黒尾中編 推して駄目なら fin

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「うう……黒尾が好きすぎて辛い……今日の寝癖見た? いつもよりぴょんぴょんしてんの、可愛いんだけど……」
「それ本人に言ってやれよ」
「言えないよ〜……言えないから仕方なく夜久に聞いてもらってんでしょ!?」
「まだ続いてんのか、それ」
「続いてるよ、絶賛禁欲中だよ!」
「禁欲て。でもこの前言っちゃったんだろ?」
「だぁってあと一日じゃん……」

 記念すべき黒尾十八歳の誕生日まで、あと一日。私は相変わらず押して駄目なら引いてみろ作戦を続けていた。
 あと一日だし。明日ダメだったら一生引くことになるかもしんないけど、今はそんなこと考えたくない。
 もし黒尾が良いって言うなら本当に振られてもファンでいるのは許してもらいたい所存だ。

「で? 自信の方はどうなんだよ」
「いやーなんか……行ける気がする」
「え、まじ? なんかあったのか?」
「いやこの前好きって言っちゃったときにさぁ……」

 思い出したのは、この間の昼休みに少しだけ黒尾と二人になったときのこと。
 あのときは軽く流した会話。夜久と海くんが戻って来て途切れた会話は黒尾も忘れたって言ってたし、最初は大したことなかったんだなって思った。

 だけど家に帰ってあのときの黒尾を思い出してみると、あれって大したことなくない? なんて思っちゃったわけで。

『そもそも好きじゃないとか言ったっけ?』
『へ?』
『だから。俺が苗字のこと、……』

 あの会話の続き。普通に考えれば『俺が苗字のこと好きじゃないとか言った?』みたいな、そんなことだと思う。でも話の流れ的にそれって、……え、なに? 好きじゃなくない、ってこと? え? それってどっち!?

 そのことに気付いてしまったとき、私はどうしようもなくドキドキして思わずベッドの上で足をばたつかせて悶えてしまった。
 だってもしかしたら黒尾はあのとき、凄く大事なことを言おうとしてたんじゃない? 私ってばめちゃくちゃ勿体無いことしたんじゃない!?

 その可能性を考えてしまえば、普通にしようと思っても期待は大きくなってしまうというもの。
 あんまり期待したって上手くいくかわかんないのに、恋する乙女の気持ちにブレーキなんて存在しないのだ。

「てか黒尾トイレ遅くない?」
「そこ気にしてやんなよ」
「あ、でもなんか廊下から黒尾の声が聞こえる気がするっ」
「いや怖」
「怖くないですぅ〜愛ですぅ〜」

 黒尾に脈ありかもってとびきりの情報を話したのに夜久はあんまりノッてきてくれなかったのは残念。仕方なく話を変えてみたけど、いやほんと……トイレに行った黒尾が一向に帰ってこない。
 貴重な休み時間が終わっちゃうけどいいの? てか誰と話してんだろ?

 黒尾は誰とでもそつなく接するって言うか、男子からも女子からも好かれてる方だと思う。実際クラスでも目立ってるグループに話しかけられてるかと思えば、端で一人だけ本読んでるタイプの子とでも全然普通に話してるし。
 でもちゃんと仲良いのは同学年だと夜久と海くん(と私も入れていいよね)ぐらいしかいないから、意外にも深く狭く付き合うタイプなのかな? って勝手に思ったり。

 だから結構長い間戻ってこない黒尾が誰と話してるのか気になったのはちょっとした好奇心。もしかしたら部活の後輩かもしんないし、邪魔しちゃ悪いからそーっと覗いてみるだけ、って。
 だけど教室の廊下側の窓からそっと頭を出した私が見たのは、見慣れた黒尾の背中と、その向こうではにかんで笑う学年一の美少女、サトウさんの姿だった。

「……何話してんだろ?」
「珍しいよな」
「ね。あ、でも一年ときはクラス一緒だったよ」
「ふーん」

 ここからじゃ会話は聞こえない。だけどそんなに真剣な話じゃないのかな、っていうのはサトウさんの表情から伝わる。楽しそうだし。いいなぁ……私もたまにはあんな普通に良い感じ? で黒尾と話したい。いつもなんかふざけちゃうし。

 黒尾の顔は見えないけど、よっぽど楽しい話でもしてんのかな……なんて思ったところで、話が終わったのかサトウさんが黒尾に手を振りながら去っていった。
 黒尾もそれに小さく手を振り返して、くるっとこちらに振り返った瞬間ばっちり目が合う。

