及川長編 そんなものさいいもんさ fin
「で、どうして苗字は俺んとこにいるのかな」
「いや、松川くんって私の専属カウンセラーじゃん」
「懐かしいなそのネタ」
「ねぇどうしたらいいと思う?」
「てか苗字俺の連絡先知ってたっけ?」
「花巻くんに聞きました」
「だろうね」
「お願い!助けて松川くん!」
「……はぁ」

大学の最寄りの二つ先の駅。急に連絡したにも関わらず誘いに応じてくれた松川くんは、呆れた顔をしながらも私が奢ったラーメンをずずっと啜った。

「久々に会う女子からこんな色気のない場所に誘われるとは思ってなかったよ」
「大丈夫、松川くんがいるだけで色気たっぷりだから!」
「……なんか苗字、強かになったね」
「そ?ありがと」
「どういたしまして」

絶対に褒めてはいない松川くんの言葉を軽く受け流し、私も自分のそれに手をつけた。バイト先の近くにあるこの場所は私のお気に入りで、週一は食べたくなるほどのお気に入りだ。松川くん達も高校の頃よくラーメン食べにいくって言ってたし気にいると思うんだけどなぁ。

どうでもいいことを思い出し、だけども今日の目的は思い出話なんかではなく別にある。私は前を向いたまま、今日松川くんを呼び出した理由を口にした。

「就活、進んでる?」
「ん?うんまぁ……今最終まで残ってるところが二つある」
「えっすごくない?花巻くんといい松川くんといい、なんでみんなそんなに早いの?」
「苗字のお悩みはそれ関係?」
「そー」
「なに、お祈りに埋もれてんの?」
「うーん……どっちかっていうと逆かな」
「と言うと?」
「一応進んでるところもあるんだけど……いまいちまだ迷ってて」
「あー……」
「今更ながら私のしたいことって何だろうってなっちゃってるんだよね」

家から近いからって理由で決めた高校や大学。でもこの先はそんな簡単には決められないし、だからといって迷っている時間が無限にあるわけでもない。
私がしたいこととか、出来ることとか、逆に出来ないこととかやりたくないこととか。色々考えてはみたものの頭がパンクしそうになって、そんな時思い出したのが高三の頃何度も私を救ってくれた松川くんの存在だった。

「花巻くんはもうほぼ内定出てるって言ってたし、松川くんも順調じゃん?岩泉くんは?」
「岩泉はスポーツトレーナーになるって言ってた。卒業したら師事したい人がいるらしい」
「り、立派すぎる……それに比べて私は……」
「まぁまぁ、まだ考える時間はあるから」
「うん……」

この時期に就活の話題って下手したら自分がめちゃくちゃダメージを受けるから、敢えて友達ともあまりしてこなかったけど……なるほど、これは焦る。自分がずっと悩んでいる間も周りはどんどん進んでいって、置いて行かれているような感覚。
実際そうで、隣に座る松川くんは焦りとは無縁の位置にいるような気がした。

「先なんて何にも見えないのに単身海外まで行っちゃう奴もいるんだからさ」
「……なにそれ、及川のこと?」
「よく分かったね」
「そんなに分かりやすくニヤニヤされたらね」
「あれっ、意外に平気な感じ?」
「……松川くんってそんなに性格悪かったっけ」

この間の花巻くんといい、どうしてみんな及川及川って。どう反応して良いのか分からず眉を顰める私に、松川くんは更に続けた。

「明日会うけど、苗字もどう?」
「いや、だからさぁ、」
「って花巻に言われた?」
「……」
「ははっ、面白い顔」
「……私で遊ばないでくださーい」
「そういうとこ、苗字って可愛いよね」
「は……はぁ?!なに、急に」
「あれ、ガチ照れ?」
「ちょ、松川く、」
「……っていう展開になったら苗字はどうすんの」
「…………揶揄ったな」
「あれ?そういう相談じゃなかった?」
「違うし!」

一瞬だけ顔を寄せた松川くんに、どきりと胸が鳴る。あの射抜くような目に捕まって、薄らと笑みを浮かべたその表情に不覚にも熱を上げて。
すぐににやりと笑った松川くんはすぐに顔を離して、それからまだ三分の一は残っているラーメンを食べ始めた。

