんな各々で休憩をとっている。あまり冷房が効いているとは言えない食堂で、タイミング良く名前と二人。
 こんな、話を聞き出すには絶好の機会を窺っていたのは、なにも俺がお節介の幼馴染だからってだけではない。
 二人にこれ以上ギクシャクされるとチームの空気にも影響するし? そう、これは主将のオシゴトでもあるんです。

「私ね、研磨に言っちゃったの……」
「言っちゃった?」
「……」
「え、まさか」
「好き、って……」

 だけどまさか、いきなりこんなにぶっ込まれるとは思っていなかった。え? ちょっと急展開すぎません?

 昨日の夜、中々部屋に戻って来ない研磨が名前といるのはなんとなく想像が付いていたけども。だから敢えて探しに行かなかった、その間にってこと?

 昨夜部屋に帰ってきたときも、今朝起きてからも、研磨にそんな素振りは一切なかった。なんなら、告げられた事実に今俺の方が動揺してしている。

「……あっ待って! 待って待って!」
「ハイ?」
「間違えた! 間違えて言っちゃった! 秘密だったのに!」
「え? ……なにが?」
「わ、……たしが、研磨のこと好きなの……」
「いや今更だわ」
「えっ!? クロ気付いてたの!?」
「ずっと前から」
「嘘っ!?」

 言いながら赤くなったり青くなったり、一人で百面相をする名前にガクッと力が抜けた。あれで隠してたつもりだったのか。なんて、流石に言わないけど。

 思ったより元気そうな気がして、もしかして良い返事だったんじゃ? とすら思えてくる。だけどすぐに名前が小さくため息を吐いたのを見て、そうじゃないことを悟った。

「で? 研磨に言ったって?」
「うん、まぁそれで……振られたんだけどね?」
「あー……」
「な、なんか声に出して言ったら悲しくなってきたんだけどー……クロのせいだ……!」
「うおっ」

 ぺち、と俺の腕を叩くその手が小さく震えているのを見て、今度は俺の方が息を吐く。
 思い出したのはあの日の研磨との会話。
 あれからそんなに経たないうちに名前が行動に出たのは予想外だったけど、まぁ、遅かれ早かれいずれその日は訪れていただろう。だけど先に研磨の言い分も聞いてしまった手前、今の俺に言えることは多くなかった。

「今のままがいいんだって」

 ……いやでも、それを本人に言ったんかい。

「そんなの言われたらもうどうにも出来ないよ〜!」
「じゃあ諦めんの?」
「んんん諦めたくないけど……わかんない……」
「まぁ研磨だしなぁ」
「ていうか今まで通りも出来ない、朝普通に研磨のこと見れなかったもん……」
「あー……昨日の今日だしそんなもんじゃねえの?」
「でもやっぱ言わなきゃ良かったよー……」

 名前の呟きは、俺たちしかいない食堂に悲しく響いた。前髪が崩れるのも気にせず簡素なテーブルに突っ伏した名前は、こんなことがなければ今頃他のマネージャーと楽しくお喋りに勤しんでいただろう。

 名前がこんなに静かなのは珍しく、だけど何年も好きだった相手に失恋したのだからこれが当たり前なのかもしれない。

「ねぇクロ」
「ん?」
「私、どうしたらいいと思う?」
「どうって」
「だって今気まずくって絶対研磨と話したり出来ないもん。泣いちゃうかもしれない。でもさ、研磨が今のままがいいって言ったの。今のままって、今まで通り私と研磨とクロと三人で学校に行ったり、教室の席が近くなってお喋りしたり、たまに借りたシャーペン返し忘れて怒られたり……そういうことでしょ?」
「まぁ……」
「好きじゃだめなら、私もう朝研磨の部屋に起こしに行けない」
「それは普通にやめなさい」
「研磨を好きじゃなかった頃なんて覚えてないんだもん。振られても今まで通りなんて、出来ないよ……」

 ず、と鼻を啜る音に胸が痛んだ。

 研磨の言うこともわかるし、名前が言うこともわかる。二人とも大事だし二人ともの味方でもある俺からしたら、どっちも間違えていないしどっちが正解でもない。
 生きていればどうにも出来ないことは往々にしてあるし、恋愛なんてその最たるものだと思う。
 それでも俺は、大切な幼馴染のうちの一人が悲しんでいたらどうにかしてやりたい、と思ってしまうのだ。

 椅子を引いて、名前の隣に腰掛けた。それからまだ突っ伏したままの名前にかける言葉を選ぶ。慎重に。

「別に今すぐいつも通りに戻らなくていいんじゃねえの?」
「だって……そうしないと、どんどん話せなくなっちゃうかも。もう前みたいに戻れなくなっちゃうよ」
「名前は俺らの十年をなんだと思ってんのよ」
「でも……」
「それにあれよ、押して駄目なら引いてみろって言うだろ。名前がいつも通りを出来るようになるまでに、研磨の方が耐えきれなくなる可能性がないとは言い切れない」
「いや……うーん……でも」
「んな悩む必要ある? 名前の好きなようにすればいいだけ、怖がることなんもねえの」
「そうかな……?」
「この黒尾クンが保証します」

 俺が大袈裟に胸を叩いて言えば、ようやく名前は少しだけ肩の力を抜いて笑った。

 その顔は昔から見てきたどの表情よりも女の子の顔をしていて、俺ですら少しドキッとしてしまう。それと同時に妹が他の男に盗られたような寂しさもあって、これが本当の妹だったら俺はシスコンになるのかもしれないと思うとちょっと笑える。

「お、研磨」
「えっ!?」
「うっそー」
「……クロ!?」
「ブッ……ごめんごめん、ちょ、いっ、痛ッ、名前チャン痛い!」
「今言っていい冗談と駄目な冗談があるでしょお!?」
「珍しく正論」
「珍しくってなにー!」

 少し元気になって良かった。なんてぷりぷり怒りながら食堂を出ていく名前を見送る。ほんと、相変わらず手の掛かる二人だ。これで午後は少しマシになれば良いんですけど。
 なんて、この後更に不自然に研磨を避けるようになってしまった名前を俺はまだ知らない。

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