及川長編 そんなものさいいもんさ fin
「名前ちゃん、おはよう」
「あ、おは、よ」
「あはは、緊張してる?」
「別に?」
「そう?」

最後のデートと銘打って約束した朝。待ち合わせの場所に着くと既にそこにいた徹は、まるであの頃と同じように笑って私を迎えるから、こんなに緊張しているのも私だけなのかもしれない。
徹はどういうつもりなのか……もしかしたらこれでキッパリ諦めさせるつもりなのかもしれないけれど、それでも私だって簡単な気持ちで今日ここに来たわけではなかった。

色んな意味でバクバクとうるさい心臓は徹の顔をまともに見れなくさせて、不自然に目を逸らす私を徹が笑った気がする。余裕なの、むかつく。

「まさかここなんてね」
「……久しぶりに来たかっただけ」
「そう。でも嬉しいよ」

久しぶりに来た思い出の場所……私と徹が初めてのデートをした場所。あの日以来の水族館の入り口を見ながら、……よく言う、なんて心の中で徹に毒づいた。
あの時も今も、ここにいる私たちは付き合っているわけじゃないなんて変な話だ。

「手でも繋ぐ?」
「は、?なんで?」
「えぇ、デートじゃないの?」
「デッ……そう、だけど……」
「あの時だって繋いだでしょ?ほら」
「お、覚えてないし」

嘘、本当は覚えてる。あああもう、どうしてもっと素直になれないの?差し出された手を取ることすら上手くできなくて、息を吐くように可愛くないことを言う自分に辟易とする。そこに重ねるだけで震える手。だけど徹は何も気にしていないみたいに、私の手をギュッと絡め取った。

「…………」
「あれ、なんかこの前と瞼の色が違うね」
「あ……新しいシャドウ買ったから」
「へぇ。その色名前ちゃんに凄く似合うよ、夏っぽいし」
「な、夏限定のやつだから」
「そうなんだ!あ、この前も可愛かったけどね」
「……なによ」
「?」
「……そんなお世辞とか嬉しくないんだけど」
「ふっ……お世辞じゃないよ。名前ちゃん、久々に会ったらうんと大人っぽくなってたからびっくりしちゃったもん」
「……そ」
「うん」

あの頃、こんなにスマートに褒められたことはあっただろうか。流石海外暮らしというべきか、それとも徹の元からの性格なのか。さらりと嫌味なく褒められて嬉しいのに、……というか嫌味なのは私の方だ。

本当は徹のために、昨日急遽シャドウもリップも買い足したんだから。お気に入りのワンピースに合わせる靴とバッグに何時間も迷って、あの頃より上手く巻けるようになった髪も良い感じに出来たと思う。全部徹に可愛いって思ってもらいたいからなのに。

素直に好きだからずっと待っていたいって、私のことが好きなら私のために離れて行かないでよって言いたいのに、どうせ言っても断られるからと逃げてしまう。
高校の時に私のことを沢山追ってきてくれた徹をいざ追う方になると、恥とかプライドとか、それからまた傷付くかもしれないって恐怖に動けなくなる。迷う。

とうとっくに格好悪いところを沢山見せたし、昨日だってお酒が入っていたとはいえドン引きされるくらいに泣いて縋って、それでも諦めきれなくて。

「ほら、行こう」
「う、うん」

手を引っ張る徹があの日ここで見た徹と重なった。この間会った時に慣れたと思っていたのに、デートだと思うと途端にまた構えてしまう。
誰だ、惚れさせるとか言った奴。恥ずかしすぎなんですけど。

「あ、見て、あれ岩ちゃんに似てる」
「えー?岩泉くんに失礼じゃない?」
「褒め言葉だよ。あっちはマッキー」
「あ、それは分かる」
「名前ちゃんも大概失礼だよね」
「いや徹が先に言ったんじゃん!」

奥に進むにつれて暗くて雰囲気のある水族館は私達以外にもカップルや家族連れで溢れている。ずっと繋がれたまんまの手を意識しないように目の前の展示に集中しても、絡んだ指を遊ばせる徹に私の思考はまた連れ戻されて。

チラリと見ればその度に合う視線。まるで付き合っているかのように錯覚するその距離感にドキドキして、あれ、まだ私からアプローチ的なこと、何もできていないって気付いてもどうしようもできない。

「あ、そこ段差あるよ、気をつけて」
「言わなくてもわかってますけ、っど、!?」
「っ、ほら言わんこっちゃない!」
「…………」
「なに?ドジなの?名前ちゃん実はドジっ子属性なの?」
「うるせぇクソ川!」
「急に辛辣!」

下の段差にばかり気を取られていると、目の前に迫っていた案内ボード。強めに引っ張ってくれた徹のお陰でギリギリ避けられたけど、それがなかったら危なかった。
ドキドキと胸が鳴る。いやこれはぶつかりそうになったからだ。決して徹に対してとかじゃない。

そう思っている時点で負けな気がするけど、認めるには悔しくて。だけどふ、ふふ、って息を漏らす音が聞こえて隣を見ると、徹は肩を震わせて笑っていた。

「……何笑ってんのよ、ぶっ飛ばすよ」
「いや、なんか懐かしいなって」
「え?」
「名前ちゃんとのこういうやりとり。よくやったよね」
「…………」

やっぱりずるい。私に忘れて欲しいならそんな顔しちゃダメじゃん。まじで何考えてんの。
永遠にループするその問いかけはまた私の中で繰り返されて、徹の顔を見ると曖昧に溶けていく。

