及川長編 そんなものさいいもんさ fin
秋。受験ムード一色。AO等で早々に進路を決めた学年の中の数少ない人達以外は、大体の人が推薦も含めてこれからだ。
つい最近あった進路面談でも、志望校は合格圏内だと言われたけど油断は禁物。受かるまでは何があるか分からないし、めちゃくちゃに成績が良いわけでもないし。

長いこと同じ姿勢で問題を解き続けていたからか凝り固まった肩周りをほぐすべく伸びをしたのは、もうとっくに最後のの授業も終えた図書室だった。
今日は徹が進路面談をしてるから、それが終わったら一緒に帰る約束だ。そろそろ終わるかな。思ってたより長引いてる気がする。

私は広げていた勉強道具を鞄にしまい、スマホを見る。…まだメッセージは来てないから、終わってないのかも。でももう終わるだろうし、下で待っていようかな。
本来は徹が終わり次第迎えに来てくれる予定だったけど、一通り問題もやったし"もう終わる?下で待ってるね"と、メッセージを送ったところだった。

「あれ、苗字」
「…タカスギくん」

誰もいないから、急に聞こえた声にびっくりした。
声がした方、図書室の出入り口を見ればそこにいたのはタカスギくん。…きちんと話すのは一学期以来かもしれなかった。

「もしかして及川待ってんの?さっき教室の前通ったときに聞こえた感じ、もうすぐ終わりそうだったよ」
「そっか。じゃあ、行こっかな」
「おう。…また明日な」
「…うん、また明日」

少しだけ声が上擦ったのが、自分でも分かった。でもほんの少しだけ。気まずいと思ってしまったのにちょっとだけ罪悪感を覚える。
普通に挨拶して、横を通り過ぎた。一歩、廊下へ踏み出してそのまま歩いて出ようとした時、「なぁ、」とタカスギくんは私を呼び止めた。

「ん?」
「苗字、大学どうすんの?」
「えっと、一応家の近くの女子大受けるよ」
「…へぇ。及川は、知ってんの?」
「知ってるけど…」
「じゃあ、遠距離になるんだな」
「えっ?」

思わず聞き返したのは、純粋に驚いたからだった。……遠距離?

「さっき話してるの聞こえた時に、及川宮城出るって言ってたから」
「…そう、なんだ…」
「もしかして知らなかった?」
「……うん」
「…ごめん。でも、聞き間違えかも」
「…そうだね」

そう言ってタカスギくんは入れ違いで図書室に入って行ったけど、私はというと最後どんな風に別れたかとか何も覚えていなかった。遠距離。覚悟していたはずなのに、急に重く感じる言葉。徹からじゃなくて他の人から聞いたのも大きかったのかもしれない。

気付いたら下駄箱の前にいて、気付いたら徹と一緒に帰り道を歩いてる。

「あのさぁ」

徹が、どこか上の空の私に呆れた声を上げたのはすぐだった。

「え、なに、怒ってる?」
「怒ってるよ!ぷんぷんだよ!」
「そんなでっかい体でぷんぷんとか言っても可愛くないよ」
「イケメンだから許してよ」
「イケメンでもフォローしきれないよ」
「あ、イケメンなのは否定しないんだ」
「まぁイケメンですからね」
「…名前ちゃん、テキトーでしょ」

別に嘘は言ってないけど、そんなことは言ってやらない。それに今はそんなことじゃなく、他に聞きたいことがあるから。私は繋いでる手にぎゅっと力を入れて、ここまで私の頭の中を占めていたことを切り出した。

「徹、進路決まったの」
「へ?」
「卒業したら、宮城出るって」
「ど、どうして…」
「答えてよ」
「っ」

誤魔化そうとしているのはすぐに分かった。どうして、言ってくれないの。だってすぐに否定しないってことは、そういうことでしょ。私が先を歩こうとする徹を引っ張ると、二人足を止める。
ゆっくりと振り返った徹の表情は、何を思っているのか読めなかった。

「…うん。そうだよ」

戸惑っていた割に、しっかりとした口振り。ツーンと鼻の奥が痛い。やっぱり、そうなんだ。
…覚悟はしてた、嘘じゃない。徹はこんな宮城の田舎に収まっている人じゃない。もっと大きなところへ行く人。そんなの…そんなの頭の中では分かってる。

だけど徹がここを離れるということは、必然的に私とも離れるということで。それでもいいの?なんて聞けない。だって徹が一番大事なのはバレーだっていうのも知ってるから。そんなこと聞いたら、徹が困った顔をするのも分かってるから。

だから私は動揺を悟られないようにしたくて、わざと明るく振る舞った。

「…やっぱり、そうだよねぇ。徹がずっとここにいるわけないもんね。…あ、東京とか?」
「………」
「何個か推薦来てるって、やっぱバレーが強いとこでしょ。うん、それが良い。徹が行きたいとこに行くべきだと思うよ」
「…名前ちゃん」
「ほら、私なら平気だし。夏休みだって全然会わなくても普通だったし」
「名前ちゃん、」
「あ、もしかして寂しい?しょうがないから私が志望校変えてあげよっか?今志望してるとこ、近いからって理由だけで選んだしどこでもいいんだよ」
「名前ちゃん!」

無視したのに怒ったのかな。徹が一際大きく私の名前を呼ぶと同時に繋いでいた手を思いっきり引っ張って、気付いたら私はその腕に収まっている。…何回これするの、びっくりするじゃん。なんて、全然関係ないことを思った。

抗議してやろうかと思ったらゆっくり頭に手が回って、さっきより抱き締める力が強くなる。それで何かを感じた私は、大人しく徹の言葉を待った。

「…ごめんね、名前ちゃん」
「………」
「俺、ここを離れて海外に行く」
「………」
「大学には行かずに、バレーに専念したい」
「……そう、なんだ…」

ちゃんと徹の言葉は届いたのに、それしか出てこなかった。
でもそれくらい、きっと理解が追い付いていなかったんだと思う。徹は私が思っていたよりもっともっと上を行っていたのだ。…こうなることは、予想していなかった。海外に行くって、どこに?ううん、どこだって日本じゃないのは一緒。遠距離って言っても、たかだか新幹線で数時間の距離とは訳が違う。

何だか夢みたいにふわふわしている。心にぽっかり穴が開いたような、そんな感覚。今聞いたことは、現実なんだろうか。

「…頑張って。応援する」
「…ありがとう」

でも、かろうじて絞り出した言葉に答えた徹の声が震えていたから。ちゃんとこれは現実なんだって思った。

そうしてただ抱き合っていたけど、しばらくして徹が「帰ろっか」って言って、それでまた一緒に歩き出した。さっきまでのことはやっぱり嘘みたいに、いつもと同じような会話をした気がする。
今日英語の先生が機嫌良かったとか、花巻くんが体育の時間に転んで今膝には小学生みたいに絆創膏が貼ってあることとか、もうすぐ席替えがあるらしいとか。

ただもうこの日進路の話をすることはなかった。


浅瀬で死んでいく昼夜



20.10.4.
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