黒尾中編 インスタントロマンス fin

天蓋の中で夢を見ていた




 背は高いけどそれだけっていうか特別イケメンなわけじゃないし、髪型も変だし、ちょっと性格に難ありですぐ人のこと揶揄って遊んでくるし、笑顔も胡散臭いし、絶っ対に先輩なんてあり得ない!

 つい最近までこれが紛れもなく私の本音で、だから先輩とどうこうなるなんて勿論思っていなかった。
 それなのに今日私はそんな先輩とデートの約束をしているんだから人生分からない。

「……鉄朗先輩?」
「……早くね?」
「先輩こそ! いつからいたんですか、まだ二十分も前ですよ!?」
「名前ちゃんにもそれ言えるからね? うわ、早く出てきて正解だったわ」
「お待たせしてすみません……」
「いやいや逆にお待たせしなくて良かったと思ってんだけど」
「なんですかそれ」
「だから、初デートで待たせる男にならなくて良かったってことデス」
「っ、」

 ほらそれ。それですよ、その胡散臭い笑顔! にやりと口角を上げた先輩は、「もしかして名前ちゃんも楽しみすぎて早く来てくれた感じ? うれし〜」なんて茶化しながらも自然に私の右手を取るけど、「名前ちゃん『も』」って! それは先輩も楽しみにしてくれてたってことでいいんでしょうか。『も』ってなんですか!
 デート開始早々胸を打たれることになるなんて、私ってば油断しすぎていたのかもしれない。

 先輩はきっと私の気持ちに気付いている。だから先輩のペースに巻き込まれないようにしなきゃ、またこの間みたいに揶揄われるのは嫌だ。
 でもだけど私だって先輩の気持ちは知ってるんですから!
 そう、これは勝負なのだ。どっちが先に告ってしまうか。出来れば先輩から言ってもらいたいのが私の乙女心で。

「さて、どこ行く?」
「ばっちり考えてきました! 任せてください!」
「お、心強い」
「先輩甘いものはいけますか?」
「あれ? もしかしてパフェ奢らされんの? 結局?」
「違いますよ! もっと良いものです!」

 そのためには、しっかり空気を作っていかなきゃ。完璧なデートにしなければ!

 そうして先輩と向かったのは、駅前の特大パフェよりももっと人気でSNSでもよく取り上げられている、パンケーキのお店。

「おー……すげえ並んでんな。人気なの?」
「めちゃくちゃ人気です!」

 ここが人気なのは、何もパンケーキだけじゃない。音駒から電車を乗り継いで来たこのあたりは周りにフォトスポットが沢山あって、そういう意味でもカップルや若い女の子たちに人気なのだ。
 くん、と繋がれている手を引っ張って指差したのは、まさしくそのフォトスポットのうちの一つ。高台のようになっているここのベンチの向こうには綺麗な景色が広がっていて、カメラに背中を向けるように座って撮る写真は昼と夜でまた違った雰囲気を作り出す。それがSNSでも沢山いいねしてもらえるので、私も前から一度来てみたいなとは思っていた。

「お店は予約しててもうちょっと時間あるんで、もし良かったら……あそこで撮りませんか?」
「ん、いいよ」
「やった! じゃあ並びましょ!」
「写真撮るのに並ぶって凄いな、テーマパークみてえ」
「あながち間違いじゃないです」

 とは言っても、勿論遊園地のアトラクションほど並んでいるわけじゃないからすぐに私たちの順番はやってくる。
 並んでいる間は先輩とのツーショットを撮れるのが嬉しくて、『ちゃんと盛れるといいな』とか『SNSに載せてもいいかな』なんてことばかり考えていたのに、いざ順番が来てベンチに隣同士座ったその距離が思っていたより近いことに吃驚して。

「なぁこれ俺どうしたらいいの?」
「え、……っと」

 肩がぶつかる距離で首を傾げた鉄朗先輩に、私は思わず目を逸らした。

 定番なのは座ったままお互い笑い合っているのとか、手を繋いでおでこを寄せ合ってるのとか。だけど今の私たちにそれは凄くハードルが高い気がして、というか私がそれを鉄朗先輩にお願いする勇気がない。

 でもどうせ写るのは背中で、先輩とは身長差もあるしそれはそれでまるで本当に付き合っている、みたいな良い感じになるのでは? とか。だから「真っ直ぐ前向いてるだけで大丈夫です!」って、言おうとした私の言葉は、シャッターをお願いした私たちの後ろに並んでいたカップルの彼女さんの方に遮られてしまった。