「……お腹すいた」
「あ、ここレストランあったよね、前も行ったところ。そこに行く?」
「ん、そうしよ」

入ったのは前に来た時も入った、ここに併設されているレストラン。「メニューどうぞ」「どうも、」ってやりとりに既視感を覚えた。前と同じ場所を巡って、あの頃よりも色々余計なことを考えてしまって言いたいことを言えない焦燥感、場所は同じなのに色が変わって見える景色。大人になってしまったなと嫌でも思う。ここに来てまで、どうしたらいいのか私はずっと迷ってる。

そういえばこの席だった気がする。あの時も徹が何を考えているのか分からなくて……今と違って、そんな徹に私も真っ直ぐぶつかっていた。若かったなぁ。


"「それより、どうして私といるのか!理由、教えてよ」
「あれ、その話覚えてたの」
「あたり前でしょ?そのために今日ここにいるんだから」
「そんなに知りたいの?」
「もちろん」
「…俺が名前ちゃんといる理由はね?」
「うん」
「俺が、名前ちゃんと一緒にいたいからだよ」
「………は?」"


思い出したのは、あの日ここでした会話。ふざけたことを言う徹に結局ここで喧嘩みたいになって、だけどその後は普通に楽しくイルカのショーなんか見ちゃって……あ、今鍵につけてるアザラシのキーホルダーもそういえばここで買ったやつじゃん。無理矢理買って渡された、徹とお揃いの。

一つ思い出せば色んなことが溢れ出て止まらない。楽しかったなぁ。まだ全然徹のこと好きじゃなかったのに、むしろ嫌いだったのに……もしかしたらあの時既に惹かれてたのかもしれない。
むかつくけど、うざいところもいっぱいあるけど、なんやかんやで私には優しくて甘くて真っ直ぐで……そんな徹だから好きになって。徹がバレーをしているところが好きになったなんて、後付けだったのかもしれない。

思い出が私を後押しする。急に、ずっと居場所が分からない深い霧の中に彷徨っているみたいな気持ちが……全部全部、晴れた気がした。

「……はは、」

どうしよう。自問自答して、でも出てくる答えはもうそれしかなくて。

「?」
「なんか、色んなこと思い出しちゃって」
「へえ。例えば?」
「ええー……例えばここで私と徹が喧嘩したこととか、」
「え!?そんなことしてないよ!」
「したよ。あの時、徹がなんで私といるのか本気でわかんなくって聞いたのに、はぐらかすから」
「あぁー……いや俺はぐらかしてないけどね!?」
「あんなの分かるわけないじゃん!普通に揶揄ってるだけだと思ったし、徹のこと嫌いだったし」
「ひっど!酷いよ名前ちゃん?今はそんな俺のことが好きなくせに!」
「うん、好き」
「っ、」
「好きだから……今徹が何を思ってここにいんのか、気になっちゃうんだよ」
「あ……」

静かに視線が合って、まるで時が止まったかのように周りの音が聞こえなくなった。徹が目を見開いて喉を詰まらせ、なのに私は自分でも驚くほど穏やかだ。不安なのに、怖いって気持ちはあるのに、それでも心は落ち着いていて真っ直ぐに徹だけを見つめる。

「……私ね、徹に言いたいことがあるの、この前言えなかったんだけど」
「え?」
「あ、言いたいことっていうか相談?いや、でもアドバイスが欲しかったわけではなくて……それに今答えも出ちゃったんだけど」
「うん?」
「……聞いてくれる?」
「……うん」

自分の中に言葉を探しながらゆっくり紡いでいくのは、ずっと私が言いたかったこと。伝えたかった気持ち。付き合う前も付き合っていた時も、別れた後も、全部の私が徹に届けたい想い。今この瞬間に固まった覚悟。

「進路なんだけどね。ずっと迷ってたの。徹がいなくても私なりに出来ることとか打ち込めることとか色々探してやってきたつもりだったのに、ここにきて何がしたいんだろうってまた悩んじゃって……」
「…………うん?」

今その話?って思ってるのかな。きょとんとした徹の表情に少し頬を緩ませる。大丈夫、関係ある話だって。

「卒業してからも、徹のこといっぱい思い出したよ。近況はほとんど聞かなかったけど……でも今頃向こうで頑張ってるんだなぁって、悔しいけど私も頑張らないとなぁって、勝手に励まされてた」
「うん……俺も一緒」
「あはは、ほんと?……嬉しい」
「……ん」
「あ、それでね。今私、絶賛就活中じゃん?ある意味人生の岐路に立ってるわけじゃん?どうしよーって、考えて、でも分からないから松川くんとか花巻くんとかに相談したりもしたし」
「まっつんは良いけどマッキーは相談にならないでしょ」
「まぁ、そこでも解決しなくて、そりゃそんなに簡単にはいかないかーって思ったんだけどさ。結局徹に会って、それも今決まっちゃったかもしんない」
「んん、そうなの?」
「うん……言うよ?」
「うん。聞かせて」

小さく息を吸って、膝の上で拳を握る。

「……やっぱり私は徹が好き。ずっと一緒にいたい。だから……アルゼンチン、着いて行く」
「……………………は?」
「そしたら距離とか関係ないし。徹が言うことクリアしてるし、何にも問題なくない?」
「え、ちょ、……はああああああああ!?名前ちゃん何言ってるの!?」
「あははっ、良いリアクション!」

言ってしまえば、そのピースが私の中で気持ちの良いくらいにカチッとハマった瞬間。あんなにさっきまで悩んでたのにおかしいよね。でも多分、もう後悔しないと思うんだよね。

「……最高に笑えるマヌケ面だね」

これでダメなら流石に諦める、良い返事を期待してるよ。私は笑顔を作りながら、あの時と同じセリフを告げた。


躓く恋など叶わんわ




21.08.22.
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