黒尾中編 インスタントロマンス fin

「好き」の意図




「あー……名前ちゃん?」
「はい!?」
「なんでそんな距離取ってんの、あんまそっち行くと危ないぞ」
「え!? あ、あぶな、くないです!」
「いや危ないでしょ」

 鉄朗先輩が後ろから私の肩に手を置いて、ぐいっと自分の方に寄せる。それにドキドキ胸を高鳴らせる私はこの前からどうも先輩の前では変だった。

 理由はわかってる。あの日、名前も知らない先輩方が話していた鉄朗先輩の話。もしかしたら先輩は本当に私のことを好きかもしれないって……そんなことを知ってしまえば前みたいに出来ないのは仕方ないと思う。だってそんなこと想像もしてなかったんだもの。
 それに私だって鉄朗先輩をそんな風に見たことはなくて、なのに最近はその姿を見るだけで胸の鼓動が高まって、息が苦しくなる。
 こんなのまるで……私まで鉄朗先輩が好きみたい。でも先輩が私を好き(かもしれない)、だから私も好きになるってそんなの単純すぎる。不純すぎる。そんな自分が信じられなくて、私はブンブンと頭を振った。

「あー、っと……名前ちゃん?」
「なっ! ……んですかっ」
「いやそれこっちのセリフ。どーした?」
「なにがですか!?」
「なにが、って……」

 苦笑いする鉄朗先輩も、私の様子がおかしいことには気付いているみたいだ。そんな余裕でいますけどね、先輩! こっちは先輩の本当の気持ちを知っちゃってるんですから……! 冷静じゃいられないんですよっ!

 そもそも今日だって、そんな、部活が早く終わるから一緒に帰ろうだなんて。誰も見ていない普段からこうやって彼氏彼女と偽って過ごすのも、わざわざ言わなくても良いのにリエーフに私のことを『彼女』だと言ってしまうのも、本当に私が好きだからなんですか?
 でもそうだとしたら……私はどうするんだろう。例えば先輩に、フリじゃなくて本当に付き合ってなんて言われたら。……言われたら?

「ひぅっ!」
「えっなに」
「なんでも……ありません……」
「……まじでどうした?」
「なんでもありません……」
「……それは無理ありません?」

 想像して仰け反った私と、黒尾先輩の視線がごっつんこ。途端にぼぼぼっと顔に火が付いたみたいに熱くなって、私は先輩から思いっきり目を逸らした。

 私、おかしい。先輩のことなんて別に好きじゃないのに。好みのタイプとは真逆の、そういう対象になんてなり得るはずもないのに。

「先輩のばか……」
「いきなりの罵倒」
「私の気持ちを考えてください……」
「名前ちゃんの気持ち?」

 するりと先輩の手が私の手に絡まる。所謂恋人繋ぎ。ひぇってまた変な声を出してしまって、だけど先輩はそれにはツッコまず「なになに、名前ちゃんの気持ちって?」なんて覗き込んでくる。
 や、待って! 近い! 鉄朗先輩近い! にやにや笑ってんの、バレてますからね! 緩んだ口元を隠しもせずに私を揶揄う先輩に、私はなるべく平静を装って呟く。

「……先輩は今、私の彼氏じゃないですか」
「え、…………うん」
「いや、ここで照れないでくださいよ!」
「や、名前ちゃんの方から言われたら普通にちょっと照れた」
「もうっ!」
「え、終わり? 続きは?」
「なんでもないですっ!」
「うそ、なんて言おうとしたの」
「なんでもないですー! しつこい男は嫌われますよ!」
「はぁ!?」

 ぶんっ、と手を振ったけど先輩の手は離れない。歩いてる足は止めないまま勢いよく揺らしてみても変わらなくて、先輩は「名前ちゃーん?」って私を呼んでるけど無視無視! 反応したら負け! なんて前だけを見つめて。

「……黒尾くん?」

「え?」
「……あっ、?」

 鈴を鳴らしたような可愛らしい声が聞こえて、私たちは同時に振り返った。まさか先輩の知り合うに会うなんて……道端で二人でぎゃあぎゃあ騒いでいたのが少し恥ずかしい。
 今のやりとり、聞かれてたかな!? って思うけど、さっきまでぎゅうって私の手を握り込んでいた鉄朗先輩の手がパッと離され、その瞬間空気に触れて涼しくなった手に意識を持っていかれた私は気付かなかった。先輩の表情が変わったことに。

「……こんにちは」
「あー……ドウモ」
「隣の……もしかして彼女さん?」
「あー、うん。そう、」
「こ、こんにちは……」
「……」

 可愛らしい人だなって思った瞬間、表情をくしゃりと歪めたその人はキッと私を睨むからビクッと肩が跳ね上がる。え。吐き出した短音は、きっとその人にも聞こえたのだろう。
 私を値踏みするみたいに上から下まで見たかと思うと、それからまた鉄朗先輩に視線を戻したときには最初の柔らかい印象に戻っていたのだから私は自分の目を疑う。……あれ? 私の勘違い?

