及川長編 そんなものさいいもんさ fin
数年越しに見る及川は、身長こそそんなに変わらないくせに大きくなった気がする。たったそれだけでどれだけ及川が頑張っているのかが分かる。
向こうにいる及川のことは殆ど耳にしなかったけど、でも今この瞬間、たまにふと今頃頑張っているだろうかと及川を想っていた数年間が報われた気がした。

やっぱり私は及川のことが好きらしい。あんなに嫌いだったのに、……嫌いと言い聞かせたのに。私の中から消えてくれない及川と、それからこうして本人を目の前にしてそれを再確認させられてしまうことへの苛つき。
結局どうしても私は及川のことが嫌いで、気に入らなくて……そしてそれを上回ってしまうくらいに好きで。

「元、気、だった?」
「うん。名前ちゃんもね」
「……バレー、頑張ってる?」
「うん。お陰様で」
「そっか」

あの頃より少しだけまた大人っぽくなった及川の目に、私はどう映っているんだろう。あの頃よりは伸びた髪、上手になったメイク、大人っぽくなった服装。
無意識に及川を見返したかったのかもしれない。もう関わらない、そう思っていたのに、また会えた時に後悔すればいいなんて矛盾した思いを抱えて。

私たちの間に流れるふわふわした空気に耐えられなくなった花巻くんが、「とりあえず中入ろうぜ!」って先を行く。私と及川はお互いの顔を見合わせて、それからそんな花巻くんにくすりと笑って……その後を着いて入った。

「お前ら一緒だったの」
「そうなんだよマジ相変わらず及川空気読めねーの!」
「ねぇ!だからちょっとひどくない、マッキー!?」
「苗字、久しぶりだな」
「うん、岩泉くんも元気?」
「おー」

なんでもない居酒屋チェーン店のお座敷席で、奥に岩泉くん、及川、私。手前に松川くん、花巻くん。
本当はいきなり及川の隣はちょっと……って言いたかったけれど、部外者なのにバレー部の集まりに参加させてもらっている私が勿論そんなことを言えるはずもなく。

近い距離、たまに触れ合う肩。それが当たり前だった時もあるのに、今はまたたったそれだけで心臓が割れちゃうんじゃないかってくらいにドキドキして、まるで高校生みたい。
だけどそんなの及川にはバレたくなくて、私は手元のグラスや目の前に運ばれてくる料理に夢中なフリをするしかなくて。

「みんな学校はどんな感じ?」
「まぁぼちぼち?言ってももう四回だし就活もあるし、今はそっちメイン」
「あぁそっか、もうそんな時期だね」
「この中で花巻が真っ先に決まってんの面白くない?」
「え!?そうなの!?」
「おうよ。つってもみんな順調だよな」
「まぁ」
「へぇ。名前ちゃんも?」
「えっ……う、うん」
「そっかぁ、流石だね」

至近距離で感じる眼差しに変な間が空いてしまった。だけどそれも一瞬で、すぐに及川の視線は他に移る。松川くんも花巻くんも見守るような、そんな生温かい目で見ないでほしい。
その後も緊張して最初こそはガチガチだったけど、それでもアルコールの力もあって徐々に普通に話せるようになった。気付けば高校生五人でファミレスに行った時みたいな空気感に肩の力も抜けて、及川ともたまに何気ない会話を交わして。

あぁ、懐かしいなぁ。こうやって皆で過ごした日々は楽しかったなぁ。私と及川が付き合っていたたった数ヶ月の記憶は、いつまでも私の中でピカピカと輝いている。
悔しいなぁ、こんなにかっこよくなっちゃって。……数年ぶりでもこんなに私の心を離してくれなくて。

「そろそろ帰るかぁ」
「え、もう?」
「俺あした面接あるんだよ」
「え、松川くんそれ大丈夫なの?」
「さっすがまっつんは余裕だねぇ」

全員ほろ酔いで店を出た頃には、最初にあった気まずさはもうない。ふざけて叱られる花巻くん、世話焼きな岩泉くんに一人知らん顔で楽しむ松川くん、皆にいじられる及川、それを見て笑う私。本当に高校生に戻ったみたいだった。

「じゃ、及川は苗字送ってやれよ」
「えっ!?」
「はいはい、分かってますよー」
「送り狼になんなよー」
「ならないから!ほんとお前ら俺のことを何だって思ってんの!?」
「及川」
「クズ川」
「クソ川」
「ねえみんなひどい!!!!」
「…………」

