500,000 リクエスト企画

偽りだらけの愛でいい



「この前隣のクラスの女子が、夜久がカッコいいとか言ってたぞ」
「……ほう」
「んな余裕でいーの? ライバルじゃん」
「……まぁ、仕方なくない? 実際夜久はカッコいいもん」
「苗字サンってば弱気〜」

 そう言いながらも私の反応を窺うようににやにやと口元を緩めている黒尾はほんっと性格悪いよね!

 でもわざわざ私が一人になったところを捕まえて購買まで付き合わせて、なんやかんやで紙パックのジュースを奢ってくれたりして、実は優しいってことも知ってるから嫌になる。黒尾、私もその話聞いてたって知ってるんでしょ。だから慰めようとしてくれてるんでしょ。
 流石我らが主将様、そういうとこは本当目敏いよね。……でもさ。

「まぁまぁ、夜久はなんやかんや言って苗字みたいなのが合うと思いますよ、ボクは」
「みたいなのってなによ、嫌味?」
「まっ! 嬉しいくせに素直じゃないわねこの子ったら」
「……まぁでも、黒尾がそう言うならそうなのかもね〜」
「え、ツンデレ? 今更流行んねえぞそんなの」
「うっさいなー、黒尾に関係ないじゃん」
「お、やっくんにしか興味ないですってか。妬けるねぇ」
「もー揶揄わないでよっ!」

 もうちょっと。あとちょっとだけ私のことを見てくれたって良いじゃない? 言おうとして、その言葉は昼休みの喧騒の中に消えていく。

 黒尾は私が夜久のことを好きだと思っていて、私は私で黒尾と話すきっかけになるならと今までずっと相談に乗ってもらうフリまでしていたんだから自業自得なのだ。
 だからこんな今更『本当は黒尾のことが好き』だなんて言えるわけがなかった。

 チラッて横目に見た黒尾はいつも通り何を考えているのか読めない表情で、前を向いている。目合わないかな、なんて願っても私たちの視線が絡むことはなく……今日も私はこのもどかしい距離感を縮められなくて。



「はああ最悪もう無理死ぬ……」
「お前三日に一回は死んでるよな」
「そこは優しくするとこ! 夜久ってばそういうとこがダメ! 出直して!」
「お前もそういうとこだぞ! 大体なんで俺が……」
「え、……もしかしてなんか言われたの?」
「『苗字のことどう思ってるか』って聞かれた。その質問何回目だよっての」
「……それはごめん」
「ほんとにな」

 昼休みの黒尾とのあの会話でへこんでる私に舞い込んできた噂は、更に私のメンタルをボコボコにするものだった。
 黒尾に彼女が出来た。そう話していたのは、廊下ですれ違った名前も知らない後輩の女の子たち。
 やばくない? 絶対今日は朝の占いで最下位だったに違いない。そう言いたくなるくらい私にとっては最悪なことばかりが続いてる。

 今は部活の休憩中。いつもだったら黒尾の近くにいる私も今日だけはそんな気になれず。
 自業自得とは言え毎日好きな人に他の人との仲を応援されて、それにもぎりぎりのところで耐えていたのに……こんなのあんまりだ。
 唯一全てを知っている夜久は呆れたように私を見るけど、私だってもうどうしようもないんだもん。

「……夜久は黒尾の新しい彼女、知ってるの?」
「は? 知るわけねぇだろ」
「そっか……でも知ってても私には言わないでね」
「はぁ……そんな顔すんならもう黒尾に言えば?」
「なんて?」
「本当は黒尾が好きだって」
「無理だし……てかもう遅いじゃんー……」

 きりきりと胸が締め付けられて苦しいよ。ゆっくりと目を閉じると視界がシャットアウトされる代わりにじわじわと涙が滲み出して、私は慌てて体育座りした足に顔を埋めた。

 一年の時からずっと黒尾が好きで、素直になるチャンスは何度もあったはずなのに。黒尾だって今まで彼女なんていなくて、……もしかしたら黒尾も、とか。ちょっとは思ったりしてたのに。
 
 なんでなにも教えてくれないの。なんで彼女なんか作っちゃうの。前に、私が夜久に告白するまでは俺も安心して彼女とか作れねえなあって言ってたじゃん。黒尾の嘘つき。ばか。

