500,000 リクエスト企画

背伸びしたスカイブルー



「木兎」
「んー?」
「好き」
「えっ」
「私、木兎のこと好きだよ」
「俺も苗字好きだぜ!」
「……ほんと?」
「ほんと! そんな嘘付く意味ねーじゃん! ……あ、赤葦ーッ!」

 まるで太陽のように、又はその下で元気に花開く向日葵のように、全開の笑顔でそう言い切った木兎はすぐに向こうへ行ってしまった。もう、赤葦。トイレから戻ってくるの早いって。
 そして余韻を感じさせる間もなく、今度は入れ替わるようにして隣にやってきた木葉。一瞬だけ合ったその視線の意味に、気付かない程私はバカじゃない。それでも気付かないフリして結局視線はまた木兎を追いかけていて、木葉もそれには流石にため息。

「まじで、毎回毎回こっちが変に緊張するからやめろよ……」
「えー? なんで木葉が緊張してんの」
「いやだって、」
「こっちは毎回ガチなんですけど」
「そうだろうけどさ……」
「最早命賭けてる」
「そんなことで命賭けるな」

 お互い体育館の壁に背を付いて、前を向いたまま。練習も終わり、自主練で木兎に付き合っているメンバーを眺めながら私と木葉が毎回こんな会話をしていることなんて、木兎は知らないだろう。きっと想像もしない。

 木葉は信頼できるチームメイトで、三年間同じクラスの同級生で、それからいつも相談を聞いてくれる男友達でもあった。相談の内容は、専ら木兎のこと。今日は先に帰った雪絵とかおりんと、木葉だけが知っている私の想い。
 いやさ、ぶっちゃけ私だって木兎を好きになるだなんて思ってなかったんだよ。どっちかっていうと木葉のが好みだし。

 なのに、一年の時からずっとマネージャーとして一緒に過ごす中で目を惹くのはいつだって木兎だった。
 裏表のないあの笑顔と、試合中本っ当に集中しているときの真剣な表情のギャップ。あれはずるくない? あんなの好きにならないわけないじゃん。
 だけど木兎は中々の鈍ちんで、私がどんなにストレートに好きって言ったってさっきみたいに返されてしまう。そこにライク以上の意味があるだなんて気付かない。
 私は私でまだ振られる覚悟はないから、必要以上に踏み込めない私たちの距離はずっと変わらず平行線だ。

 だから全然『そんなこと』なんかじゃない。文句を言おうとした私を遮るように、木葉がピンと指差したその先。

「!」

 木兎の大きな瞳と目が合って、……こちらに駆け寄りながら炸裂するにっこにこな笑顔に、言いたいことも忘れてぎゅんと心臓を掴まれてしまった。

「木葉も入れよ!」
「……あーもう、木兎お前今日やりすぎ。ちょっと交代な」
「ええっ!?」
「木兎さん、さっきからスマホ鳴ってますよ」
「えっ、……あぁ! やべ、今日夜婆ちゃん家行くから早く帰ってこいって言われてたんだった!」
「じゃあ今日は終わりだな」
「くそ〜……まだ全然足りねえよぉ〜」
「木兎さん、急がなくて良いんですか」
「うぐぐぐ……急ぐ!」

 そうやって、ドタバタしながら自主練を終えた私たち。木兎はここから直接お婆ちゃんの家に向かうらしく、いつもは校門を出てすぐの曲がり角で別れるのに今日はおんなじ方向だって。……私は私でいつもは雪絵とかおりんと帰るから、実は木兎と二人って初めてで。
 別れ際に木葉が意味深に私の肩を叩いてったけど、やばい、そういうことされると緊張しちゃうってば。

 皆に手を振って、歩き出した私たちは木兎がいるのにいつもより静か。――木兎しか、いないから?
 ローファーの裏で砂利を踏む音だけがたまに響く。それくらい二人の間には沈黙があって、私を更に緊張させた。

「お、お婆ちゃん家ってここから近いの?」
「うん、家より近い!」
「そうなんだ……」

 とくとくとく、と普段より少しだけ速い心音。また沈黙が訪れて、なんか喋ってよって思うけどそういう自分はなんの話題も出てこない。いつもは超どうでもいい話ばっかりしてるのに、こんなときに限ってなにも出てこないんだから困る。

 っていうか私が黙ってても木兎はいつも一人でベラベラ喋ってんじゃん。だけど今は試合前に集中してるときみたいに黙り込んでるっていうか……なんかあった? とか、聞くべき?
 そうやってもう何度目かの、小さな深呼吸をしたときだった。

