孤爪連載 NO HEROINE , NO HERO fin

 夏の朝は早い。起きる時間も朝家を出る時間もいつもと変わらないけれど、陽が昇るのが早いって意味で。

「……研磨出てこない」
「もう出てくるだろ」
「…………研磨出てこないねえ」
「さっきから三秒しか経ってないんですけど」
「えー、だってまだ起きてないのかも。ちょっと私起こしてこようかな」

 既に燦々と降り注ぐ朝日を一身に受け、額にはじんわりと汗を滲ませながら研磨の家の前でクロと待つこと五分。

「物騒なこと言わないでよ」
「あっ研磨来た!」
「物騒?」
「名前、この前クロが日直で先行った日に俺の部屋乗り込んで来た」
「うわっ、名前チャンそれはやめなさい。研磨だって年頃の男の子なんだから」
「なにそれ、私だって年頃の女の子だよ!」
「うんじゃあ余計にやめなさいね……」

 苦笑いで言うクロに首を傾げていると、自分には関係ないと言わんばかりに研磨は先に歩いて行ってしまう。それに気付いた私はすぐさま小走りで追いかけ、「待ってたのに置いてかないで!」と縋り付く。顰めっ面する研磨と、後ろからだらだらと歩きながらもいつの間にか追い付いてくるクロ。小学校のときからの幼馴染三人、毎朝大体こんな感じ。

 今日もそれが変わらないことに、私は密かに安堵の息を吐いた。

 その理由は昨日の放課後に遡る。先輩と帰りたがるリエーフが昨日は風邪で休んでいたり、基本自主練に参加しない研磨が何故か最後まで残っていたり(後半は見ているだけだったけど)、いざ帰ろうとなったときにクロが担任の先生に呼び止められてしまったり。つまりそんな、いつもとは違うことが重なっていたのだ。

 私と研磨がいるからと先に帰って行った夜久さんたちに手を振り、私たちは中々戻らないクロを待っていた。
 夏は日が長いと言うけれど自主練終わりともなると流石に暗くなっている。それでも冬に比べれば若干まだ明るい、そんな夏の夜はわくわくするから嫌いじゃなかった。

「もうすぐ夏休みだね!」
「うん」
「合宿、今年は烏野もいるし楽しくなりそうだね!」
「うん」
「バーベキューって今回もするのかな!?」
「さぁ……」

 人気がない下駄箱のところに並び、ぽつぽつと話す話題はとりとめのないもの。入口のドアは開放されているにも関わらず、少し高い天井に返って声が反響する。

 動いていなくてもじんわりと汗をかくような蒸し暑さは、もう夏本番だと言っても良いくらいだった。

「あっねえ、聞いて聞いて!」
「聞いてるよ」
「今日みんなが言ってたんだけどね」
「うん」
「あれっ、今日は「みんなって誰」って聞かないんだね」
「……いつも教室で名前と一緒にいる人たちでしょ」
「そう! さっちゃんとハルカちゃん! ……あ、それでね!」
「うん」

 とっ、とっ、とっ、といつもよりほんのちょっとだけ速い鼓動が、声を上擦らせる。
 今日この話を聞いてからずっと、頭の中では何度も研磨にこの話をする練習を繰り返していた。

 さも今思い出したみたいに吐かれたそれは、実際は今日一日中今か今かとタイミングを見計らっていたもので、鋭い研磨にはもしかしたらバレているかもしれないと思うとキュッと喉の奥が詰まる。

「あのね」

 不自然に、普段から割と大きな自分の声が更に大きくなった気がした。

「ここで好きな人に告白したら、成功率百パーセントってジンクスがあるんだって!」
「……は?」
「しかもね、隣のクラスのヤマダくんとアカネちゃん! 最近ここで告白しあって付き合いだしたらしいの! すごくない!? やばくない!? やばいよねー!?」
「興味ないんだけど」
「私もここで告白したら彼氏出来るかな? ねえどう思う、研磨?」
「聞く人間違えてるでしょ……」

 なんとなく逸らし続けていた視線をこっそり研磨に向ける。本当に興味ない、って顔。
 まぁ研磨だもんね、予想はしてたよ。
 だけど私にとっては興味あり、というか興味しかない噂。だって私の好きな人は研磨なのだから。

 最近彼氏が出来た友人たちの顔を思い出す。好きな人の話をする、幸せそうな顔。ああいうのを見ると、いいなって思っちゃう。私も研磨と、って思っちゃうよ。
 こんなに一緒にいるんだから、研磨もちょっとくらい私のこと――って欲張っちゃうんだよ。

「ねえ研磨〜」
「…………クロ来ちゃうよ」
「えっほんと!?」
「……足音聞こえるから。名前もクロに聞かれたら困るでしょ」
「……え?」

 え? 研磨にチラリと横目に見られたのは、ほんの一瞬だった。胸の奥深くにどろりと流れ込んでくるような違和感。なんか、今の、……え?