 失恋ってこんな感じなんだね。後悔でいっぱいの胸は想像よりずっと苦しくて。すん、と鼻を啜ると隣からはため息。……だからもう少し優しくしてってば。

「部活はちゃんとしてくれよ」
「……分かってマス」
「……今だけ俺のジャージ被っとく?」
「……やっくんのじゃ小さくて隠せない」
「んな小さくねぇわ」

 ぺし、と頭を叩かれて、私は肩を揺らす。いつもと同じ夜久が今は有難い。そのまま上からジャージを被せられて、私は真っ暗な中で少しだけ泣いた。




 その日の帰り道。いつもってわけじゃないのに、失恋が確定した今日に限って黒尾と二人で帰ることになっているのはどうして?
 研磨くんは新作のゲームを受け取りに行くとかで先に帰ったし、夜久は海と寄るところがあるから黒尾に送ってもらえって……余計な気を遣わないで欲しい。

 ていうか黒尾は黒尾でなんで素直に送ろうとしてんの!? 私じゃなくて彼女と帰ればいいじゃん、彼女は帰宅部なの? ……とか、聞けるわけもなく。
 どこまでも素直になれない私は黙って黒尾の隣を歩き、お昼休みより格段に気まずい二人だけの時間にどんどん気持ちが沈んでいく。

「苗字、さっき夜久と話してたじゃん」
「え、なに……見てたの」
「まぁ俺は? 苗字の相談役なんでね、見守る義務があるわけですよ」
「……なにそれ、きも」
「はぁ? ジャージなんか借りちゃってすごーい良い感じに見えたんですけどぉ、黒尾クンに報告とかないんですかぁ?」
「ないよ、ばか」
「ないんかーい」
「黒尾こそ……」
「ん?」
「……なんにもない、ばか」
「なんだそりゃ」

 はぁ、と静かに息を吐いて、涙を堪える。もうやだ。全部やだ。全部なかったことに出来ればいいのに。この気持ちごと全部。
 冷やかすみたいに戯けた黒尾も、いつもみたいに乗ってこない私に違和感を感じたらしい。
 「なんかあったか?」「夜久になんか言われた?」って真剣に聞いてくれるその声色に私はまた目頭が熱くなって、ただただ足下を通り過ぎるアスファルトを睨み付けていた。

 じとりとした空気が肌に纏わりつく。無言の時間が過ぎて、またさっきみたいに気まずい空気が流れて。

「苗字」

 って。優しく私を呼ぶ黒尾にぽろ、と堪えきれなくなった涙が溢れた。やめてよ、不意打ちじゃん。なのにその後を追うように、涙は止まらない。
 突然ぼろぼろと泣き出した私に黒尾は「えっ」って驚いたみたいに声を上げて、それからもう一度私の名前を呼ぶ。

 それがやっぱり優し過ぎて、こんな時なのにこれから先もずっと黒尾にそんな風に呼んでもらえる彼女が羨ましいなあって思った。

「……苗字、ちょっとだけ動ける? ここじゃ車、危ねえから」
「ん……」
「あー……嫌じゃなかったら手ぇ引きますけど」
「え、?」
「そのまま顔見えねえように下向いてていーから。……ん」
「う、ん……」

 遠慮がちに伸びてきた手が、私の右手をとって。触れたところからビリビリと痺れるくらいに熱い。黒尾はそのまま、まるで小さい子にするみたいに私の手を引いてくれる。
 私は言われた通りに下を向いたまま、だけどドキドキしすぎて涙なんてとっくに止まっていた。触れている指先にばっかり意識がいって、息をするのも躊躇われるくらいに緊張する。
 今この瞬間で時間が止まれば良いのに、って馬鹿みたいなことも考えた。

 近くの公園までやってきたところで自然に離れていった手に名残惜しさを感じるのは私だけ。
 ゆっくりとベンチに腰掛けて、黒尾も隣に座ったけれど微妙に空いた距離が寂しくて悲しい。

「落ち着いた?」
「うん……」
「急に泣くからビビったわ」
「ごめ、ん」
「いーえ」

 そう言ってちょっとだけ笑った黒尾は、そのまま黙り込む。理由、聞かないんだ。もし私が逆の立場なら聞いちゃうかもしれないな。
 こういう黒尾の優しさが狡くて、そういうところが大好きで、でももうそれも私じゃない誰かのものなんだって思うとやっぱり苦しい。

