黒尾中編 推して駄目なら fin

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 それが私にとっての日常だった。

「え、黒尾セーターのサイズ変えた?」
「ぶっ……! なんで分かんの? こえーわ」
「むしろ私が気付かないと思う? てか三年になって買い替えたの、勿体なくない?」
「仕方ねえじゃん、ちっちゃくなっちゃったんだから」
「それセーターがちっちゃくなったんじゃなくて黒尾がデカくなったんだよ」
「まぁネ」
「まっ。嬉しそうにしちゃって〜可愛いなオイ」
「俺のこと可愛いって言うの苗字だけだと思いまーす」
「えっごめんちゃんと格好良いとも思ってるよ? 黒尾超格好良い!」
「そりゃドウモ」

 いつも全力投球で自分の気持ちを伝えているんだけど、当の本人にはいまいち伝わっていない。毎回私の言葉に呆れたように笑って、はいはい、って流されるのが常。

「前着てたセーター、苗字着る?」
「えっ……! いいの!?」
「百万な」
「百万!? うぐ……貯金が全然足りない……かも」
「ほんとに買おうとしないでください」

 いや、面白がってるってのが正解かな? 真面目に返した私にツボったのか教室中に黒尾独特の笑い声を響かせ、その目尻に涙まで滲ませて私の肩をバンバン叩く。
 本当にそれを呆れたように見ているのは共に同じクラスの夜久の方で。

「お前、また苗字で遊んでんのかよ」
「だって苗字今日も俺のこと好き過ぎんだもん」
「そうなんです」
「苗字もドヤ顔やめろ、それと一回眼科行った方がいいぞ」
「いやーもう手遅れかも」
「えっ黒尾までそんなこと言う!?」

 黒尾と夜久、それからたまに海くんも混じってふざけるこのわちゃわちゃ感が楽しい。うちのバレー部男子、面白い。
 さっき肩に触れた感触も、今日も存分に構って揶揄ってくれる好きな人の声も、私にとって贅沢な日常だ。
 だからこれ以上は望まない。『苗字名前は黒尾推し』っていうのはある意味このクラスの常識であり、黒尾も公認であるこの関係はそれ以上にもそれ以下にもならない。

「ねーねー黒尾サン」
「なんですかー」
「ガチで好きになって良い?」
「ダメです」
「でももう好きー」
「今の聞く意味あった?」

 いいじゃん、推し活万歳。好きな人に好きなときに好きって言えるの、良くない? 現にこうやって構ってもらえるわけだしさ、最高じゃない?
 それに黒尾は迷惑だったらちゃんと言ってくれる男だってところも良い。一年の時から地道に築き上げてきたこの関係は今のところ笑われるだけで拒否されていないから、私は安心して黒尾を推せるのだ。

「じゃあ一個お願いなんですけど」
「うん?」
「朝の小テストの範囲、どこだっけ」
「珍しいね、勉強してこなかったの?」
「昨日の夜しようと思ったんだけど、範囲メモしたやつどっかにやってふて寝した」
「ふて寝」
「そ」
「ふふっ……ふて寝」
「早く教えてちょうだいよ」
「教えたら好きになっても良いの?」
「あー、好きにすれば?」

 あー、ずっと席替えしなくてもいいのになぁ。黒尾と前後のこの席ってだけで毎日超楽しいし、眠気と戦う古文も苦手な英語も、なんだって頑張れるのに。
 小テストの範囲を教えてあげると「さんきゅ」って笑った黒尾にまた胸がきゅん。
 そうして私は今日も最高のスタートを切ったのだ。




「苗字ってまじで黒尾のこと好きなの?」
「えっ好きだよ」
「はは、気持ち良いくらい即答だな」
「だって夜久が変なこと聞くからー」
「変なのはお前だぞ」
「ひどーい。海くん、なんか言ってやってよ」
「……」
「無視!?」

 手元の資料をホッチキスでパチンと止めると、「ちゃんと揃えろよ」ってすかさず隣から飛んでくるご指摘。分かってるよう。
 放課後、今日は委員会でクラス分の資料作りを頼まれていて、学級委員である五組の私と夜久……それから四組の海くんはうちの教室で一緒にその仕事をこなしていた。

 月一回ペースであるこういう集まりでの話題は、専ら黒尾のこと。ていうか毎回同じこと聞いてくる夜久はなんなの? 忘れちゃうの? おじいちゃんなの?

