500,000 リクエスト企画

いつか貴方がくれた言葉



「クロのばーか!」
「おまっ、……子供みたいなこと言うんじゃありません!」
「高三は子供じゃなかったらなんなんですかぁ! あ、クロは自分が大人だと思ってるんだ? へーえ」
「はぁ!?」
「大体いつも部活部活って、そればっかり! もう飽きた!」
「だぁーから、マジなんだからしょうがないでしょうが」
「本気で部活やってんならあんなキャーキャー言われて鼻の下伸ばさないわよ!」
「……ん? なに、もしかしてヤキモチ?」
「はっ……違うし! ばか!」
「あら? あらあらあら? 図星じゃないですかぁ? 顔真っ赤にしてやんの〜」
「も、……!」

 投げたペンケースはクロが言ったことを認めてる証だと、分かっていても抑えきれなかった。
 高校生らしからぬ口喧嘩をしていてもクラスメイト達は気にすることもなく、これらのやりとりは一風景として教室に溶けていく。
 二日に一回のペースでさっきのような口論をしている私たちに夜久はいつも『お前らの仲は一日しか保たないのか』って言うけど、喧嘩していない日はただあまりクロと話す時間がなかったとか、そういう理由でしかない。

「で、またやったの?」
「うう……もうやだ……」
「苗字はもうちょっと素直になったらどうかな」
「それが出来たら苦労しないんだよ、海くん……」

 クロと喧嘩した後は隣のクラスに逃げ込むのも、私にとっては日常で。恥ずかしいくらいにくだらない喧嘩の理由も、海くんだけは優しく聞いてくれる。

「黒尾は苗字しか見てないと思うよ」
「……どうだろ」
「黒尾本人に確認した?」
「してないよ、出来るわけない……」
「聞いてみたら案外すぐに解決するんじゃないか?」
「んん……」

 いつも優しく『黒尾の特別は苗字』って言ってくれて、単純な私はそうかな、でも海くんが言うならそうなのかもしれないな、って絆されるまでがセット。
 だけど、そんなお決まりの海くんの言葉でも今日はダメで。今日の喧嘩の理由だけは、それだけじゃ誤魔化されてくれなくて。不完全燃焼な気持ちはなんとも言えない唸り声となって消えていく。

「可愛い彼女、だったら……」
「うん?」
「ううん……」

 言いかけた言葉は、最後まで言えずに飲み込んだ。

 可愛い彼女だったら。可愛くヤキモチを妬けるような、素直に甘えられるような、そんな彼女だったら、聞けたかもしれないけれど。「昨日一緒にいた子は誰?」って。
 生憎私はそんなことを聞くのにどんな顔をすればいいのか分からないし、付き合っているとは言っても顔を見ればすぐに喧嘩腰になってしまうような女なのだ。

 さっきのクロの表情が、頭から離れない。あんなの好きな子にする顔じゃないと思う。いくら幼馴染の延長線上で付き合っているんだと言っても、私、一応彼女なんだし。
 ……なんて、自分で言ってて傷付くし。
 はぁ。ため息を吐くと幸せが逃げていくとはよく言ったものだ。

 苦笑いする海くんに申し訳ないと思いつつも、私はまだまだ教室に帰れそうになかった。
 昨日の夜、自室のベッドの上で何度も頭を過った光景が思い返される。放課後、部活が終わるくらいに校舎から出てきたツーショット。それはクロと、学年で一番美人と言われるサトウさんの姿だった。

「……って、そういうとこ可愛いと思うんですよ」
「あはは、なんで敬語?」
「えっそこツッコむ?」
「気になっちゃった」
「いやなんか、普通に照れるし」
「黒尾くんって照れたりするんだ?」
「普通に照れる」

 ほんの一部分だけ聞こえてきた会話は、なんのことを話しているのか全っ然分からない。だけど踏み出しかけた足は止まり、私が二人の前に出て行くことは出来なかった。
 だってなんだか私より断然お似合いの二人に見えてしまったから。ぎゅうぎゅうと胸が痛くなって、どうしようもなく泣きたくなった。

 部活終わるまで待ってるって連絡したじゃん……ってスマホを見れば、送ったはずのメッセージはエラーになって送信出来ていなくて。だから勿論、クロは私がここにいることなんて知らない。
 いつもは放課後になると直帰する帰宅部の私が、たまにはクロと一緒に帰るのもいいかな、なんて気紛れに思ったのがいけなかったのだろうか。

 ……たまに彼女らしくしようとしたらこれだもんなぁ。

 一人とぼとぼと帰る道は虚しくて、寂しくて、……私がそれをクロに素直に伝えるとか、勿論出来るはずがない。一夜明けて、さっきの態度。あんなんじゃ本当にサトウさんに乗り換えられる日も近いだろう。

「……ていうかどうしてサトウさん? マネとかじゃないじゃんね」
「たまたま会っただけじゃないか? ほら、今は進路相談とか受験勉強で放課後残ってる人も多いから」
「それで会ったからって一緒に帰る?」
「偶然方向が一緒だったとか」
「そんなのそっからお近付きになって……とかあるやつじゃん〜!」
「ないだろ、黒尾に限って」

