黒尾中編 推して駄目なら fin

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 それまで全てが順調にいっていると、私は本気で思っていた。

「苗字、最近俺のこと仲間外れにしてません?」
「へっ?」
「夜久と海ばっかで黒尾サンのこと構ってくんないじゃん」
「そんなこと……」
「あるよな?」
「ない……よ?」
「なーにコソコソしてんの?」
「し、してない……よ?」
「嘘下手かよ」

 不意の黒尾からの質問に、正直すぎる私の声は裏返った。それを聞いて笑ってくれるでもない、いつのように茶化してるみたいな口振りだけど目は笑ってない、そんな黒尾が私を覗き込む。
 これ以上ボロを出さないように俯いてやり過ごそうとした私は、突然現れた黒尾のドアップに驚いて「ひゃっ」と飛び退いた。

「俺に飽きた?」
「へ?」
「最近そういうことも言ってくれませんし」
「そういうこと、とは……」
「…………俺のこと好き、とか?」
「……」
「ちょい、反応してくれねぇのは流石に恥ずいんですけど」

 黒尾が私の頭に全然痛くないチョップを入れる。
 飽きた? そんなわけない。飽きることなんてないに決まってるじゃん。今だってこんなに黒尾のことが好きで、チョップだとしても頭触られたことにドキドキしてるのに。

 だけどそれにもまだ何も言わない私に、黒尾ははぁとため息。「なんかしたかね、俺」なんて心なしかちょっと元気のない言葉には流石に私も罪悪感が湧いてくる。

「黒尾は何もしてない、よ」
「じゃあなんで?」
「それは、……言えないけど……」

 まさか押して駄目なら引いてみろ作戦なんて、ベタすぎて。ていうかこれ、本人に言っちゃ意味ないやつだし。

「またそれかい」
「だってー……」
「……」
「……黒尾?」
「……」
「無視?」
「仕返し」
「え、なんの」
「苗字が夜久とか海んとこばっか行くから」
「……もしかして拗ねてる?」
「……」
「え、ほんとに?」

 思わず、少しだけ視線をずらせばあっという間に私が黒尾を見上げるいつもの目線。
 簡単に目が合って、いつもとはやっぱり違うそのふざけてる感じではない黒尾に、私は少しだけ期待してしまう。

 ……もしかして、作戦成功? 効果あり?
 たった数日、いつもみたいに黒尾に引っ付かなくなっただけ。黒尾を見かけても飛んでかなくなったし、休み時間に無駄に黒尾の絡むのを控えて、それから決定的に変わったことといえばすぐに「好き」と言うのをやめた。それだけ。

 私にとっては日常だったものだけど、私と黒尾は付き合っていたわけじゃないから何もおかしくない。
 作戦を始めて数日、ここまで黒尾もそれに言及してくることはなかったいうのに。

「気にはなるだろ、そりゃあ」
「!」

 それなのにさ。ここにきて、こんなに狙い通りの反応をくれるとは思わなかった。いや、一番の目的はデートの日、私からの告白をちゃんと本気にしてもらうことなんだけど!

 そっか。内心私は黒尾不足で寂しかったけど、だから無駄に夜久とか海くんのとこに行ったりしちゃってたけど、私だけじゃないんだ。黒尾も私のこと、ちょっとは気にしてくれたりするんだ。
 その事実を知ってしまうと、すぐにでもほんとのことを言ってしまいそうで。でもそれはここ数日の私の我慢が無駄になってしまうから、って今は必死に耐えるしかない。

 また何も言わない私を、黒尾はどう捉えたんだろう。少しだけムッとした顔をすると、今度はその長い指で私の鼻を摘んでくる。

「はひっ、くるひいっ」
「言うまで離しません〜」
「はんへっ」
「ん? なんだって?」
「ひふってひっへほ、ほほはんはらほはひもひへはひはんっ」
「ぶっ…………なんて?」
「ふっ……はひひははひへっ……っし、死ぬかと思ったぁ〜……!」
「くくっ……口で息出来るでしょうが」
「めっちゃツボってる人に言われたくない!」
「だって……ぶっ、ひゃっひゃっひゃっひゃっ!」
「ちょっとお!」

 いつもの黒尾の笑い声が響いた。それに内心少しだけホッとした私は、ようやくさっきまで無意識に肩に力が入っていたことに気付く。
 真剣な空気は緊張しちゃう。私と黒尾はいつもそんな感じじゃないから、余計。

