及川長編 そんなものさいいもんさ fin
「……名前ちゃん、」

及川の顔を見てハッとする。やっちゃった。……言っちゃった。
それまでギリギリのところで目尻に止まっていた涙が、一気にこぼれ落ちる。ぼろぼろと重力に従って落ちる大きな粒が私の頬を濡らした。

「ほんと最悪……」
「…………」
「ほんとっ……こんなはずじゃなかった、こんなこと言うつもりなかったのに!……さいっあく……!」
「…………」
「振るんだったら優しくすんなっ、期待、させるようなこと、っすんな……!そうやって今も私のこと気にしてるみたいなことっ、聞かないでよ!」
「……ごめん、」
「及川もまだ私のこと、好きなんじゃないの!?」
「…………」
「だからそんなことっ、」
「……好きだよ。ずっと名前ちゃんだけが好き」
「、ならっ!」
「だけど無理だって、前にも話したよね」
「む、無理とかっ……!」
「名前ちゃん」

言わないでよ。相変わらず睨みつけた先の及川にイライラして、言うつもりのなかった、なのに止まらなかった言葉たちを拾い上げることもできない。
ずっと私の中で燻り続けた想いは涙と共に落ちて、惨めに転がっている。

どうせならもうずっと突き放してくれたら、そしたら及川を忘れられるかもしれないのに。自分から会いに来たくせに勝手だって思うよ。そんなの私が一番分かってるよ。
だけどやっぱり、久しぶりに会った及川がまだそんな目で私を見つめるから……付き合ってはくれないくせにまだ好きだって言うから。私はずっとずっと及川に囚われたままなんだ。
こんなにみっともなく女々しくさせた責任、取ってよ。

この件に関しては頑なに首を縦に振らない及川。お馴染みの私の前でへらへら笑う及川はいなくて、ただただ困ったような表情で、でも決して「うん」とは言ってくれない。
だからってもうここで諦める私でもなかった。そうだったら卒業してから三年、またこんなに子供みたいに泣き喚いたりしない。……自分で自分をコントロール出来ないほど、好きでいたりしない。

「え」

私はぐいっと及川の腕を引っ張って、不意を突かれた及川がややこちらにバランスを崩す。近付く顔。及川の髪が揺れた。

「…………」
「……名前、ちゃん?」
「…………」

ず、と鼻を啜る。こんなに間近で及川を見るのはいつぶりだろうか。もう少し動けば鼻の先が触れ合ってしまいそうな距離で、私はそのムカつくくらいに綺麗な顔にやっぱり焦がれて。

「……いつ帰るの」
「へ」
「いつ!向こうに帰るの!?」
「あ……えっと、来週……?」
「じゃあそれまでに一回だけ、デートしようよ」
「え?」
「デートして、及川に……徹に私のこと惚れ直させる。もう私を離したくないって、言わせてみせるから、」
「何言って」
「それでもダメだったら、……今度こそ本当に諦めるから、」
「……名前ちゃん、それは」
「お願い」
「…………」
「……おねがい、徹」
「……しょうがないなぁ」

観念したように、徹が息を吐いた。徹。とおるだって。懐かしい音にまた泣きそうになるのを堪える。
これじゃ付き合うよりももっと前、徹に彼女のふりをお願いされた時と立場が逆になってしまっている。悔しい。

だけどそれよりも嬉しいと思ってしまうのは隠せなくて、ずっと強張っていた肩の力が抜ける。笑っちゃうほど必死だな、私。だけどこれがラストチャンスなんだもん。かっこ悪くても、他にどう思われたってもいいと思えるのは相手が徹だから。

私が好きなのは……ずっとずっと、徹しかいないんだよ。

「っていうか名前ちゃん、なんかキャラ変わった?そんな積極的だっけ、及川さんドキドキしちゃうんですけど」
「は、はぁ!?……変わって、ないし。バレーのことばっかで記憶力衰えてんじゃないの、」
「ふっ……でもひどいのは相変わらずだなぁ」
「…………」
「なにさ」
「……なにも」
「デート、するんじゃないの?」
「するっ…………けど」
「けど?」
「…………する」
「ふーん?」
「……なによ」
「ううん。何してくれるのかなぁって」

はぁ!?さっきまで断固拒否って感じだったくせに、調子の良い奴!そんなんだからこっちが諦められないって、本当に分かってんの?徹のくせに!

だけどあっという間に穏やかな空気に戻ったのは徹のお陰か。何を考えているの分からないけど、「まぁ名前ちゃんのお願いだったら断れないしな〜」なんてバカ言ってる徹に一瞬本当にあの頃に戻ったみたいだった。

「なんか懐かしいねぇ」
「へ!?」
「高三の夏も、ほら、こうやって一緒に帰ってたでしょ」
「あ、……うん」
「まぁこんなに頬が痛いことはなかったけどね」
「なっ……ご、ごめん」
「全然。……俺は名前ちゃんのこと、もっと傷付けてるから」
「…………」
「だから気にしないで」

笑っているはずのその表情にぐっと胸が詰まる。なんなんだろう。泣いて、喚いて、好きな人に平手打ちまでかまして、それで渋々一回だけのデートを受け入れられるって、そんなの奇跡的なチャンスでしかないのに。今この瞬間だけでも、喜ぶところなのに。

何を考えているのか分からない。嘘ではないけど、それはたまに見えそうな徹の本音に気づかないふりをしているだけかもしれない。
徹だって、バレーも私も……生半可な気持ちで向き合ってるわけじゃないって、知ってるから。

だから最後のデート、ただ単純に喜ぶなんて出来なくって、だけどもそのチャンスを手放せなくて。どうなるかなんて私には想像もできないその日に私はどんな顔をすればいいか分からなかった。


あの日と同じ花は咲かない




21.08.17.
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