「黒尾くん今日部活ないの? うちもなんだよ〜」
「へぇー、奇遇デスネ」
「ね! まさかこんなところで会えると思わなかった!」
「俺も、……」
「ねぇこの後さ! もし良かったら一緒に」
「あー、悪いけど」

 私はよく分からない状況にただ二人の会話を聞いていることしか出来なくて、だけどそのうちなんとなく分かってしまった気がする。
 この人、あれだ。先輩が言ってた、一目惚れで迫られたっていう……他校のマネージャーさんだ。

 なるほど、だからさっきのあの視線。勘違いじゃなかったんだって思ったのと同時に、前にもし刺されたら云々の話をしたことまで思い出して汗が伝う。
 え、どうしよう。私はどうしたらいいんですか!?

 一応この人に会うっていうのが私と鉄朗先輩の目的で、付き合っているフリをしていた理由で。だけどこんなまさか、いきなりそのときが来るだなんて思わないじゃないか。
 もっと事前に打ち合わせとか!? 分かんないけどそういうのができると思ってたんですけど!?

 だけど鉄朗先輩が、一歩私の前に出てくれたお陰で私は先輩の背中に隠れるようになってホッとする。思っていたより緊張してたみたいで、その子からの視線が途切れて力が抜けたみたいだった。

「この後予定あっから、無理だわ」
「……彼女さんも一緒に」
「俺ら行くとこあるから、一緒には無理なんだ。ごめんネ」
「あ……じゃあまた今度、」
「そうじゃなくて、今度も。彼女以外の女の子と出かけたり無理だし、この子悲しませるようなことしたくないの」
「……そんなに、……その子が好きなの?」
「うん、好き」
「ど、どこが……そんなに……」
「えー……全部?」

 女の子の質問に即答した先輩が、ふとこちらを振り向いて私にはにかんだ……その表情が思いの外柔らかくて。どぎゅんって心臓に何かが刺さって私は胸を抑えよろける。
 え、なにっ……? 今何が起こったの……!?

 だって先輩がまるで私のことが好きみたいに、そんな大切そうに、優しい目をして見つめるから。
 どくどくどくって身体中で心音が響いて、きっと耳まで真っ赤になってる私は何も言葉にならない。口をパクパクさせるだけの私をどう思ってるのか、「な?」って言う鉄朗先輩にときめいてしまってる私はおかしい。絶対絶対、ぜーーったいおかしい。

「……でも! 私黒尾くんのことか好きで、」
「うん。でもごめん、気持ちはありがたいけど、受け取れない」
「……じゃあ、」
「ん?」
「……最後にもう一回、この前みたいにギュッてしてもいいかな!?」
「……は?」
「そしたら諦めるから!」

 『この前みたいに』って。強調された言葉は私に向けて言われたように感じる。彼女の私の知らないところで私たちそういうことしたんですよ、って。知ってるけど。だって私はそれがあったから鉄朗先輩と付き合ったフリをしているだけの、ただの後輩だから。

 だけどポカンとした私にその子は勝ち誇った顔をしていて、それがちょっとだけ悔しくて……無意識に鉄朗先輩のベストの裾をくいっと引っ張っていた。
 「名前ちゃん?」ってまた少しだけ振り向いた先輩に、私は何も言えないけど。

「……悪いけど、あれは不可抗力だし俺からしたわけじゃないよね?」

 その子に向き直ってそう言った先輩の声は……私が聞いてもぞくりと背筋が凍るくらい、冷たいもの。

「そ、そうだけど黒尾くんちゃんと受け止めてくれたし!」
「それは怪我させるかもって思っただけで、まじで不可抗力っつうか……うん、そんな他意はなかったっつうか」
「でもっ」
「てかまじで。もう行っていい?」
「えっ……」
「これ以上話したところで俺は君と付き合う気はねぇし、期待させたなら悪いけどなんて言われたって彼女がいるから」
「あ……」
「行こ、名前ちゃん」
「え、鉄朗せんぱ、」

 ベストの裾を掴んでいた私の手を取って歩き出す先輩に、縺れる足を必死に動かしてついていく。きっといつもは私の歩幅に合わせてくれていたけど今日はそれもなくて、身長差のある先輩の歩くスピードが速くて息を切らして……
 どれくらい進んだのか、もうとっくにさっきの子なんて見えなくなったところで先輩は足を止めた。

「……先輩?」
「あー……ごめん、名前ちゃん、悪い、」
「えっ」
「びっくりさせたよな、悪い……いや俺もびっくりしましたけど」

 振り返った先輩は雪崩れるように私の肩に顔を埋めて、え、え、ってパニックになる。もしかしてさっき冷静に対応していた気がしたのは気のせいだったのかな。先輩あの人のこと苦手なタイプって言ってたし、後ろにいた私でさえもあんなにぐいぐい来る人と対峙したことなんてないから疲れてしまうくらいだった。
 私はどうしたらいいのかな。……ホントの彼女だったら、どうするのかな。

 恐る恐る……伸ばした手が、肩らへんにある先輩の髪に触れる。先輩はビクって体を跳ねさせたけどそこから退こうとはしないし、あぁ大丈夫なんだって今度はしっかり頭を撫でてみたり。

「……」
「……」

 さっきの先輩はかっこよかったのに、今の先輩はまるで甘えているみたいで可愛い。そんなギャップにもきゅんきゅんして、たまらなく胸が締め付けられて。

 あぁ……どうしよう。私本当に、先輩のことが好きになってしまったのかもしれない。


22.05.08.

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