「苗字って木葉と付き合ってんの?」

 つま先を見つめていた私は、隣の木兎を見上げる。目が合った瞬間大きく胸が跳ねて、だけど先を越された質問の意味は分からなかった。

「え?」
「お前ら仲良いじゃん! 小見やんとも話してたんだけどさぁー」
「……付き合ってたらいま木兎と二人になってないでしょ……」
「えっ、もしかして俺ってお邪魔虫!?」
「……」
「なんだよ言ってくれよー」
「見当違い過ぎ、そんなんじゃないし……」
「なんで!? 木葉は良い男だぜ!」
「知ってるよ……」

 でもその良い男より、どうしようもなく馬鹿なアンタのこと好きになっちゃったんでしょうが。そんなことは言えない。肝心なところでは、私の『好き』は言葉にならない。
 ていうか、確かに冗談だと思ってるかもしれないけど、あんなに『好き』って言ってたのに。そろそろちょっとくらい意識してくれても良いと思うんだけど……どうしてそこでいつもみたいな単純さを発揮してくれないの!?

 木兎のバカ。告白出来ない自分は棚に上げてジトリとした視線をやれば、何も分かっていない木兎はこてんと首を傾げるだけ。
 身長も体格も、平均よりずっと大きい男がそんな仕草をしたところで、……って思えないのは惚れた弱み。なんだよ、可愛いかよ。

「私、好きな人、いるし」
「え!? そうなの!?」

 結局今はこれが、精一杯の勇気だ。肯定の意味を込めて頷くと、予想通り木兎は相手が誰か聞いてくる。木兎、とは言えない。言わない。まだ。
 だから私は、手を顎に添え考える仕草をする木兎をただドキドキしながら眺めているだけ。

「……木葉?」
「だから違うってば!」
「えっまさか赤葦?」
「違う」
「じゃあー……鷲尾? 猿杙? 小見?」
「全員言ってくのナシ。ていうかバレー部縛りなのなに?」
「え? じゃあ俺の知らない奴!?」
「…………知ってる、けど」
「なぁんだよもー! 誰だよ!」

 自分のことだとは一ミリも思わず頭を抱える木兎に呆れと、それからそういう鈍感なところもなんだかんだ言って好きなんだから自分って報われないな、なんて諦めと。
 だけどもう私が教えないことを察したらしい木兎は、すぐに切り替えて「俺もさ!」とぎゅっと拳を作る。

「うん?」
「今日好きって言われた!」
「……うん?」

 俺もさってなんだ。いや確かに言ったけど……今言う? 数十分前の自分の行動を思い返し、なんて反応したらいいのか分からず黙り込んだ私がどうやら木兎は不満らしい。
 小さい子が拗ねるみたいに唇を突き出して、でもそういうことじゃなかったみたいで。

「一年の子! 今日の昼休みに!」
「……え?」
「やべ〜俺モテ期じゃん! って思ったんだけどこの話しようとしたら誰も聞いてくんなくてさぁ〜」
「へぇ……え?」
「あっでもこれまだ言っちゃいけねえやつだった! だからナイショな!」

 いや、言っちゃってるじゃん。なんてツッコミは言葉にならなかった。好きって言われたって、告白? 顔も知らない、一年生? ……木兎に?
 意味が分からず、……でもこれだけは理解した。今さっきあの瞬間が、無謀でもなんでも、木兎が好きって言う最後のチャンスだったんだって。

「……ナイショなんだ」
「うん! なんか恥ずかしいんだって! 俺それ聞いて、うわっカワイーって思っちゃってさあ」
「……じゃあ付き合うの?」
「おう! 明日一緒に昼食う約束した!」
「お、めでと……」
「さんきゅー!」

 あ、やばい。ギリギリと胸が締め付けられる。きゅうって喉の奥が苦しくなった。相変わらず木兎はその一年生の話を続けるけど、もう何も頭に入ってこない。だって聞きたくないもん、他の女の子を特別に褒める木兎の話なんか聞きたくない。
 さっきまで舞い上がるほど嬉しかったこの時間が、今は早く終われと思う。ローファーが踏む硬いアスファルトの感触にも、肌を刺す冷たい空気にも、全部に文句を言いたくなるくらい泣きたくなった。隣にいた木兎が急にすごく遠くに行ってしまった気がして。

「木兎」
「ん?」
「私も……好きだよ、木兎のこと」
「なんだよー! 照れるじゃん、俺も苗字好きだぜ!」
「……うん、ありがと」

 悪あがきにすらならない。今更もう遅い、後悔してもしきれない。何度伝えても木兎の『好き』は私と同じ『好き』にはならない。いつもと同じ、木兎の明るい声に胸が苦しくなった。




