及川長編 そんなものさいいもんさ fin
「名前ちゃん」
「……徹」

終業式が終わって、ホームルームが終わって、周りは賑やかな中私だけずっとどこか深い穴の底にいるみたいだった。冬休みとかクリスマスとか今の私にはなんの魅力にもならなくて、浮かれる周りとの温度差で一人ぼうっと黒板を見つめてた。
12月24日。しっかりと書かれたそれだけでもう涙が滲んで、今は何を見ても何をしても徹のことしか考えられない。ほんと、いつからこんなになっちゃったんだろう。

いつまでもそこから動かない私を、目の前に立った徹が見下ろす。視界に収めた徹にまた泣きそうになった。

「どこで話す?」
「……人のいないとこあるかな」
「うーん、どうせみんなすぐいなくなるし、ここで待つ?空き教室でもいいけど、暖房入ってないし寒いでしょ」
「……うん」

そうして既に帰ってしまった私の前の席の椅子をひいて、そこに座る徹は何を思っているのか。まだ何人か残っている教室は賑やかで、だから逆にどうしたらいいのか分からない。
昨日まで普通に話していたあの時間がもう思い出せない。

微妙に目を逸らしていると、視界の端に机の横に提げた紙袋が目に入った。

「…………これ」
「え?」

手に取ったそれは、買った時よりも随分と軽く感じる。

「クリスマス、プレゼント」
「……いいの?」
「うん。……徹に買った、し」
「ふはっ……じゃあ遠慮なく貰うね。ありがとう」
「……うん」

ぎこちなく紡いだ言葉に徹が息を漏らして、それで恐る恐る徹の顔を見ると眉を下げて笑ってる。その柔らかい表情に、また涙腺が緩んで慌てて下を向いた。

なんでそんな優しい表情するの。もしかして、昨日のは全部全部嘘で、ドッキリで、「ごめん」って謝る徹に私は怒りながらも良かったって笑って、それで手を繋いで今からクリスマスを仕切り直せるのかな。
ちゃんと落ち着いて話し合って、思ってることも全部伝えて……そしたら私はまた徹と笑って過ごせる?

「今日寒いね」
「……うん」
「雪、降るかな」
「……どうだろ。天気予報、見てこなかったや」
「はは、俺も」

ぽつり、ぽつりと交わされる会話はなんでもないことなのに、それすらも嬉しくて胸がぎゅうっと締め付けられる。
そうしてるうちに教室に私たち以外の人はいなくなって、なんとなく沈黙して……でも、話さないと。

ごくりと唾を飲み込んだ。カサつく手をぎゅっと握り込んで、

「……徹」
「うん」

徹の名前を呼ぶのに、今までで一番緊張したかもしれない。

「あのね、」
「うん」
「…………別れたくないよ」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……ごめん」

沈黙に吐き出されたそのごめんに、徹のどんな思いが込められているんだろう。徹の震えた声に胸が詰まる。嫌だ。出かけた言葉は、すんでのところで飲み込んだ。

「……どうして?」

今にも溢れ出しそうな気持ちを必死に止めていないと、また昨日と同じになってしまう。さっき徹は笑ってくれたのに。気持ちは同じ、はずなのに。冷静にならないと、今度こそ本当に失くしてしまうのが怖くて。

「俺は、名前ちゃんに幸せになってほしいんだ」
「だからそれは、」
「……俺じゃ名前ちゃんを幸せにしてあげられない」
「そんなことわかんないじゃん、」
「分かるよ」
「っ」

強く言い切られてしまっても、納得出来るわけなんてない。どうしてそんなこと言うの。私も徹もお互いが好き、寂しいけど応援する、それじゃだめなの?

