及川長編 そんなものさいいもんさ fin
「苗字ちゃーん」

青葉城西高校3年、苗字名前。容姿も運動も成績も可もなく不可もなく、中の上あたりだと思う。入学当初から部活も入らず帰宅部の私は、今日は始業式とSHRが終われば何の用事もなく真っ直ぐ帰宅するのみ。の、はずだった。

「ね、苗字ちゃんってば!聞こえてる!?」
「聞こえてますけど」
「じゃあ無視しないでよ!」
「だって及川だってわかってたから」

同じく青葉城西高校3年、及川徹。容姿も運動も成績も飛び抜けて良いこの男は、言わずもがな上の上、特上ランク。少し歩くだけで周りの女子が騒ぐこいつは強豪男子バレー部主将。私とは違って放課後は部活があるはずで、こんなところで油売ってる場合じゃないと思う、早くどっか行けよ。

「ちょっと!なんか声に出てたよ!」
「隠しきれない本音がつい」
「ほんと苗字ちゃん、俺の扱いひどすぎない!!?」

そう。私はこの男、及川が大嫌いなのだ。

「で、何?何の用?」
「苗字ちゃん、今年もおんなじクラスだね!」
「…最悪なことにね」
「えー俺は嬉しいんだけど」
「そんなこと言うために、追いかけてきたわけ?」
「それもあるけど、それだけじゃないよ!」

ふふん、と何故か得意げに笑う及川の顔はほんとにムカつく。顔が良いのが更に気にくわない。

「これ!」
「な、私のじゃん!」
「さっき落としたよ」
「え、なんで、いつ」
「苗字ちゃん、リュックめちゃくちゃ開いてるからね」

振り返ってそこに背負っているリュックを見れば、及川の言うとおりその口は大胆に開いていた。え、私このまま教室から出てきてたの?恥ずかしすぎない?

「優しーい及川さんが、お財布拾ってあげたんだからもっと感謝してよね」
「…ありがとう」
「なんで不服そうなのさ」
「及川だから」

1年の頃から同じクラスだった及川は、今年で3年目の付き合いになる。イケメンだ、という第一印象こそあったものの話してみれば子供っぽいし、ねちねちしてるし、何故かことあるごとに私のことをからかってくるし、面倒臭い。その上やたら絡んでくるこいつといれば周りの女子から羨望やら嫉妬の視線がバシバシ飛んできて、平穏に過ごしたかった私の高校生活は脅かされまくりだった。

「そんなのにも気付かない苗字ちゃん、実はバカなのかな?」
「殴るよ」
「女の子がそんなこと言うんじゃありません!」
「あんた私のなんなのよ」
「親友かな?」
「ほんとまじやめてキモい」

私の反応が気に入らなかったのか、また騒ぎ出した及川を放って私は校門を出た。私は早く帰ってドラマの再放送が見たいのだ。


* * *


次の日。

朝いつも通りの時間に学校に着いて、靴を履き替える。この時間はまだ生徒はほとんどいない。少し早く着いて誰もいない教室で勉強をするのは、1年の頃からの日課だった。今日もそれは変わらず、自分の教室に入る。と、そこには、もう男子が一人席に座っていた。

「あ!おはよ、苗字!」
「おはよう。早いね」
「苗字はいつもこの時間?すごいな」
「慣れちゃえば、そうでもないよ」

タカスギくん。下の名前は知らない。彼も1年の頃から同じクラスで、席が近いときはノートの貸し借りをしたり、たまに休み時間に話したりするくらいの仲だった。

「タカスギくんは、今日はなんかあったの?」
「ま、まぁ…ちょっと」
「ふーん…朝早くから大変だねぇ」

特に興味もないので適当に返事をしながらいつも使う問題集とノートを取り出していると、タカスギくんは私の元へ歩いてくる。そのまま前の席に、こちらを振り返る形で座った。