 ほんとにない? 言い切れる? 海くんには悪いけど、私の答えはノーだ。クロだって可愛げのない幼馴染の彼女なんかより、美人で性格も良いと評判の学年のマドンナの方が絶対に好きだと思う。好きに、なっちゃうと思う。
 
「自信なくなってきた……」

 あのとき二人は何を話していたんだろうとか、そんなの気になっちゃう自分にもドン引き。こんなに嫉妬深い彼女、私が彼氏なら願い下げだ。キャラじゃないんだから余計に。

「いつまでそうしてんの?」
「……なに」

 海くんの机に項垂れた私に、後ろから投げられた声。突然でビクッと肩が跳ねたけど振り向きはしない。だって顔なんて見なくてもわかる。クロだ。

「海に迷惑ばっかかけるんじゃありません」
「……迷惑なんかかけてない、話してるだけだもん」

 相変わらず可愛げのない返事を返せば、クロは呆れたように「まだ拗ねてんの?」なんて……その言葉はずんと重く私の心にのしかかる。

 昨日のことは切り出せないくせに意味不明な喧嘩をふっかけて、そんなことをされてもこうやって私のところに来てくれるクロは優しいと思う。……クロが優しいのなんて、知ってる。私が一番知っている。だからこんなに心配になっちゃうんじゃん。
 だとしてもここまでネガティブになっているのは珍しくて……理由は自分でも分からなくて。

「ほら行くぞ」
「どこに」
「教室、戻ろうぜ」
「なんで」
「昼休み終わるし」
「サボっちゃおっかなぁ」
「ダメ」

 私の腕を掴んで立たせたクロは、私を真っ直ぐ正面から見下ろす。気まずいからって目を逸らした私に、クロの「俺なんかした?」って言葉にいつもみたいな揶揄いは含まれていなかった。
 私の様子がいつもと違うことを、クロも察している。それが余計に気まずい。

 言いかけて、……やっぱり言えない私は、ただ無意味に口を開いただけに終わる。

「……なんにも」
「嘘」
「ほんと」
「……じゃあ帰ろうぜ」
「……うん」
「ごめんネ?」
「……」

 悪くないくせに、何謝ってんの。謝らないといけない私は頷くだけで、謝罪を口に出来ないのに。
 クロが優しく私に手を差し伸べてくれるから、私はそこにおずおずと手を重ねる。じんわりと感じる私より高い体温。
 指を絡めれば私たちの境界がなくなるように混ざりあい、どうせならこのモヤモヤした気持ちも全部有耶無耶になったらいいのに。それか繋がったところから、私の気持ちもクロの気持ちも全部お互いに分かるといいのに。
 実際は、やっぱり胸がぎゅうぎゅうと痛いまんまだった。

「で、海と何話してたって?」
「……ヒミツ」
「俺には言えないこと?」
「……あれ、もしかしてヤキモチ?」
「あ、バレた? 海が名前ばっかで俺のこと構ってくれなくなったんでね」
「なんっ、……普通そこは私じゃないの!?」
「ん? 名前って言って欲しかった?」
「〜〜違うし、ばか!」

 バシンッ。クロの背中を叩くと、思ったより大きな音が響く。教室に帰った途端に夜久から「仲直りしに行ったんじゃねえのかよ」って呆れられたけど、今のはクロが悪い! 意味わかんないし!




 そうやって結局胸の内に抱えたモヤモヤは解決しないまま、未だ私の中で燻り続けている。気のせいかもしれないけどあの日からクロとサトウさんが一緒にいることが増えた気がして、二人を見かけるのが嫌で、なんとなくクロを避けてしまっていた。

 クロはそれに気付いているのかいないのか……鋭いクロのことだから気付いてる気もするし、逆にもうサトウさんの方に気持ちがいってて私のことなんか全然気にしていなくてもおかしくはないな、なんて自分でも笑っちゃうくらいにネガティブになったり。

 そんな風に思っていた、矢先の出来事。

「名前」
「……うん?」
「話聞いてた?」
「え? うん」
「聞いてねえな」
「聞いてる聞いてる」
「すげえボーッとしてたじゃん」
「聞いてるってば」
「じゃあいま俺なんて言ってた?」
「……」
「ほらな」

 部活終わり、私の家の近くまで来てくれたクロは呆れたように息を吐いた。この間クロからしたら意味不明なキレ方をしたからか、それともやっぱりその日から私のテンションが明らかに下がっているからなのか、気を遣っている感じはある。だってクロがこんな風に平日の夜に用事もなく私のところに来るなんて初めてだ。
 小さい頃からずっと一緒にいて何度も喧嘩してきた私たちだけど、こんなにギクシャクしているのも初めてだった。

 家の隣の公園にあるブランコに隣同士。クロの顔を真っ直ぐ見れない今の私には、この距離感が丁度良かった。

「やっぱなんかあったデショ」
「べっつにー……」

 声が震えるのを誤魔化すように、少しだけブランコを漕ぐ。何度も自分にする言い訳は『なんて言えば良いのか分かんない』。
 頬を撫でる冷たい風が涙腺を刺激して、油断すると言葉に出来ない今の気持ちが溢れ出しそう。