「で?」
「失恋しました」
「まじかよ……」
「大まじだよ、今日退部届け持ってこなかった私ほんと偉い……」
「は? いやそれはやめろよ」
「冗談だよ、そんなことしないよ」
「エッ苗字部活やめてえの!?」
「うわ」
「木兎……」
「今の何!? 何で!?」
「冗談だって」
「ビビるからそういう冗談言うなって!」

 私と木葉の会話を聞いた木兎が怒ったように言うけど、怒りたいのはこっちなんですけど。
 ……分かってるよ、悪いのは全部自分。でも木兎だってもうちょっと、もうちょっとだけ私のことをちゃんと見てくれたら良かったのに。
 昨日の感じだと、皆が木兎に彼女が出来たことを知るのもきっと時間の問題。木兎が話すのを我慢出来るわけがないもん。昨日みたいな話、毎日聞かなきゃいけないの? 

 あーキツ……考えるだけで無理すぎる。木兎から目を逸らすと、逸らしたのに、木兎が私の手を掴む。
 え。びっくりして漏れた音はそれだけじゃない、木兎がぐいっと顔を寄せて来たからで。

「昨日の、ナイショだからな」
「……分かってるよ」
「その代わり俺も、木葉のこと協力するし!」
「……っは!?」
「ちょ、シー! シーっ!」

 いや、今のはアンタの方が声でかかったって。本当に内緒にする気ある? 私が言っちゃったから木葉はもう知ってるけど、言ってなくても絶対今のでバレてたからね。
 言いたいことを言って満足したのか、赤葦の方へ行ってしまった木兎。その背中に、また胸が痛い。

「……なんでそんなことなってんの」
「知らないよ、バカ……」
「もしかして木兎の相談するフリして実は俺のこと、」
「違うし」
「デスヨネ〜」

 木葉とはどこまでいっても仲の良い友人止まりだ。例え好きな人に彼女が出来たって、その人にありもしない恋を応援されたって、そこは変わらない。てかあのとき否定したじゃん、私。
 なのにそれからというもの、木兎からの気遣いが酷いのだ。気遣いが酷いなんて日本語が変なことは百も承知。だけど本当に酷い。私と木葉をくっつけようとしてくるのだ。
 こんなの、毎回木兎に振られてるようなもんじゃん。辛いんだよ。自暴自棄になって本当に木葉と付き合っちゃうのとか、考え始めてもおかしくないよ。

「でさー!」
「……」

 それから数日経つも、意外にも木兎に彼女が出来たことは、私(と木葉)以外誰も知らない。私も実際にその彼女を見たことないから、本当にちゃんと内緒に出来ているんだ。あの木兎が。それくらい、大切にしてるってことなのかな。
 相変わらず部活で会う木兎はアホ面なのに、そうじゃないところも彼女には見せているのかな。……いいなぁ。

 考えれば考えるほど辛くなって、苦しくなって。今まではただ片想いしていればよかった、好きって言っても伝わらないことに今日もダメだったなぁって軽くため息を吐くだけで良かった。だけど今は違う。 
 木兎が私にわざわざ木葉の話を振ってくるのが日課になって、興味のないその話を笑顔で否定しながら聞き流す。

 そんな私はある日……木兎の声から、他の人を勧める木兎の話から、なにもかもから逃げたくなって不意に体育館の外に飛び出した。

 今は休憩中だからきっと大丈夫。とにかく木兎がいない所に行きたかった。衝動的に、突然、限界がやってきた。
 走って走って、普段はあまり人も来ないような校舎の裏庭。そこで足を止めた私は、崩れるようにして項垂れる。

 え、どうしよう。なにやってんの私。そうやって冷静な自分もいるのに、ぼたぼたと落ちてく涙は止まらない。コンクリートに濃いシミを作っていくそれを、私はただぼーっと眺めるだけ。

「苗字っ!」
「え、」

 びくりと肩が跳ね、突然降ってきた声を見上げた。

「どーした? どっか痛い?」
「な、んで」
「や、走ってくの見えたから……」
「なんで来んのぉ……」

 その姿を見た途端私は更に泣き出してしまい、木兎は困った顔で心配する言葉をかける。
 そういう真っ直ぐな優しさが辛かった。でも大好きだった。もっと早くそれをちゃんと伝えればよかったなぁって、今ならなんとでも言えるけど。

 私のために焦ったように追いかけてきてくれた木兎に、涙腺はバカになってしまったみたいだ。
 子供みたいにわんわん泣いて、木兎は私の隣に座り込んでただ背中を撫でてくれる。木兎にとっちゃ絶対意味分かんないだろうし、私もこの後どうしたらいいのか分かんない。