「うわ、これレベル高いやつじゃん」
「結構わかんないんだよね」
「それをやろうとすんの、すごいね」
「出来るようになりたいなって」
「へー」

他愛無い話。タカスギくんは暇なのか、問題を解く私のシャーペンを見つめている。だから、いきなりだった。

「なぁ、苗字」
「うん?」

私にとっては。

「俺、苗字のこと好きなんだけど。付き合ってくれない?」
「………え?」
「1年のときから、ずっといいなって思ってた」

その告白は淡々としているようで、でも視線を彼にやればその目は真剣に言っていることを語っていた。言葉からはわからない、赤みがかった頬もきっと気のせいではなくて、"あ、彼はこのために今日早くここに来たのか" なんて冷静に考えてしまっている私とはきっと真逆にいるんだろう。

「えっと…ありがと、びっくりした」
「うん」
「でも、ごめん…ちょっとそういう風に見たこと、ないかも」
「そっか…なんかごめん、な」
「ううん…」
「あの、これからも友達として普通にしてほしいんだけど」
「あ、それは、もちろん」
「良かった…」

気まずそうに笑った彼に、少し申し訳ないと思ったけれど。それからはいつも通りに話して、他のクラスメイトが登校し始める頃には自分の席へと戻っていった。
だから、この件はこれで終わったかと思っていたのに。昼休み、体育館近くの自販機へジュースを買いに歩いていたら今年初めて同じクラスになった女の子(名前はまだ覚えてない)のグループに呼び止められ、そのまま何故か体育館裏で囲まれる事態に陥っていた。

「えと、なに」
「単刀直入に言うけど。苗字さん、今日の朝タカスギに告られたよね?」
「え、あ、はい」
「それこの子が見ちゃってさぁ。この子、ずっとタカスギのこと好きだったのに、それってどうなの?」

この子、と言って指差されたのはこれまたまだ名前は覚えていない、可愛らしい女の子。今日の朝の出来事を見られていたなんて、全くもって気付かなかったわけだけれど今言われていることはちょっと理解が出来なかった。

「どうなの?って?」
「だからぁ!本気でタカスギのこと好きな子がいんのに、好きでもない苗字さんが色目使うのやめてくんない?」
「や、色目なんて…」

こんな理不尽な言われはあるだろうか。ていうか女子グループに呼び出されるだなんてことも、今時ないだろう。どうしよう。非常に面倒臭い。この事態にどうやって収拾をつけようか、考えている間にも動じない私に更に怒りをヒートアップさせていく彼女たち。

「やっほー苗字ちゃん」
「げ、及川…」
「及川くん!!」
「ちょっと今"げっ"て言ったでしょ聞こえてるんだからね」

嫌な空気をぶち壊したのは、天敵及川だった。 

「こんなところでなにしてんの?」
「いや、それは、その…」
「及川の方こそ」
「自販機に来たら、ちょうど連れてかれる苗字ちゃん見たから…いじめ?」
「そ、そんなんじゃないの及川くん…!」
「じゃあそろそろ教室戻ったほうがいいよ、タカスギさっきこの近くにいたから」
「!」
「あ、あとさ」

どこまで知っているのか、あくまでにこやかに彼女たちに告げていた及川を纏う空気が、不穏なものになった。と感じたのは、私だけじゃなく彼女たちもだろう。

「名前ちゃんは、俺のだから。変な言いがかりつけるのやめてよね」

表情は相変わらず笑っていたと思う。でもそこから漏れる感情は、明らかに"怒り"で。青ざめた彼女たちは、こくこくと頷いて走り去っていってしまった。

「いやあんたなに言ってくれてんの、最悪」
「えー、助けてあげたのにそれはないんじゃない?」
「いつ私があんたのものになったのよ!」
「俺にそんなこと言ってもらえるなんて光栄でしょ?」
「は?まじうんこ野郎!!」
「ちょ、女の子がそんな汚いこと言わないで!てかそれどっかで聞いたセリフだな」
「岩泉くんが教えてくれた」
「岩ちゃんめ…」

ギリギリ、と恨めしそうにする及川なんて知らんふり。さて、どうしよう。さっき及川が意味もわからないおぞましいことを言ったせいで、変に噂を流されたりなんかしたら。最悪だ。

「でもさ、苗字ちゃん。俺、割と本気で言ってたんだけど?」
「は?」
「苗字ちゃん、俺のものになってくれませんか?」

そう言って、にっこり笑ったこの男は。まじでなにを考えているかわからなくて、やっぱり大嫌いだなんて再認識してしまった。

カメレオン男




19.12.01.
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