黒尾中編 インスタントロマンス fin

熱持つ頬をつねってほしい




「……つまり私に彼女のフリをして欲しい、と」
「……まぁ」

 その後やっと聞き出せた先輩からの告白の真意は、至極単純な話だった。

「だったら最初からそう言えばいいじゃないですか!」
「や、なんか謎の羞恥心がこう……ね?」
「黒尾先輩ってそんな繊細なキャラじゃないでしょ!」
「苗字ちゃんって俺には中々容赦ないよな」
「そんなことないです」
「あると思います」
「……そんなこと言っていいんですか?」
「ごめんなさい前向きに検討していただけないでしょうか」

 ジトリとした目を向ければ黒尾先輩はしゃがみ込んでいたその場で土下座までしようとするから、流石の私でも慌てて止める。先輩にこんなことさせてるって誰かに見られて変な噂がたったらそれこそ困る!

 なんでも、黒尾先輩は先日の練習試合で他校のマネージャーに一目惚れされただけでなくなんとその場で告白されたらしい。すご。でも黒尾先輩にその気はなかったため丁重にお断りしたけど諦められないと縋り付かれ、挙句に泣かれ、そのとき咄嗟に「彼女がいるから」と言ったらじゃあその彼女を見たら諦めると言われたって、ただそれだけ。

 先輩ってそういうの、飄々と躱せそうなのに。思わずそう呟けば、「……ちょっと苦手なタイプの子でね。だからってあんま乱暴して怪我されても困るし」なんてあまりにも苦々しげに言うから、本当にちょっとやばい人に好かれてしまったのだろう。

「怪我って大袈裟な……流石に抱き着かれたりしたわけじゃないでしょう」
「……」
「……まじですか」

 積極的な人もいるんだな。そんなに好かれてるならいっそ一回付き合っちゃえばいいのに、とか言えるのは所詮他人事だからだ。先輩も人の子、苦手な人だっているよね。
 とりあえず先輩の言いたいことは分かった。でも、でもよ?

「だからってなんで私なんですか……!?」

 いや、そうだよね!? これってもっと仲の良い女友達とかに頼むものでは? なんて思ってしまう。先輩友達多そうだし、私なんて学年も違う、ただの後輩なのに!

「やー……だって、友達とかに頼んでそっから変に期待されても困るじゃん?」
「先輩ってそんなにモテるんですか?」
「その点苗字ちゃんは俺のこと絶対そんな風に見てねぇし」
「え、無視ですか?」

 でもまぁ、その人のことがあったからちょっと慎重になってるのもあるのかな、なんて。思ったのは、見たことないくらいに黒尾先輩が弱りきってるっていうか困りきってるっていうか……とにかくいつもとは明らかに違う感じだったからだ。

 私だって別に先輩のことが嫌いなわけじゃないし、そういう風には見てないってだけでむしろどっちかって言うと好きな先輩。いつもなにかと気にかけてくれる(色々と余計なちょっかいもかけてくるけど)、そんな先輩の頼みだから私に出来ることなら協力したい、けれど。

「……それって私その人に刺されたりしません?」
「え?」
「いや、先輩が手を焼くってことはそういう危ない系なのかなぁって思ったんですけど……まぁ流石にそれは、」
「あぁ、それは俺がちゃんと守るから安心して」
「……それは流石にないからって言ってくれる方が安心できたんですけど」

 でも。不覚にも今の言葉とその表情にちょっとキュンとしてしまったじゃないか、悔しい。いつもヘラヘラしてる黒尾先輩が、そんな風に言うなんて。

「……それしたら、なにかしてくれるんですか?」
「ん?」
「お、お礼に! なにかしてもらわないと割に合いません!」
「んー……確かに。じゃあ苗字ちゃんの言うこと一個聞く、とかどう?」
「え」
「昼飯奢っても良いし、勉強教えんのでも、俺に出来ることならなんでも」
「なんでも?」
「うん。だから、頼まれてくんねえかな」
「良いですよ!」
「ぶはっ……現金だなぁ」

 あ、先輩笑った。ここに来てから初めて頬を緩めた黒尾先輩に、私はひどく安心した。あれ。私ってばもしかして結構先輩のこと心配してた? いやでもまぁ、黒尾先輩がこんな風なのって滅多にない……っていうか初めてだし。中々レアだけど、やっぱり先輩はいつもみたいに胡散臭い笑みを浮かべてるくらいが丁度いい。

「とびっきりのお願い考えときます!」
「クロオさんに出来ることにしてちょーだいね」
「分かってますって!」

 そんなこんなで、私と黒尾先輩は偽の恋人関係になったわけだけど。あれ、でもこれって

「あの、先ぱ……」
「おい黒尾!なにやってんだよ、もうとっくに始まってんぞ!」
「あ、やべ」

 びくっと肩が跳ねて振り向けば、そこには何度かお見かけしたことがある夜久先輩がいて。黒尾先輩しか見えていなかったのか、私と目が合った夜久先輩は凄く驚いたって表情をしている。

「あ、すまん。取り込み中?」
「や、ごめんごめん。もう行く」
「おー」
「じゃあ苗字ちゃん、悪いけどよろしくな」
「え!? いや、あの!」
「ん?」

 よろしくなって! このまま行っちゃうつもりですか黒尾先輩! 私まだ先輩の連絡先とかもなにも知らないし、なにしたらいいか分かってないんですけど! 一応彼女、やるんでしょう!?