「……なにしてんの?」
「え……盗み聞き?」
「え、今の聞いてた?」
「いや聞こえてなかったけど……」
「だよな」
「何話してたの? なんか楽しそうだったじゃん」
「ん? ナイショ〜」
「えーなにそれ、気になるじゃん!」
「いやこれ苗字の真似ですし?」
「えっ私そんなこと行ってなくない?」

 そんな私に、黒尾は妙にご機嫌で小さくデコピン。いたっ。

「……なんかいいこと?」
「さーどうでしょう」

 そのくせ何にも教えてくれない黒尾がちょっと変で、私は夜久と顔を見合わせて首を傾げた。




 帰り道、今日も部活の黒尾たちと別れて一人下足で靴に履き替えていると、靴箱の向こう側から聞こえてきた女子の声。
 あ、これサトウさんたちだ、ってすぐに分かった。昼休みに黒尾と楽しそうに話していた彼女と、その友達数人。

 私は何故か、息を殺してその会話を耳に入れてしまう。

「え? じゃあ今日黒尾と会うの?」
「そーなの。部活終わった後に、駅前のファミレスでね」

 黒尾。出て来た名前にどくんと胸が跳ねる。部活が終わった後、黒尾と会う……? どうして? って純粋な疑問半分、それから言いようのない不安が半分。
 それはみるみる私の胸の内を満たして、半分どころじゃない、もやもやした感情でいっぱいになっていくのが自分でも分かる。なのに私は、話を聞くのをやめられなくて。

「えーなにそれ面白そうっ! 私も行っていい?」
「ダメだよ。黒尾は真剣なんだから」
「でも黒尾が真剣に……あはは、想像したら笑っちゃう」
「笑っちゃダメだって〜」
「じゃあ後でどんなだったか、要報告ね!」
「そんな報告するようなことじゃないから〜」

 楽しそうに、繰り広げられる会話に私はしばらくそこから動けなかった。だって今の話、どんなに良いように考えてもまるで黒尾がサトウさんに……ううん、違う。そんなはずない。

 どくん、どくん……鼓動が嫌な感じで速くなっていく。

 思い出すのは黒尾と二人で過ごした時間。もしかしたら黒尾も私のこと、って思うことは何回もあった。夜久と海くんには最近って言ったけど、ほんとはもっと前から何回も。それが最近より強くなって、浮かれて夜久にまで溢してしまうくらいには。
 だけど同時に、どれだけ「好き」と伝えても冗談みたいに流されてしまっている事実が私をたちまち弱気にさせる。

 もしかして……勘違いだった? って。
 明日本気で告白して、ちゃんと黒尾がそれを本気で取ってくれたとして……それでいて尚、振られたら? ……そんなの嫌だ。でも。

 あんなに必死に頼み込んで、ようやく手に入れた明日の放課後、ほんのちょっとの黒尾と二人きりの時間。デートだって浮かれた私に、呆れたように笑った黒尾。
 だけどサトウさんはいとも簡単に、学校が終わってからの黒尾との時間を手に入れてしまった。しかも多分黒尾の方からっぽい。

「なんだ……」

 全部、勘違いだったんだ。黒尾は夜久と海くんと、それから私と一番仲が良いって思ってた。他の誰とでも上手く話せるけど、そこには他の人に負けない何かがあるって信じてた。
 だけどほんとはそうじゃない、黒尾だってちゃんと別で好きな女の子がいたんだ。それでその子に、気持ちを打ち明けるつもりなんだ。

 サトウさんだって黒尾の前であんなに可愛く微笑んでいたんだ、きっと答えはYESに決まってる。あんな学年一可愛い子、私に勝ち目なんてあるわけない。

「そっか……」

 そっか。最悪の思考に飲み込まれていく。呟いた言葉は、タイルの上に丸い滲みを作った。ぽたぽたと落ちてく涙は止まらなくて、誰にも見られたくないからせめてその場でしゃがみ込んで顔を隠す。

「うう、……うー……」 

 考えた『もしも』がびっくりするくらいにしっくりきてしまったのだ。黒尾が他の女の子の横で笑っている様が。それはきっと私が「好き」と伝えた時のあんな顔じゃない、ほんとに心から嬉しそうに笑うんだ。
 想像する度にぎゅうぎゅうと胸が痛む。それに私は、胸を抑えて耐えることしか出来なかった。

違う形で出会っていたら?

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