「お待たせ〜……え、なに」
「クロ……」
「遅い」
「悪い悪い。……どした、喧嘩?」
「してない、暑い、帰る」
「ちょ、待てって。……名前どうした?」
「っううん! なんでもない! あー私お腹空いちゃったー!」

 クロが覗き込んでこようとしたのに、反射的に一歩下がった私は無理矢理口角を上げる。
 引き攣っているんじゃないかと心配したけど、それを見たクロは安心したように笑うからどうやら大丈夫だったようだ。

 どくん、どくん、とさっきとは違う意味で心臓が暴れていて、蒸し暑さが増した気がする。ぎゅっと握った拳に手汗が滲んだ。

 その後は先に歩いて行ってしまった研磨を二人で追いかけいつも通り三人で並んで帰ったけど、結局私と研磨は一度も目が合わなかった。
 それがまた、引っかかった小さな違和感に拍車をかける。
 
 もしかして研磨、私がクロのこと好きだと思ってない?
 
 なんて、気にしすぎだろうか。
 普段は全くと言っていいほど働かない予感が警鐘を鳴らす。静かに、静かに。
 さっきの研磨の言い方と表情は、そんな言い方だった。他の人にはわからないかもだけど、私にはわかる。だって私は、ずっと小さい頃から研磨の隣にいたのだから。ずっと研磨を見て来たのだから。
 
 翌日の朝にはあのとき感じた違和感などなにも感じられず、やっぱり気にしすぎだったのかなと首を傾げる。昨日のぎこちなく目を逸らす研磨も、全部?
 考えたってわからないし、研磨と気まずくなるのは嫌だ。だから私も合わせて普段通りを装うが、頭の中では一度気になったことがぐるぐる離れてくれない。

 あぁー聞きたいっ! 悩んでいるなんて性に合わない。直接聞いてスッキリしたいけど、でも今はクロがいるから絶対無理っ!

 学校に着いて、朝練がある日はそのまま揃って体育館に向かうし、ない日は二年の私と研磨の教室は二階、三年のクロが三階だから階段のところでお別れする。
 ちなみに今日はない日で、教室に入ると既にクラスメイトの半分ほどが登校して来ており、たまに「おはよう」と声をかけ合いながら席に着く。

 朝から既に日光浴を済ませた窓際の自分の席は暑くてうんざりするけど、もしここが研磨の席だったらもっと嫌な顔するんだろうなぁ……と想像して小さく笑った。
 昨日の席替えで決まった、今回の私の場所。研磨は廊下側の一番後ろだからそういうのとは無縁で良かったね、なんて心の中で勝手に話しかけていると、パッと研磨と目が合う。

「!」

 見すぎ。そう言った、気がした。
 言葉にして言われたわけでも、口パクでもない。何度も言うが小さい頃から一緒に過ごして来た幼馴染、これくらい以心伝心で伝わってしまうのだ。
 へらっと笑いながら顔の前で手を合わせて謝る仕草をすると、研磨は小さく息を吐いて目を逸らしてしまう。始業前のガヤガヤと賑やかな教室で、私は緩む口元を手で隠した。


 ★
 
 
「名前」
「ん……んん?」
「一限から寝るってどういうこと……」

 本日二度目の起床は、十分とは言い難い冷気が充満する教室だった。
 聞き覚えのある声に少しずつ浮上する意識は、重い瞼をこじ開け視界に入った研磨に一気に覚醒する。ハッ! 涎垂れてた! 慌ててそれを拭う私を呆れた顔で見下ろす研磨は、「次、移動」と最低限の情報だけを教えてくれた。

「そうだ! あれ? 置いてかれた!?」
「名前の友達、名前があまりにも気持ち良く寝てるから先行くって言ってたよ……」
「えええひどい! でも優しい!」
「優しくはないんじゃない」
「そう? あ、時間やばいよ研磨! 早く行かなきゃ!」
「名前のせいなんだけど」

 私は机の中にさっきの授業で使った英語の教科書とノートを突っ込み、代わりに生物の教科書とノートを取り出す。焦りからプリントかなにかが中でグチャってなった感じがしたけど、もう諦めることにした。

 走るのは嫌だって言う研磨の手首を掴んで、強制的に小走りする。先生に見つからないように、誰にもぶつからないように。

「ていうか名前、シャーペン返してよ」
「え? シャーペン?」
「昨日貸したまま返ってきてない。ていうかさっき授業始まる前にこっち見てたじゃん、気付たんじゃないの……」
「えっ、あれってそういうことだったの!?」

 ……どうやら以心伝心は失敗していたようだ。
 でもやっぱり研磨とはこうがいい。気を遣わない、この距離感が心地良い。

 改めてそう感じた単純な私は、結局、昨日のことなんてもうすっかりと忘れてしまっていた。

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