「流石にこんなところで友達の元カノを口説かないよ」
「わ、分かってるけどっ」
「苗字はずっと及川だって分かってるし」
「なにそれ!?んなわけないじゃん!」
「どうだかなぁ」

そう言いながら、今度はくつくつ笑う松川くん。さっきからコロコロと表情を変えて楽しそうだけれど、食えない松川くんにどうすれば良いかわからなくなった。
そんな私に松川くんは続ける。それは全てお見通しの、私がカウンセラーだと評する時の松川くんの話し方だ。

「もし万が一及川が帰ってくるなら宮城にいるし、帰ってこないか帰ってきても宮城じゃないなら東京に行く」
「へ」
「花巻から、苗字が東京の会社と迷ってるって聞いたから。したいことで迷ってんじゃなくて、そっちが本題だろうなあって思って」
「あ……」
「ほんと、健気だよね。三年以上も前の男にそれだけ人生を捧げられるって凄いと思うよ」
「絶対褒めてないじゃん。ていうかそんなんじゃ、」
「じゃあ大学に入って一度も彼氏を作らなかったのは?」
「……それはそういう機会がなかっただけで、」
「ほんとに?苗字、結構モテてるって聞いたけど」

松川くんの言葉に、何も言えなかった。言われたことは半分本当、だけど半分は無意識だったから。
え、私ほんとに及川を中心に今後の人生を決めようとしてたの?それってやばくない?ううん、間違いなくやばいよね。自分ではもう吹っ切れたと思っていた元カレにまだ固執しているなんて、流石に自分でもちょっとドン引きなんだけど。

「…………」
「……明日、ほんとに来なくて良いの?」
「で、も……」
「及川は会いたいと思うよ、なんだかんだ」
「でも……会ったところで、だし」
「時間が経ってさ、お互いに大人になった部分もあるかもしんないじゃん。俺が前に言ったこと、覚えてる?」
「?」
「自分が思ってること言ってみなって。何事もそっからでしょ」
「そっから……うん」
「上手くいく保証はないけどさ。でもこれ以上地獄もないでしょ、苗字にとって」
「……うん」
「及川がダメなら俺が貰ってあげるし」
「……松川くんがそういうこと言うの、良くないよ。冗談に聞こえない」
「はは」

でも、すっごく楽になった。ありがとう。そう言うと、松川くんはフフンって鼻で笑って今度こそ本当に思い出話に花を咲かせた。


* * *


それから松川くんは、岩泉くんと花巻くんに私が行ってもいいか聞いてくれた。二人はまるで元から私も来ると思っていたかのような返事で、学校が終わったら花巻くんが迎えにきてくれることにもなった。
ドキドキと緊張してしまうのは仕方ないと思う。だってもうすぐ及川と会えるのだから。卒業以来一度も連絡を取っていなかった及川と、ついに。

及川は嫌な顔をしない?ちゃんと話せる?何を話せばいい?どくどくと速い心音。手のひらがじんわりと湿るのに気づかないふりをして、代わりに一歩前を歩く花巻くんのシャツを掴んだ。

「ねぇ、ほんとにいいの?やっぱ辞める?」
「なぁに言ってんの。せっかく名前ちゃんの学校まで迎えに行ってやったのに」
「いやだって、及川、知らないんだよね?」
「うん?まぁ大丈夫だろ、喜ぶ喜ぶ」
「絶対嘘じゃん……!」
「ほら。もう着くぞ」
「ちょっと待って花巻くん、私まだ心の準備……、」
「……名前ちゃん?」
「げっ」
「……及川」
「及川タイミング考えろよなあー……」
「いやいやいや!?俺何も知らされてないんですけど!?」
「だって言ってねえもん」

待って。まだ心の準備出来てないってば!
目の前で花巻くんと騒ぎ出す及川。二人を見つめてただただどうしたらいいか分からない私。じゃり。無意識に一歩後ずさって、砂を踏む音で二人が振り返る。

「……久しぶり、名前ちゃん」
「あ、ど、どーも……」

にやにやと笑う花巻くんは、どうにか助けてって視線を送っているのにそれを分かっていて何も言ってくれなかった。


戻っておいでよ恋心




21.08.14.
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