 変なプライドで夜久が好きだなんて言わなきゃ良かった。ちゃんと黒尾が好きと言えていたら、今とは違う未来があったんだろうか。なんて今日だけで何度も思った。
 だけど何度思っても足りないくらいに私はやっぱり黒尾が好きで、失恋したってことを認められなくて。

「……黒尾の彼女って、誰?」

 こんな聞きたくないことも聞いてしまうくらいには、まだ現実を受け入れられなくって。

「は?」
「隠さなくていいって。聞いたよ、彼女出来たって」
「……なにそれどっから?」
「誤魔化さないでよ……」
「だっていねえもん、彼女」
「……うそ」
「ほんと」
「でも、」
「……まぁ好きな奴はいるけど」
「は……」

 一瞬。ほんの一瞬、浮き上がった心はすぐにどん底まで落とされる。思わず見上げてしまった黒尾は笑ってもなくて、だからと言っていって怒ってるわけでもなくて、微妙な表情をしていた。その表情の意味は私には分からない。
 でも黒尾が今言ったのが本当なら、どっちにしろ最初から私に望みなんてなかったってこと? 好きな人がいるなんて初耳、そんな話したことなかったじゃん。
 ゆっくりと瞬きを一つすると、睫毛に残っていた涙が落ちていった。

「てか突然なに? 急に恋バナ?」
「や、……」
「ほらほらいつもみたいに俺が聞いてやるから。話してみ?」
「な、なんにもない」
「ここまできてなんにもなくはないでしょうよ」
「なんにもないもん……」
「だから、」
「だって私の好きな人は黒尾で、黒尾は他に彼女が出来ちゃって、だから私にはなんにもないんだもんっ!」
「………………は?」
「あ」
「あ?」

 ぱちり。また瞬き。フリーズしたのは私だけではなく黒尾も一緒で、だって今私……何て言った?
 サァッと血の気が引いていく。何を考える間も無く私は立ち上がり、鞄を引っ掴んで逃げ出そうした、そんな私の手は後ろから引っ張られて。

「ちょっ……待て待て待て」
「や、無理っ」
「無理じゃない!」
「無理! 離してっ」
「ちょ、暴れんなって」
「はーなーしーて!」
「苗字っ!」
「っ、」

 さっきより更に流れてくる涙に、私の頭は『どうしよう』でいっぱいだった。じゃり、とスニーカーが砂を踏む音がやけに耳に響く。最悪。言っちゃった。最低のタイミングで言っちゃった。
 黒尾は私を逃さないようにさっきよりしっかりと手首を握り込んでいて、私はそれを話そうと必死にもがく。

 だけど黒尾の力になんて敵わず、結局諦めたときにははぁはぁと荒い息を吐いて掴まれていない方の腕はだらんと身体の横に垂れ下がっていた。

「色々聞きてえんだけど」
「無理」
「……今言ったの、まじ?」
「知らない」
「夜久は?」
「……知らない」
「……言い方変える」
「……」
「俺は彼女なんか出来てねえし、でも今目の前にいる人が好きだから出来るならその人に彼女になってもらいたいんですけど」
「…………?」
「……それ、苗字のことなんだけど」
「は、」
「……これでもまだ、教えてくんねえの?」

 って。黒尾は私を真っ直ぐに見つめて、……私はその瞳に吸い込まれそうになって息が出来ない。だって、……え、だって?
 何度も何度も今言われたことを頭の中で繰り返して、やっぱり分からない。黒尾、何言ってんの? って。それなのに緩々と口角が緩み、それを見た黒尾はちょっとだけ嬉しそうに笑うから私はもうどうしたらいいのか。

「んだよ、もー……夜久なら仕方ねぇなって、ずっと我慢してたのに」
「……く、くろお」
「待って今こっち見ないで」
「……なんで?」
「結構俺も泣きそう」

 そう言う黒尾の声は本当にちょっと震えてるから、今度こそ私も笑ってしまう。嘘、ほんとに? どうしようちょっとまだ信じられないんだけど。
 でもさっきとは違う、しっかりと絡められた指の温度は本物で。もしかして、まだ間に合うの?

 私はゆっくりと唇を開いて、それからずっと言えなかった気持ちをようやく音に乗せる。熱を含んだそれはしっかりと黒尾に届いたって、その顔を見れば嫌でも分かってしまった。


2022.08.01.
title by 炭酸水

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