「名前」
「うん?」
「ちょっとこっち向いてくんない?」
「嫌」
「はぁ? なんで」
「なんでも」
「なんでもって……」
「あれっ、黒尾くーん!」

 あ。

 突然聞こえてきた声に、視界に入った人物に……遂にぽろりと涙が落ちた。
 クロの視線が私から声の主に移って、皮肉なことにそうなってからようやくクロの方を見られるようになる私。

 偶然前を通ったのか、公園の入り口の方でサトウさんが手を振っているのが見えた。

「あっ、……ごめん邪魔しちゃったね」
「いや? こんな時間に何して、……?」

 やだ、行かないで。クロが立ち上がろうとしたのが分かって、私は咄嗟に手を伸ばす。
 クロはビックリしたみたいに私を見て、……何も言わずにその手を絡めただけ。
 空いた方の手でその場から、サトウさんに小さくてを振り返していた。

「塾終わりだよ、今帰るとこー!」
「暗いから気をつけてネ」
「ありがと、黒尾くんと苗字さんも! お邪魔してごめんね!」

 気を遣ったのか、すぐに去っていくサトウさんを見れなかった。もうなんか本当に自分でも訳分かんなくって、だけど繋がれた手は自分よりずっと温かい。クロの親指が私の手の甲をそろりと撫でたのがトドメとなって、私の涙腺は決壊してしまう。

 あぁ、最悪。こんなの、っていうかここ最近の私、ずっと意味不明じゃん。ぼろぼろと涙が足元に落ちて、静かな夜の公園に鼻を啜る音だけが響いていた。
 クロは何も言わない。ただ小さい子を慰めるみたいに繋いだ手をぎゅ、ぎゅ、って握って、それが余計に泣けてしまうことなんて知らないだろう。

「名前?」
「……」
「名前ちゃーん」
「……なに」
「それこっちのセリフな。そろそろ何があったか教えてくれてもいいんでない?」
「……」

 わざと戯けるようなクロの声が、優しすぎて。言えるわけない、って思ってた、はずなのに。

「サトウさん……」
「ん?」
「か、可愛いよね……」
「……ん? まぁ……うん、可愛い系ではあるな」

 消えそうなほど小さく呟いた本音。それでもまだ躊躇って言葉を選んでる私に、クロは一瞬考えた後妙に納得した風に頷き「もしかして、それ?」って。……賢いクロのことだ、たったそれだけで私が最近変だった理由に気付いてしまっただろう。
 まだ素直じゃない私は、小さく唸るように肯定とも否定とも取れないような返事をひとつ。それを肯定と取ったらしいクロは、何故か小さく笑って繋いだ手にきゅっと力を込めた。

「……ヤキモチ?」
「……」
「名前ちゃーん?」
「可愛いって」
「?」
「可愛いって、言ってた……」
「? いつ」
「サトウさんに、」
「え?」
「私には、そんなの絶対、言わない、じゃん……っ」
「えっ、ちょ、」

 昔から格好悪いとこなんていくらでも見せてきたけど、いつも喧嘩しちゃうけど、素直さも可愛げも全然ないけど……それでも私だってクロに可愛いって思われたい。結局はそこなのだ。あの日見てしまったツーショットそのものよりも、クロが他の女の子に『可愛い』って言ってた、ただそれだけ。
 あんなに自分でもよく分かっていなかったのに、すとんと落ちてきた答えは凄くしっくりくるもので、やっぱり素直に気持ちを言葉にしてみるのが大事なんだなぁってこんなところで実感させられる。

 クロの手が優しく私の輪郭をなぞった。親指で涙を拭って、それから軽く頬を摘まれる。

「可愛いって言ったの、なんで知ってるんだね」
「知らないよぉ……」
「ぶはっ……知らねぇの?」
「知らない、もうクロなんか知らないし……!」
「じゃあこれも知らないんじゃない?」
「何がっ」
「それ、名前のことだって」
「…………え?」
「昔から名前が一番可愛いって話してたんですけど」
「うそ」
「ホント〜」

 見上げれば、クロは未だ私の頬を摘んだまましてやったり顔。完全に理解しましたって表情で。
 え? ……は? 肝心の私はクロの言葉を理解出来ず、……だけど身体の方が先にみるみる温度を上げていって、耳までカッと赤く染まっているのが見ないでも分かった。

「で? そろそろ機嫌直してくれませんかね?」
「別、に、悪くないし……」
「へぇ? ちなみに俺はちょっと怒ってんだけど」
「え、なんで……」
「名前が俺と喧嘩したらすぐに海んとこ行くから」
「なにそれ……ヤキモチ?」
「うん」
「……」
「そう、ヤキモチ」

 即答しないでよ。にやっと笑ったクロは、どう見ても揶揄ってるだけにしか見えない。
 だけどそれでもちょっと嬉しいとか思っちゃって、私もつられて笑っちゃったりして。いつの間にか、涙は止まっていたのだった。


2023.02.03.
title by 炭酸水

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