「もうちょっとくっついてくださーい!」
「えっ」
「あっ彼氏さん、彼女さんの肩に手とか回せますか!?」
「えっ、えっ、」
「こうー?」
「あっバッチリですー! そのまま見つめ合っちゃってくださいっ!」
「ちょ、せんぱ……」
「……ちょっと照れんね、これ」
「て、照れるどころじゃないですよっ」

 思いの外撮り慣れしているお姉さんの言葉につい従ってしまったばかりに、本当におでこがくっつくような距離で見つめ合ってしまう私たち。
 途端にブワッで顔が火照って、うわ、こんなの、ちょっと息したら先輩にかかっちゃうくらい近い。
 景色を楽しむ余裕なんてない。だって私の視界には、鉄朗先輩しか映っていない。

 カシャカシャとシャッター音が響くそのたった数秒、真っ直ぐ見つめ合った先輩に胸が痛いくらいにドキドキして、ふはって笑った先輩に私もつられて笑って、先輩の手が私の頬に近付いてる気がして――――

「おっけーです!」
「っ!」
「……ありがとうございます〜」

 先輩の手は、私の頬にかかっていた髪をよけてくれた後すぐに離れていく。急に現実に引き戻された私は、ばっくんばっくんと暴れる心臓を抑えた。いや。いやいやいや! 今私何考えた!?
 脳裏に焼き付いてしまった、ドアップの先輩。悔しいくらいに綺麗な肌とか、いつもにやにやと笑って私を揶揄う唇とか。せっかく意識しないようにしてたのに、やっぱりそうはいかないみたい。

 確認したスマホにはしっかり『盛れた』私と先輩が映っていて、もうこれはどう見てもカップルにしか見えないじゃんか。

「お、いーじゃん。俺にも送って」
「へっ、」
「あれ、だめ?」
「あ、いえ! 送ります!」
「さんきゅ」

 覗き込んできた先輩にまた動揺する私は、先輩に今撮った写真を送ってる間も手が震えそうなのを必死に隠した。
 先輩が話す他愛無い話すら面白くて、ちょっといじられるのですら嬉しくて、この時間がずっと続けばいいのにと思ってしまう。

 私、おかしいよ。だって鉄朗先輩だよ? って、今日までにもう何回思ったか分からないのに私の心は誤魔化されてくれやしない。

「なんですかぁ、さっきからジロジロこっち見ちゃって」
「え!」
「あ、一口欲しいって? 食う?」
「え、いやいや違います! 全然、全く違います!」
「ぶふっ……んな全力で断らんでも」
「あっ、す、すみません?」
「いやー? 名前ちゃん、今日はまた一段と挙動不審ね?」
「そんなこと……」
「ちゃんと楽しんでる?」
「楽しい、……ですよ?」
「ほんとかぁ?」
「ほんとです! めちゃくちゃ楽しいです!」
「ならよし」

 パンケーキだってそれなりに楽しみにしてたはずなのに、今の私はそれよりも先輩に夢中。今日一日先輩と過ごしただけで、更に好きになってしまった気がする。
 だからもう自分から言ってしまってもいいんじゃないかって。本当は先輩から言って欲しかったけど、どっちからとか関係ないんじゃないかって。
 急激に膨らみすぎた気持ちは、もう抑えきれそうにない。

 言うならいつがいいかな? 流石に今じゃないよね。お店を出た後? それとも帰り際?
 ぶっちゃけ言うのが怖いって気持ちよりも言ったら先輩はどんな顔をするかなって、そんな風に思うのは多分もう先輩の気持ちを知っているからだ。
 こんなのちょっとずるいかもしれないけど、でも許してくださいよ。だって鉄朗先輩、言ってくれないんだもん。

「えっ、先輩、お金」
「んー? いーよ、出しますよ」
「だ、ダメですよ! 半分出します」
「でも約束だし。今日は御礼だから、な?」
「……先輩一個しかダメだって行ったじゃないですか」
「特別大サービス。これもサービスに含まれておりまーす」
「えぇ……」

 不満そうな顔する私に「嬉しくないの?」って聞くくせに、先輩のその頬はにやにやと緩んでいる。
 嬉しいです、嬉しいですけど! でもなんか素直に喜ぶのは悔しくて顔を顰めてしまう、そんな私にすら先輩は気付いてそうなのがまた癪だ。

