黒尾中編 インスタントロマンス fin

嘘にしたかった




 それからのことはあまり覚えてないない。先輩は私の家まで送ってくれて、もう彼女でもなんでもない私に最後まで優しかった。それはいつもの鉄朗先輩のまんま。
 勇気が出なくて告白出来ないって可能性は考えていたけど、まさか先輩の方から告白もされずに関係を終わらせられるなんて予想すらしていなかった私は帰ってきた部屋で一人、呆然とするしかない。

 今までのことを思い出して……いつからか先輩は私のことが好きだって思い込んでたから、もしそうじゃなかったのならただただ恥ずかしすぎる私の言動はいくつもあっただろうとベッドで悶えた。
 それらを先輩はどう思っていたんだろう。実はずっと変だと思われていたのかな。だから今日あのタイミングでもういいって言われたんだろうか。そうだとしたら、私は……

「……デートしたいなんて、言わなきゃ良かった……」

 昨日までは何を着ようとかどこに行こうとか、楽しみなことばかり考えていたのに、今はデートさえしなければ今もまだ先輩の彼女のフリをしていることが出来たんじゃないかって悲しい気持ちでいっぱいになる。
 
 今日撮った先輩との写真は、他の人が見たら彼氏と彼女に見えたのかな。もう誰に見せる機会もやってこないけれど。


▽ ▽ ▽


「名前!」
「……おはよ、リエーフ」
「おはよう! そういえば昨日黒尾さん見たんだけど」
「えっ」

 朝、私を見つけて駆け寄ってきたリエーフ。いつも会うわけじゃないのに今日に限ってバレー部に会うとか……なんて思うも決して顔には出さない。

 ていうか、昨日の見られてた? ほんとなんでよりによってこのタイミング!? 別れたって(そもそも付き合ってなかったんだけど)言った方がいいのかな!? とか。一瞬で色んなことが頭に浮かんで、だけどそれはその後のリエーフの言葉でどこかへいってしまった。

「知らない女の人といたんだけど! 黒尾さん、浮気してる!?」
「……え?」
「だぁーかーら! 名前じゃねえ女の人といるとこ見ちゃったんだよ!」
「……昨日?」
「そう! 夜、音駒駅の近くで!」

 夜。音駒駅の近く。それってもしかして、私を家まで送った後……?
 身体から血の気が引いて、周りの音が消えていく感覚。さっきまで聞こえたはずの挨拶し合っていた生徒の声や、男子がふざけて廊下を走ってる音、向こうで女子たちが流している今日リリースされたばかりのアイドルの曲……全部が私から切り離されたみたいに消えて、代わりに私を呼ぶリエーフの声だけがはっきりと聞こえる。

「まぁ黒尾さんに限って浮気なんてしないと思うけど、聞いといた方がいいんじゃないの?」
「……」
「おーい」
「あ、……うん」

 聞くって、何を?

 だって私が鉄朗先輩に聞けることなんて、何もない。
 多分リエーフは本当に鉄朗先輩が浮気してるとか思ったわけじゃなくて、ただ『面白そうだから』教えてくれたんだってすぐに分かった。
 でもそれを知った私は、リエーフが言う昨日鉄朗先輩と一緒に居たっていう女の人こそが先輩の『好きな人』だと確信する。確信して……胸がズキズキと痛みだす。

 だってそうじゃん。前に三年の先輩方の会話で聞いてしまった、鉄朗先輩の秘密。

『つうか黒尾って好きな奴いるんじゃなかったっけ』

 他校のマネージャーさんを追い払って、私との関係も精算して、……先輩は本当に好きな人と一緒にいられるようになったってこと? それなのに私はまんまと先輩のことを本当に好きになってたの? なにそれ。……最悪じゃん。

「あっ黒尾さん!」
「!」

 そして本当にどうしてってタイミングで鉄朗先輩が登場するのだから、私ってばツイていない。最悪すぎる。
 私はゆっくりと振り返り、……昨日ぶりに見る鉄朗先輩に、グッと目頭が熱くなった。

「なんだリエーフ、まだこんなとこにいんの? 遅れるぞ」
「黒尾さんこそなんでこっちに」
「……」
「あー……苗字ちゃん。おはよ」
「お、はよう……ございます」

 それは、考えれば当たり前なのに……目の前が真っ暗になるくらいにショックで。
 『苗字ちゃん』。先輩が私をそう呼ぶのは、鉄朗先輩が『黒尾先輩』だったとき以来だったから。あまりにも自然に、当たり前に、……まるでなにもなかったみたいに。先輩に名前を呼ばれてどうしようもなく頬が緩んだあの瞬間も、夢だったみたいに。