「俺はどうしてもバレーがしたい。まだ戦ったことのない奴も、海外な有名な選手も、夏に負けた烏野の連中だって、みんな、みんな倒すって決めてるから」
「そ、それでいいから……私は日本からでも、遠距離になっても、応援したい……」
「……いつ帰ってくるかも分からない奴のために、待っててなんて言えないよ」
「っ、」
「……正直ここから先、うまくいく保証なんてないんだ。自信はあるけど、保証はない。……こんなダサいこと言いたくないけどさ」
「ダサくてもいいじゃん……私が待ちたいの」
「ダメ」
「どうしてっ!」
「……俺がいない時に名前ちゃんが不安になっても、この前みたいに泣いてても、俺はすぐに駆けつけてやれないよ」
「、っい……いいよ、それでもいいからっ、!」
「……ごめん。俺は良くない」

冷静に話し合おうとしているのに、それでもだんだんと息が荒くなる。今こうしているのも夢みたいに足元がふわふわして、現実じゃないみたいだ。
我慢してたはずなのにいつの間にか落ちる涙は、ポロポロと落ちて机を濡らした。

ゆらゆらと揺れる視界にはやはり困った顔で笑う徹がいて……昨日の徹とリンクする。ねぇ、そんな顔しないで。いっつももっと自信満々で、ウザいくらいに私のことが好きだって言って、嫌だって言っても離してくれないじゃん。俺じゃだめだなんて、絶対に言わないじゃん。そんなの全然徹らしくないよ。

言いたいことはいっぱいあるのに出てくるのは嗚咽ばかり。涙の粒を飛ばして睨みあげた徹はさっきと変わらない、やはり眉を下げて笑っていた。

「……ごめんね、名前ちゃん」
「な、何回もっ……謝らないで、よっ」
「……うん」
「と、徹なんてっ、大っ嫌い……!そんな風に言って……っ、そんなこと言って別れようとするの、ずるいっ!」
「……うん」
「納得出来るわけないじゃん……!」
「…………」
「どんな進路になってもずっと一緒だよって、言ったのは徹なのに……っ」
「…………」
「わ、私、怒ってるんだから、!徹、この前だって女の子と一緒に、」
「…………」
「そ、そうだ、浮気してるんでしょっ!それか他に好きな人でもできた?この前一緒にいた子?だからっ……そんな理由つけて、別れようとすんの、……?」
「…………」
「……だからなんでっ、……何も言わないの!?」

だめだよ。それ以上言っちゃだめだ。止まって。誰か私の口を止めて。

「…………ごめん」
「……最低。嫌い。ほんとに嫌いっ……徹なんて大っ嫌い!」
「……うん」
「徹なんてっ…………海外でもどこにでも行っちゃえ!……及川、の、ばか!」
「…………名前ちゃん」
「ばいばいっ!」

久しぶりに口にしたその名前に、一気に涙が溢れてくる。勢いのまま口にした別れに、徹は少しだけ目を見開いて驚き、だけどすぐにまた元の表情に戻る。

「……ばいばい、苗字ちゃん」
「っ、」

終わった。

荷物を掴んで勢いよく教室を飛び出す。言っちゃった。私から、完全に終わらせちゃった。
荒い息を吐き出して走るけど、学校を出てすぐに苦しくなって立ち止まる。

別に浮気だなんて思ってない。どうせ徹のことだ、しょうもない理由があるんでしょって。それに徹の言いたいことだって分かる。私が不安になってしまったのを汲み取ってくれたのだって。だけど、それでも一緒にいたいと思っていたのに。
それくらい、好きだったのに。

「名前ちゃんは、俺のだから。変な言いがかりつけるのやめてよね」
「苗字ちゃん、俺のものになってくれませんか?」
「俺、好きな子ほどいじめたくなるみたい」
「名前ちゃんのこと、ずっと好きだったんだ」

ムカつくくらいスカした顔で私を好きと言う徹が、一度だけ余裕なんて全くない真っ赤な顔で気持ちを伝えてくれた。それから、こんな短い間にいつの間にか一緒にいるのが当たり前になっていた。

「そんなわけないでしょ!えっと………あ!及川さんとずっと一緒にいられる!」
「……ずっと?」
「そう!ずっと!」

当たり前にずっと一緒って言ってくれる徹に、柄にもなく私だって嬉しくて。

「名前ちゃん、お互いどんな進路でも俺は名前ちゃんの彼氏に変わりないよ」

いつも未来を信じる徹がかっこいいなって思って。

「俺、ここを離れて海外に行く」

「別れよっか」

どうして。好きって言ってくれたのに。私だって徹が好きで、同じくらいに応援したくて……どんな形でもずっと一緒、その言葉を信じたかったのに。

「及川、のっ……徹の、ばかぁっ……!大っ嫌いっ……!」


それから卒業式まで、私と徹は一言も話さなかった。


濡れた睫毛が揺れた



21.08.04.
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