「特大パフェのが良かった?」
「……いえ。嬉しいです、ご馳走様です」
「喜んでくれて良かったデス」
「……」
「……」
「……あの、」
「ん?」
「私、先輩に話したいことがあるんですけど」
「奇遇だねぇ。俺も名前ちゃんに話したいことあんのよ」
「えっ」

 バッと顔を見上げた先輩はただ笑ってるだけで、その真意は掴めない。だけど分かる。きっと先輩と私が今思っていることは同じだって。
 それはただ単純に私がそうだったら良いって思っているだけなのかもしれないけれど、私たちの間を通り抜けた風がその可能性を後押ししてくれている気がした。

「先どうぞ」
「いえいえ先輩からどうぞ!」
「えー俺から?」
「は、はい」
「じゃあ、はい。……ごほん」

 先輩のわざとらしい咳払いに背筋が伸びる。ドキドキと高鳴る心臓の音はきっと今ピークを迎えていて、どうしよう、鉄朗先輩の声が聞こえなくなっちゃうよ。
 ちょっとだけ考え込んだ先輩が、「あー……」って小さく唸ってそれから私をまっすぐ見つめる。

 やっぱり好きだなって、今日何回目か分からない気持ちの再確認。悔しいけれど好きなんだ。先輩が良いんだ。
 私はもう頷く準備バッチリで、早く聞きたいような聞きたくないような……そわそわ落ち着かない拳をぎゅっと握って。

 呼吸さえ忘れる。「名前ちゃん」って先輩が呼んだ私の名前が世界一愛おしいものだと思えるなんて、おかしかった。

「あー……改めて、ちょっとの間彼女のフリしてくれてまじでありがとう。その節はほんと助かりマシタ」
「いえ、……」
「相手が名前ちゃんで良かったなぁって、割とまじで思ってる」
「わ、私も……なんやかんやで先輩の、その……楽しかった、です」
「はは、ほんと?」
「ほんとです!」
「なら良かった? 名前ちゃん俺のこと嫌いみたいだったみたいだし?」
「そ、そんなこと言ってないじゃないですか……!」
「あーあれか、俺はあり得ないんだっけ?」
「もう……! そんな前のこと忘れてくださいよ!」
「ぶっひゃっひゃっ! いやーあれは忘れらんねえなー、ショックだったもんなー」
「もう!」

 ぺちん、と先輩の肩を叩くけど先輩は笑ってる。ドッドッドッドッて煩い心臓の音を誤魔化すようにそうしてみたけど、先輩はそんな私をすっごく優しい顔で見るからそれ以上何も言えなかった。

「で、ですよ。言ってなかったなぁと思って」
「……はい」
「もう解決したし、今日で晴れて俺の彼女は終わりっつうことで。ありがとね」
「……はい?」
「いやなんか終わり時? 分かんなくて、多分名前ちゃん困ってんだろうなって思ってはいたんだけど。今日丁度いいし言おうと思っててさ」
「……」
「ほんと今までありがと。……ってなんか別れ話してるみたいになってますけど」
「あ、あは……ほんとですよ、なんなんですかこれっ」

 ぐらぐらと足元が崩れ落ちていくのと、急に先輩の声が遠くなってしまってみたい。キュッと上げた口角は無意識で、だってそうしないと……声が震えそうで。

「まぁこれからも先輩後輩として? 仲良くしてくれたら嬉しいデス」
「それは、もう……はい」
「……じゃ、そろそろ帰ろっか」
「……はい」

 笑って頷いて、だけど歩き出した先輩の手が私の手を握ることはない。あぁ、……そう。あれは全部彼氏のフリでしてた行為で、それ以上のことはなにもなかったってこと。
 予想外の展開に混乱しているけど、でも妙に冷静な自分もいる。

『やー……だって、友達とかに頼んでそっから変に期待されても困るじゃん?』
『その点苗字ちゃんは俺のこと絶対そんな風に見てねぇし』

 何故かこんなタイミングでいつかの鉄朗先輩の言葉を思い出して。

「……」

 そっか。私、勘違いしてたんだ。鉄朗先輩は彼氏のフリで、だから優しくしてくれていたのに。私なら先輩のこと好きにならないからって、好きになられたら困るからって、たったそれだけの理由で私が選ばれたのに。

 ひくりと喉が鳴る。バカだった。先輩も私のことが好きかもしれない、なんて。聞いた話は何かの間違いだったんだ。全部全部、私の勘違いだったんだ。


22.06.01.

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