ギャーギャーと及川が騒いでいるのを眺めていた私に、岩泉くんが近付く。ちょいちょい、と手招きするような岩泉くんに、そういえば会うのは岩泉くんが一番久しぶりだったし、今日も及川を挟んでいたからあまり話せなかったよなぁ……なんてぼんやりと思いながら耳を寄せた。

「……及川の野郎、頼むな」
「あ、はは……私に頼まれても……」
「何か話してぇことあるんだろ?」
「…………」
「……アイツ、日本を発つ時……苗字のこと頼むって言ってたぞ」
「え、?」
「ま、好きな女くらい自分で守れって言ってやったけどな」
「好きな……」
「アイツはどうせ今も、うだうだ女々しくずっと苗字のことしか考えてねぇ」
「…………」
「苗字と付き合う前もそうだったんだからよ」
「…………」
「ちょっと岩ちゃん!?名前ちゃんとコソコソ何話してんのさ!?」
「なんもねーよクソ川!」

岩泉くんが離れて行った後も、聞いていた岩泉くんが居た側、左耳が熱い。なんで。どうしてそんなこと言うの、なんて聞けないよ。だって及川、言ったもん。幸せになってって。私のことが好きだからって。それでもずるいよ。そんなの、いつまでも離れらんないじゃん。

皆で子供みたいにひとしきり騒いだ後、「じゃあまたね」って別れる瞬間泣きそうになった。またね。今はそれがすぐに叶う高校生の時とは違うって、私たちは知っているから。
ましてや及川はまたすぐ日本を離れる。普段は海を渡って遠い異国にいる及川との時間にお邪魔してしまって、改めて三人にはお礼をしないとな。

「いやぁ、すっかり遅くなっちゃったねー」
「そう?サークルの飲み会の後とかってこんなもんだよ」
「へぇ、そうなんだ」
「あっサークルわかる?サークルっていうのはね、」
「ちょっとちょっと名前ちゃん?そんくらい及川さんも分かるから」
「あ、そう」

この数時間で散々慣れてしまった及川との時間は案外心地良い。さっきの岩泉くんとの会話があったとしてもそれは変わらなかった。

「名前ちゃんは最近どう?」
「えー?さっき話したじゃん」
「もっと踏み込んだ話だよ。あ、お母さん元気にしてる?」
「してるしてる、及川のこといまだに話してるよ」
「へぇ。面白いお母さんだったもんね」
「どこが?うるさいだけだよ」

二人の間にあいた時間を取り戻すように、ぽんぽんと飛び交う会話が好き。まるであの頃手を繋いで帰った放課後のように、またこうやって二人で笑って歩くなんて思ってもいなかった。
出来ることなら永遠にこの時が続けば良いのに。

もうすぐ家に着く。及川、ちゃんと私の家覚えてるんだなぁ。そう思いながら歩く見慣れた風景に響いた及川の声に……私は思わず立ち止まった。

「名前ちゃん」
「?」
「……名前ちゃんって、今、……付き合ってる人とかいる?」
「え?」
「大学の人とか……あっもしかしてマッキーとか?今日一緒に来てたし、」
「…………」
「それか岩ちゃん?さっき二人で話してたもんね。……えー、それなら言ってよね」
「……及川」
「岩ちゃんなら安心だよね、ちょっと女の子の扱いは雑なところあるけどそれを抜きにしても優しいし、」
「及川!」
「、」

シンとした夜道にバチンッと大きな衝撃、思わず思いっきり引っ叩いてしまった。別れる時でさえ触れなかったその頬に赤みが差す。右手がジンジンと痛む。ぽかんとした及川の顔を私は睨みあげた。

なに。なんで。

「どうしてそんなこと言うの!?そういうとこだよ!?」
「えっ」
「そういう、思ってないこと!それくらい分かるから!」
「そんなこと……」
「私がどれだけ及川のこと好きだと思ってんの!?及川が私のためだって勝手に居なくなっても、私は……私は……っ!ずっと及川のことが好きなのに……っ!」
「……名前、ちゃん……」

こんなこと、言うつもりじゃなかった。だって言ったって仕方ないもん。及川には及川の世界があって、それは私には想像出来ないくらいに大きなもので。
だから好きとかそういうことを言いたかった訳じゃなくて、言ったとしてもこんな風に言うんじゃなくて……ただずっと燻っていること想いにケリをつけたかっただけなのに。

「今もずっと、及川のことが好きなのにっ……!」

大人になったと思っても実際そんなことはない。ずっと変わらない高校生のあの頃のままの私。
未だ驚いた表情で私を見つめる及川に……アルコールに犯された喉がピリリと痛んだ。


願い続けてあげようか




21.08.15.
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