孤爪連載 NO HEROINE , NO HERO fin

 夏合宿。いつもなら一日何時間も練習した後みんなくたくたになって家に帰るけど、今日は晩ご飯もお風呂も寝るのだってみんなと一緒。
 練習漬けのこの期間中はチームでの連携が目に見えて良くなっていくのがわかるからワクワクするし、私が去年から大好きなイベントの一つだ。

 それにそれだけじゃない。久しぶりに会った梟谷の木兎さんに絡まれたり、マネチームには烏野の二人も加わり女子トークに花を咲かせたり、普段は部活漬けで中々友達と遊んだり出来ないからこそこういう修学旅行みたいな雰囲気が全部楽しい。

「あれっ研磨! どこ行くの?」
「……ジュース、買いに行くとこ」
「えっ、私もだよ! 一緒に行っていい!?」
「うん」

 初日の夜。お風呂上がりの女子部屋は、更に盛り上がりを見せていた。

 音駒は他にマネージャーがいないから、この時ばかりは女子が二人いるチームが羨ましかったり。めまぐるしく変わる話題は最近流行っているスイーツの話、効果抜群だったダイエットの話、それから好みの男の子の話――そんな中を抜け出してきた私は、偶然会えた研磨に嬉しさを隠しきれなかった。

「研磨まだ髪濡れてるよ」
「すぐ乾くから、いい」
「暑いもんね〜」

 部屋は冷房が効いているけど、一歩廊下に出てくると蒸し蒸しした暑さがお風呂上がりの肌に纏わりつく。夜だからと言って涼しいわけでは決してない、特に近年の夏は暑過ぎる。

 私は既にしっとりし始めた項に手を当て、それから後ろの髪をまとめて持ち上げた。
 結んでこれば良かったなぁ。ここから自販機までって結構遠くて体育館の方まで行かないとないから、それまでに絶対汗をかいてしまう。失敗した!

 薄暗い中、私と研磨のスリッパ越しの足音だけがぺたぺたと間抜けに響いた。

「男子部屋はまだみんな起きてる?」
「うん。でもみんなちゃんと寝ると思う、疲れてるし。女子の方が遅いんじゃない?」
「確かに。さっきもまだまだ盛り上がってたし……そっちはさ、夜更かししたらクロとか怒るもんね」
「マネが寝不足なのも多分怒るよ」
「えーそれ絶対私だけじゃん!」
「そんなことないと思うけど……」
「クロは他の学校の女の子怒ったりしないでしょ〜」
「直接言うかどうかはまた別」
「そっかぁ」

 くすくすと笑いながら、昔クロの家でお泊まり会をしたのを思い出す。
 まだ小さかったその頃からクロはちゃんと早寝早起きするタイプだったから、クロが寝た後も研磨がゲームしているのを一緒に見せてもらっていたのがバレて怒られたっけ。
 そう思うと、私たちってあの頃から全然変わってない?

 なんとなく二人とも無言になって、そうするうちに遠いと思っていた自販機に着いてしまった。研磨と二人だったら、あっという間だ。だって研磨と一緒にいるのは楽しいから。
 それもあの頃から変わらないけど、今はあの頃より、更に。

「研磨なに飲むの?」
「りんごジュース」
「りんごかぁ、私はどうしよ……あっバナナオレある!」
「名前それ今飲んだら絶対お腹痛くなるよ」
「わっ、確かに!? えー、じゃあ私もりんごにしよっかなぁ?」
「はい」
「えっこれ研磨のだよ」
「あげる」
「いいの!?」
「うん」
「ありがとう!」

 さっき研磨が迷わず買ったりんごジュースは、私の手に。それから研磨はもう一本同じものを押して、ピピッと控えめな電子音の後に再度ガタンッと大きな音が響く。
 奢ってくれると思ってなかった! 嬉しい!
 心地良い冷たさが手の皮膚を刺激して、でもすぐに温い空気と混じり合った。

 昼間とは全然違う静寂と暗闇は普段の私ならきっと怖いのに、今は全く。見慣れているはずの研磨の横顔に夢中でそれどころじゃないのかも。

「あれ……どこ行くの? 部屋こっちじゃないよ」
「うん」
「……?」

 来た道とは違うルートを行く研磨の半歩後ろを、大人しく着いて歩く。……やっぱりちょっと怖くなってきた。
 勝手にこんなところまで来て怒られないかな? っていう不安と、苦手なくせにあり得ないホラー展開を思い浮かべてしまう程の暗い階段と。

 風でガタガタと音を立てた古い窓枠に驚いて思わず研磨の手を掴むと、研磨は少しこちらを振り向いた気がしたけどそのまま緩く握り返してくれた。えぇ……?
 とく、とく、と少しずつ上がる心拍数。研磨と手を繋いだのなんていつぶりかな。

 小学生の頃にだって多分数えるほどしかなかったのに、まさか高校生になった今この手の温度を知ると思わなかった。

「……」
「……」

 研磨、って名前を呼ぼうとしてやめた。呼んだら、この手を離されちゃう気がした。

 相変わらず私も研磨もなにも言わなかったけれど、なんかもう怖いとかそういうのは吹き飛んでしまっていて、だってこんなのそれどころじゃなくない!?