 そしてすっかりいつもの雰囲気に戻ってしまったことに安心して、私はつい前みたいな感じで勢い良く黒尾に寄り掛かった。
 黒尾からはドキドキするけど、自分から黒尾の背中や肩に触れたり軽く叩いたりするのなんて日常茶飯事だ。
 だけどそれも久しぶりで驚いたのか、隣に座る黒尾の身体がびくっと跳ねてたのが可笑しくて。さっきの仕返しに揶揄ってやろうと顔を上げた私は、

「え」

 予想外の黒尾の表情に、思わず次の言葉を失った。

「な、に」
「え、や、……え?」
「え?」
「や、なんも……」
「なんも、って顔じゃ……」

 ないけど。ちょっと驚いた黒尾が見れると思ったのに、それで良かったのに、そんな、頬を染め上げたとこなんて……見たことないよ。
 目をまんまるにして固まってしまった黒尾に、突然空気が変わる。私は息が出来ないくらいにまた一気に緊張し始めた。

 どくん、どくん。肩に寄りかかったままじゃ、こんな体勢じゃ、見上げた距離が近い。触れているところが熱い。それよりもなによりも、不意に見つめ合ってしまい心臓が暴れ出す。
 
 黒尾の目に映り込んだ私もみるみる赤くなって、それがりんごみたいだなんて場違いな感想。いや自分のだし。ひっどい顔。でもこんなの、嫌でもそうなっちゃうよ。それで私は。

「黒尾、好き……」
 
 気付いたときには、膨れ上がったその想いがポロリと零れ落ちていたのだ。
 それを聞いた黒尾がぱちぱちと瞬きを繰り返して、それから「んだよそれ……」って息を吐いたのにハッと我に返って。

 言っちゃった! あんなに言うの我慢してたのに……こんな何でもないときに言っちゃったんだけど!? って後悔。
 でもしょうがないじゃん、黒尾のことほんとにほんとに好きなんだもん。黒尾好き、って思ったんだよ今。言いたくなっちゃったの!

 だけどその一言をきっかけに、まるで膨らんだ風船が弾けたみたいに、今度こそいつも通りの空気が流れ始めた。
 あーあ、残念。やっぱり作戦は失敗?
 だってこれは、ちょっとくらい押すのをやめたところでもしかして本気にしてもらえないんじゃないか。いや、今告白する予定ではなかったし本番は別にあるんだけど。だからちょっと安心でもあるんだけど。

「もーどうやったら黒尾は私のこと好きになってくれるの〜!?」

 安心ついでについこんな本音も声に出して飛び出しちゃって。

「……それはどういう?」
「そのまんまの意味! 黒尾が私のこと好きになってくれたらなぁーって!」
「そもそも好きじゃないとか言ったっけ?」
「へ?」
「だから。俺が苗字のこと、……」
「あっ夜久と海くん戻ってきた! 二人ともおっそいよー!」
「……」

 ギイ、って錆び付いた音に振り返ればビニール袋を持った夜久と海くん。屋上の入り口から「めちゃくちゃ混んでたわ」って不機嫌な夜久に私はピースを送る。

「へっへー、でも罰ゲームだから仕方ないよね〜」
「一位が二人いるなんて無効だろ」
「だから海くん勝負に入ってないのに気遣って夜久に付き合ってくれたんじゃん」
「そうだけどさー」
「それに小テストの点数で勝負しよって言ったの夜久だよ?」
「くっそー! 黒尾はともかく苗字がそんなんで頭良いの腹立つわ!」
「なんでよー!」

 奢ってもらったメロンパンとチョココロネを受け取り、私はご機嫌。いつもとは違う屋上でお昼なのもあってワクワクしちゃう。

「あ、ごめん黒尾。今話の途中だったよね」
「……いや、なんも」
「え?」
「忘れたわ」
「えー、今話してたのに? 黒尾までおじいちゃんになっちゃったの?」
「オイ」

 忘れたってことは大したことじゃない? のかな? 私はちょっとだけドキドキしちゃったのにさ!
 さっきからくるくる変わる黒尾の表情に、私は踊らされっぱなしだ。今だって真剣な顔で格好良いって思ったのに。

 ふと視線を外すと、海くんと目が合う。

「?」

 そのままにこって笑うから、私もよくわかんないまま笑って返した。
 そこで丁度、ぐう、と大きくお腹が鳴ったから。気を取り直して、四人仲良くランチタイムの始まりだ!

見えないラインのあちら側

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