「なんか失礼なこと考えてただろ今」
「怖っ」
「苗字の考えてることなんてすぐ分かる」
「だぁいじょうぶ、基本黒尾のことしか考えてないから!」
「怖っ」
「ちょっと!」

 夜久と言い合う私をニコニコ見守りながら、着実に自分のクラス分の資料を作っていく海くん。海くんとペアの女子は今日は風邪でお休み、だから一人でやってるのに、どうしてそんなに早いんだろう。
 それに気付いた私は止まってた手を動かしながら、相変わらず止まらない口は相変わらず黒尾の名前を発する。

「どうやったら黒尾に本気だって伝わるかなぁ?」
「うーん……しばらく好きって言うのやめてみたら?」
「海くん……それはもしかして押して駄目なら引いてみろってやつ!?」
「そうだね」
「苗字、それ出来んのか?」
「いやぁ……正直自信はない……」

 だって私、黒尾が視界に入ったらすぐに飛んでっちゃうし。考えるより先に行動しちゃってる、これは最早反射的なアレなのだ。
 それに今なんかせっかく席も近いのに、押さないと勿体なくない!? 隙あらば押したいし推したいんだけど!?

「苗字には難しそうだね」
「ほんと……」
「そんなだと、もし黒尾に彼女なんか出来たら大変だな!」
「え!? 黒尾に彼女!?」
「うっせえ!」
「え、ちょ、え? 何今の話、私聞いてない!」

 待って、何!? 今のは聞き捨てならないんだけど!? 私は焦って隣に座る夜久に詰め寄るけど、夜久は耳を塞いで呆れた顔をするだけで。

「いやもしもの話……」
「おーいお前らまだ終わんねぇの? とっくに練習始まってんだけど」
「、黒尾!」
「やべ、もうそんな時間か!」

 突然降って来た声にびくっと肩が跳ねた。振り返るよりも先に、脳が黒尾だって認識する。
 そうしてその姿を視界に入れると、……え、黒尾いつもの制服じゃない!(格好良い!)

 バレー部の真っ赤なジャージ。どうやらお喋りに夢中になりすぎて、部活がある夜久と海くんを拘束してしまっていたらしい。
 私は慌てて、持っていた最後の資料もパチンとホッチキスで止めた。

「ごめん、あと私やっとくよ! 職員室持ってくだけだし」
「いや、どうせ職員室通るんだから一緒に行こうぜ」
「苗字一人で持つには多いだろ」
「確かに……じゃあごめん、お願い!」

 バレー部優しい! ごめん、夜久ってばおじいちゃんなのとか思って!
 リュックを背負って立ち上がると、夜久と海くんも立ち上がりそれぞれスポーツバッグを肩にかける。前を歩く二人、その後ろに私と黒尾。思いがけずまた黒尾と会えてラッキー、って横目で見上げれば、ちょうど黒尾もこちらを見るからバチンと重なった視線。

「……なんですかぁ」
「部活着も似合ってんね!」
「苗字は相変わらずですね」
「へへ、ありがとう!」
「別に褒めてねぇんだよなぁ」

 だって黒いシャツに赤いジャージ、めっちゃ格好良いじゃん。何回でも言っちゃうよ。
 なのに、それっきり黒尾が喋らなくなっちゃって焦る。あれ? もしかして本当に言い過ぎてウザかった? 

 心配になったから落としかけた視線をもう一度上げて黒尾を見上げるけど、当の本人は真っ直ぐ前を見ているだけでその横顔からは何も読み取れなくて。

「……黒尾?」

 私は、いつもよりほんの少し小さな声でその名前を呼んだ。すると黒尾はすぐにチラッとこちらを見て、無言。

「……」
「……」
「……」
「……」
「え、と……」
「彼女、いねぇから」
「……え?」
「しばらくは作んないと思うし」
「え、……な、なんで?」
「なんでって……作って欲しい?」
「作らないで欲しい!」
「ぶっ……声でか」
「苗字うっせえぞ!」
「ごめんっ」

 顔を顰めた夜久が振り返って、……それに謝ってはみたけど私の意識は最初から黒尾にしか向いていない。
 ドキドキといつもよりちょっとだけ速い心臓の音。ソワソワと変に心が浮き立つのは絶対今の黒尾のせいだ。

 さっきまで無表情だったくせに、不敵に笑った黒尾が言った言葉はまるで私のためだって言ってるみたいで。流石に自意識過剰か。いや、分かってる、分かってるけど。
 それなのに私は頭の中でゆっくりと今の言葉を反芻して、そしたらニヤけてしまうのも抑えきれなくて。

「顔」
「だってぇ」

 いつもしてるようなそのやりとりもなんだか胸が擽ったくて、やっぱり口元が緩んで仕方ないのだった。

ただのファンのひとりです

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