「……黒尾先輩」

 ううん、夢だったんだ。私は掻き消えそうな程小さく呼んだ先輩の名前で、自分に言い聞かせた。
 黒尾先輩は背は高いけどそれだけっていうか特別イケメンなわけじゃないし、髪型も変だし、ちょっと性格に難ありですぐ人のこと揶揄って遊んでくるし、笑顔も胡散臭いし、……ただそれだけの先輩。それ以上でもそれ以下でもないじゃん。

 まるで心の中にぽっかり穴が開いたみたいで、だけど私はそれすら気のせいだと思い込んで無理矢理笑みを作る。

「こっちには一年棟しかないですよ? あっもしかして先輩迷子ですか〜?」
「違いますぅ〜ちょっと用があってこっち来ただけですぅ〜」
「じゃあ早くしないと、一限始まっちゃいますよ!」
「分かってるって」
「ほらほら私も自分の教室行くんで!」
「苗字ちゃん」
「……はい?」
「……や、なんにも」

 一瞬、先輩の瞳が揺らいだ。……でもそれもきっと気のせい。探るような視線も、何かを言いかけた唇も……全部全部勘違いだ。
 パッと顔を逸らした私にリエーフが「名前?」って呼んだのには何も感じないのに、「じゃあな、苗字ちゃん」って先輩の言葉には馬鹿みたいに動揺する。

 絶対リエーフにも変だって思われている気がするけどフォローすることも出来ず、逃げ込むようにして自分の教室に入った私はそのまま机に突っ伏した。

「名前、おはよ! どーした?」
「なんにもない……」

 出来れば今すぐ帰って布団を被って眠ってしまいたい。そしたら何も考えずに済むのに。だけどサボる勇気もない私の頭にはさっき私を呼んだ先輩の声がずっとこびりついていて、その後も離れてはくれなかった。


▽ ▽ ▽


 最悪な日とはとことん最悪なものだ。それでももし神様がいるなら、今日はどうしてこんなに私にスパルタなんですか! って泣きながら抗議したくなるくらい。
 朝から沈んだ気持ちに鞭打ってなんとか一日を終えて、後はもう帰るだけだって思っていたのに、どうして。

 窓の向こうにいる黒尾先輩から、私は目を離せなかった。

「黒尾くん!」
「なんでここいんの、君らの場所あっちよ」
「備品どこにあるか分かんなくて聞きに来ただけだよ」
「……俺じゃなくてもいいんじゃないですかね」
「えー、でも黒尾くん主将だし、音駒はマネいないから黒尾くんに聞くのが確実でしょ?」
「そりゃまあ……そうだけど」

 どうして、あの人がいるの?

 別に先輩を見に来たわけじゃない。そんなことをしても先輩にとって私はただの後輩に変わりなくて、万が一「あれ? 苗字ちゃんってばもしかして本当に俺のこと好きになっちゃった?」なんて言われでもしたらそれがたとえ冗談でも私は冷静でいられない。

 だからこれは本当にたまたま、偶然、先生に係の手伝いをさせられてその帰りに通ったのがこの廊下だったってだけだ。
 ここからなら体育館が見えるからって、もしかしたら先輩と会えるかなとか期待したわけじゃない。
 ……とかなんとか、結局はめちゃくちゃ意識しちゃってる相手が本当にそこにいたのだから心は正直に浮き上がったのも束の間。先輩の隣には、他校のマネージャーだってあの人がいたのだ。

 どうして? どうして音駒にあの人がいるの? どうして先輩も普通に話してるの? どうして、……

 「っ」

 あの人と、目が合った。私に気付いたあの人は、わざとらしくにっこりと笑う。その後すぐに私から目を逸らして先輩を見つめるその頬はピンク色に染まっていて、あの……先輩に迫っていた場面を見たことさえなかったら、その表情はただの可愛い恋する女の子にしか見えなくて。

「……」

 私、分かんないよ。どうして二人が一緒にいるの。先輩は昨日誰と一緒にいたの。先輩の好きな人って、誰なの? 
 もう自分ではどうしようも出来ないドロドロとした感情が溢れ出して、止まらなくて。

 これ以上見ていられなくなった私は、踵を返して駆け出した。先輩が好きだった。いつの間にかこんなに好きになっていたのに、先輩が他の人を見るのが辛くて。その人の手を振り払ってくれないのが悲しいなんて、あまりにも自分勝手な私が嫌で。
 だって私は自分から動き出すことも出来ない臆病者なのに。


22.06.07.

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