 やがて、重く鈍い音と共に研磨が開けた扉の向こうに広がった満天の星には、そんなドキドキすらも一瞬忘れ去ってしまったのだけど。

「わぁ……! 研磨、すごい! どうして!?」
「赤葦が、今日は流星群だって言ってたから」
「ええっ、そうなの? じゃあ他のみんなにも教えてあげないと!」
「……別にいいでしょ」
「そうかな? こんなに綺麗なのにっ」
「それにここ、勝手に入ったのバレたら怒られるよ」
「えっ」
「多分だけど」
「えっ!?」

 だから内緒ね。声に出さなくても、研磨の表情がそう言っている。
 私はぶんぶんと首を縦に振る。すると研磨フッと息だけで笑って、それを見た私は無意識に、繋いだままになっていた研磨の手にぎゅっと力を込めた。
 もしかして、連れてきてくれたの? 私のために? なんて自惚れ過ぎだろうか。

 色々と聞きたいことはあるけど、それよりも研磨と二人でこの景色を見ているのも、まるで小さな子供みたいに二人で秘密を共有していることも嬉しくて。

「研磨眠くないの?」
「普通。名前は眠いでしょ」
「私も普通だよ……?」
「それ眠いときの言い方なんだけど」
「研磨そんなのわかるのっ? すごいね!」
「ここで寝たら放ってくからね」
「えっやだやだやだ! 一人怖い!」
「じゃあ寝ないで」

 会話はいつもと変わらない。私は重くなってきた瞼を必死に押し上げた。
 いつもより穏やかに流れていく時間に、一瞬合宿に来ていることを忘れそう。でも多分、そろそろクロたちが必死に探しだす頃だろう。ケータイ置いてきちゃったけど、消灯時間も近かった気がする。わかっているのに、やっぱりもう少し研磨と二人でいたいなんて我儘がどうしても引っ込んでくれなくて。

「あ、流れ星っ!」
「っ、」
「ねえ! 今の見た、研磨!?」
「急に大っきい声出さないでよ……」
「すごいっ! あ、見てまた! 見てる!?」
「だから流星群って言ったじゃん」

 えーすごいっ! こんなに沢山、初めて見たかも? すごい! すごいしか出てこない、すごい!
 瞬きをしてしまってもその数分後にはまた一つ夜空を流れて行く星にテンションが上がり、つい大きな声を出すと研磨に顔を顰められてしまう。

 すっかり眠気もなくなって、隣を向くと思っていたより近い位置に研磨がいてびっくり。
 気付いていなかったのは私だけなのか研磨は驚いていなくて、そうして私は猫みたいな研磨の瞳に静かに閉じ込められた。

「ど、どうしたの?」
「別に」
「そう……」

 胸が、ざわざわする。
 最近度々訪れる妙な空気感に、もう研磨への気持ちを伝えてしまおうか迷うこの感じ。どうせそんなこと出来やしない、が怪しくなっているのは自分でもう気付いている。
 言いたいけど、言いたくない矛盾。そろそろ幼馴染の枠を飛び超えたい気持ちと、今のままでいたい気持ち。
 伝えたとき、研磨がどんな顔をするか、なんて言うか――全く想像がつかなかった。

「研磨」

 震える唇が今度はちゃんと研磨の名前を音にした。手はまだ繋がったまま。
 昔から変わらないと思っていたのにこうして見ると研磨はちゃんと『男の子』になっていて、それを実感する度に喉の奥がぎゅっと締め付けられる。研磨への好きが溢れてしまう。気付いたときには、もう。

「私、研磨のことが好きだよ」

 ――僅かに目を見開いた研磨に、ドッと汗が噴き出した。忘れかけていた蒸した気温を思い出す。それでももう、止めることは出来なかった。
 研磨はいつも「名前は急に変なことを言う」って言うけど、この気持ちは全然急なんかじゃない。

「クロじゃないよ、私、研磨のことが好き」

 縋るように握り込んでいる手の力を強めると、研磨の肩が跳ねた気がした。

「……研磨?」
「なんで今言ったの?」
「へっ」
「名前はいつも」
「急じゃないよっ」
「……」
「急じゃ、ないよ……ずっと言いたかったもん」
「……」

 あれ? 研磨の表情がスッと冷えた気がするのは気のせい?
 あんなに煩かった心臓の音が、全く聞こえない。あんなに熱かった手が、温度を感じない。なのに相変わらず繋がったままの手が強烈な違和感を残して、私は小さく震えた。

「俺も名前のことは好きだよ」
「えっ!?」

 研磨の言葉にたった一瞬浮かれ、「だけど」と続いた言葉に息を呑む。

「それだけ」
「それだけ……」
「それ以上でもそれ以下でもないってこと」
「それは……どういう?」
「逆に名前はどうなりたかったの」
「どう、……」
「俺は今のままがいい」

 怖いくらいの静けさの中ぽつりと吐かれた言葉は、目の前を更に真っ暗にさせた。
 ……それは、遠回しに振ってる? 今のまま。今のまま、私と研磨と、それからクロと、仲良く幼馴染のままがいいってこと?

 突き付けられた言葉の意味を、回らない頭で必死に理解しようとする。
 研磨が言った『好き』は、私が研磨に伝えたのと同じものじゃない。それだけはわかって、ちょっとでも期待してしまった自分に襲いかかってくるのは羞恥心。それからやってしまったって後悔と、ずっと温め続けた研磨への想いを否定されたみたいな悲しさ。

「私、は……研磨といつか付き合えたらいいなって、流れ星にお願いしたよ」
「……ごめん」

 それが全ての答えだった。

 私の顔を見て、研磨は少しだけ困った顔をして、だけどゆっくりと手を離す。少し前に学校の下駄箱のところで研磨が見せた表情を思い出す。消えた感触に瞼が震えた。

「もう戻ろ」
「……研磨、先戻ってていいよ」
「でも暗いし、名前一人で戻れないでしょ」
「……うん」

 なに、それ。研磨ずるい。

 来るときとは違って一言も話さない私たちは、とても今まで通りの『仲良しの幼馴染』とは言い難かった。
 それなのに相変わらず二人で並んで歩いているんだから、変なの。
- ナノ -