「部活、見ていって良いですか!」
「え?」
「わ、私先輩のことなんにも知らないんで……よくわかんないけど彼女なら練習くらい見に行くんじゃないですか!? フリ、しなきゃいけないんですよね!?」
「あー……まじ? そこまでしてくれんの?」
「むしろそれくらいしないと、その人納得させられませんよ!」
「……それは、まぁ。じゃあ帰り送るから、見てってくれる?」
「え? いや別にそこまでは……」
「遅くなるからそれは絶対。ボール飛んでくんのだけ気をつけて」
「あ、は、……はい」

 気のない返事をした私に黒尾先輩はにやりと笑って、さっさと着替えに行ってしまう。その場に残ったのは私と夜久先輩、ばちりと視線が合って一瞬ですごい気まずい顔をされてしまって。

「……黒尾の彼女?」
「ちっ、違いま……違いません!」
「どっち?」

 ついつい勢い良くそう答えてしまった私の前途は多難である。


▽ ▽ ▽


 バレーのルールって実はあんまり知らない。あるのは授業で習った程度の知識、ポジションなんて分かるはずもない。だけど見ているとこれがまた意外に面白くて、気付けば部活終わりの号令がかかっているくらいには夢中になっていた。で。

「名前! 今日なんでここにいんの?」
「えー……なんか……成り行き?」
「俺がマネ誘っても即断ったくせに誰に……ハッ! もしかして黒尾さん!?」
「おいリエーフ」
「あ、黒尾さん! 名前ってもしかしてうちのマネになるんですか!?」
「そんなことより夜久が呼んでたぞ、リエーフ」
「げっ」

 多分途中で入ってきた私にずっとソワソワしてたリエーフが終わった瞬間こちらに来ることなんて分かりきっていた。だけど黒尾先輩が夜久先輩の名前を出しただけで真っ青な顔して向こうに行ってしまったから、結局残ったのは私と黒尾先輩だけ。
 体育館のステージに座って今日の練習を見学していた私は、皺になったスカートを伸ばしてからステージ下にジャンプした。

「げって言う人、私以外にもいましたね!」
「……確かに」
「……」
「なあに、大人しいじゃん。疲れた?」
「え? いやいや、そんなことはないんですけど……」
「それとも部活してる俺がかっこよすぎてほんとに惚れちゃった〜?」
「は、ぁ!? そんなわけないじゃないですか!!」
「ぶ、はははははっ! んな力強く否定しなくても」
「黒尾先輩が変なこと言うから!」
「すみませんねぇ、まぁ名前ちゃんは俺なんてあり得ないんだもんなあ?」
「まっ、……先輩昼休みのこと根に持ってますね!?」
「そりゃあなー、クロオさんあれで傷付いちゃったからなー」

 そんなことを言いながらも私のカバンを手に取って歩き出す黒尾先輩に、私は慌てて着いていく。
 ほんとはちょっとかっこいいって思っちゃったけど。でもそれは先輩がかっこいいんじゃなくて、バレーしてる先輩が、むしろバレーがかっこよかっただけだし!

「先輩、持ちます持ちます!」
「いーからいーから、待たせたお詫び」
「そんなの私が見に来るって言い出したんだし……ていうか先輩着替えないんですか?」
「んー、今日はジャージで帰るわ。これ以上遅くなってもアレだし」

 って。ええ……先輩もしかして私のこと気遣ってます? それともここでも彼女のフリをしろってこと?
 普段の私なら絶対にここで引かない、帰宅部でも一応後輩根性は持ち合わせてる。だけどもしこれも先輩の彼氏ムーブだとするなら、私はそれを甘んじて受けなければ役目を果たしていないことにもなってしまうから。

「じゃ、じゃあ……すみません、お願いします?」
「おー……え、なにその顔」
「黒尾先輩が分からなくて苦しんでる顔です」
「そんな理解力求めること言ったっけ今?」

 黒尾先輩が彼氏って、やっぱり変な感じ。隣に並ぶと私を横目で見下ろす先輩の視線には気付かないふりをして、いつもと違う黒尾先輩との帰り道はいつもよりちょっとだけ楽しかった。


22.04.14.

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