「好きなの、」
「?」

 もう、ほとんど無意識だったと思う。気持ちが溢れ出して止められなかった。
 だってあのときから私は木兎に「好き」って言っていない。せっかくそれまで少しずつ小出しにして保っていたのに……それが出来なくなってしまったから。
 やばい、とかしまった、とかいくらでも思ったのにやはり止められなかった。

「す、好きで、諦められないの、」
「……諦めないといけねえの?」
「だって、彼女いるもん。もう無理なんだもん」
「えっ木葉って彼女いんの!?」
「木葉じゃなくて木兎!」
「エッ」
「木兎が好きなの私は!」
「!?」

 しっかりと木兎を見て伝えた私は、今までのどの告白よりもぐちゃぐちゃで、不格好で、最悪だったと思う。
 木兎の大きな目が更に大きく見開かれて、息を呑むのが分かる。あぁ、終わった。一瞬にしてそれを悟るけど、私はもう木兎から目を逸らせなかった。

「木兎に好きって言っても全然伝わらないのも、そうやって私がうだうだしてる間に彼女出来ちゃったのも、木葉が好きみたいにして応援されるのも全部しんどいのっ」
「え、ちょ、っと待って苗字」
「好き、ごめん、私が好きなの木兎なのっ」
「ちょっと待って!!!」
「ん゛っ」

 自棄になって大暴露を始める私の口を、木兎が手で覆って黙らせた。直に触れた木兎の体温にこんなときでもドキッとしてしまう、私の睫毛から残っていた涙の粒が落ちた。

「え、ちょっと待って? え? 苗字が好きなのって俺!? 好きな人いるって言ってたやつ!?」
「……ん」
「俺に好きって言ってたって、」
「……いつも、言ってたじゃん」
「あれそういう意味だったの!?」
「そうだよ」
「うっわまじで……え? なら俺ら元から両想いってこと?」
「え?」
「え?」
「両想い……?」
「だって俺が好きなのも苗字だもん!」
「え、……ええっ? ……一年生の彼女は?」
「あれ嘘! 苗字が好きな奴いるとか言うから! 彼女なんていねえし!」
「は、……はぁああ? 木兎そんな嘘つけんの!? それこそ嘘じゃん!」
「嘘じゃねーよ! 俺だってめっちゃショックだったんだよ!」
「……絶対嘘じゃんんんー……」

 どくん、どくん、と心臓が高鳴りすぎて壊れてしまいそう。木兎の手越しに発覚した一つ一つが、全部嘘みたいで。だってこんなの信じられないもん。
 なのに至近距離で絡んだ、木兎の熱を帯びた瞳に囚われて、それが嘘じゃないと教えてくれる。

 木兎の手が、ゆっくりと私の手を握った。いつもとは全然雰囲気の違う木兎に、息が苦しくなる。でもあのときみたいに悲しいんじゃない。辛いんじゃない。木兎が私の名前を呼んで、紡がれた真っ直ぐな言葉に肩が震える。

「苗字が好き」
「……」
「ごめん、苗字は木葉が好きって思ってたから、木葉なら諦めるしからねぇじゃんって思って……」
「私が好き、なのは、木兎だよ……」
「うん。やべえ、今すっげえ嬉しい」
「わたし、も……まだ信じられない……」
「抱き締めていい?」
「えっ」
「今すぐ抱き締めたい」

 返事をするより早く、木兎が手を引いた。重力に従って倒れ込んだ私をしっかりと受け止める分厚い胸。練習着越しにどくどくと鳴る心臓の音は、もうどっちのものか分からない。

「やっべ……部活戻んねえと」
「うわ、今絶対戻りたくない……木兎先戻って」
「ヤダ、一緒に戻る」
「えぇ……」
「この前苗字が退部届とか言ってんの、俺超焦ったんだからな。勝手に出て行くしよォ」
「や、休憩にちょっと出てきただけじゃん」
「ちょっとじゃなかったじゃん!」

 珍しく木兎に口で負けそうになり、未だ抱き締められたまんま見上げた木兎が近くて息が止まる。また。木兎の目に吸い込まれそうになって、でもそこに映っているのが私だってことが嬉しくって。

 「好きだよ、木兎」

 言えなかったときの分までもう一度呟いた言葉に、木兎は一瞬きょとんとした後……太陽のように、又はその下で元気に花開く向日葵のように、全開の笑顔で「俺も!」と更にきつく私を抱き締めた。


2023.03.06.
title by 草臥れた愛で良ければ

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