及川長編 そんなものさいいもんさ fin
床についたボールの音が、ボールを追いかける選手の目線が、終わりを告げる笛の音が、全部スローモーションに感じた。

春高予選準決勝。

徹達の高校生バレーが終わった。




なんて声をかけたらいいかわからなくて、落ち着きなくロビーでウロウロするしかない私。負けるだなんて一ミリも思っていなかった。だって、前の時は勝った相手だって言ってたし。徹も、負けるわけないよって言ってたし。
こんなんじゃ、前に試合を見にきた時と同じだ。
そしてかける言葉は見つからないまま、遠くに見慣れた白いジャージの集団が見えた。

「あ…」

私の前で立ち止まった徹は、他の部員に先に行くように指示を出していた。通り過ぎるみんな、泣いている。
私は無言で私を見下ろす徹に、恐る恐る手を伸ばした。

「えっ」
「お、お疲れ、」

今まで何度も許可なく私を抱き締めていたその身体が、初めて小さく見えた。側から見たらやっぱり抱き締めるというより抱き付いているようにしか見えないかもしれないけど、でも言葉にできない思いも全部伝わるように、ぎゅっと強く力を込める。

何十秒か、何分か。実際にはそんなに経っていないかもしれないけど、無言の時間が続いて、それを破ったのは徹の呟くような小さな声だった。

「…ありがと」
「…かっこよかった」
「名前ちゃんには負けたとこばっかり見せてるけどね」
「…バレーしてる徹はかっこいいよ」
「えぇ〜…普段もそれくらい言ってよ?」
「い、今は特別!」

くすくすと笑う徹に少し安心した。きっと悔しくて悔しくて仕方ないはずだけど、それでもそのどうしようもない気持ちを少しでも和らげてあげたかったから。
前に見た試合で初めて徹が大切にしているバレーを知って、それが大きなきっかけとなって今私はこうして徹と一緒にいる。

しばらくそうしたあと、徹は部活のメンバーで帰るだろうからそこで別れた。

「また夜連絡するね」

そう言って去って行った徹は笑っていたけど、その背中はやはりいつもより小さく感じて。
私が思っている何倍も何十倍も、徹にとってのバレーボールは大きいんだと思う。私には到底想像できないくらい練習して、想像できないくらいの時間と気持ちで向き合ってきたんだと思う。
それでも負けてしまったら、もう終わりなんだ。呆気ないんだな、って、思ってしまった私は冷たいのかな。


* * *


夜。ご飯を食べてお風呂にも入って、部屋で参考書を開いていると震えるスマホ。画面には徹の名前が表示されていて、私は一度深く息を吐いてから通話ボタンを押した。

「もし、もし」
「あ、名前ちゃん?今大丈夫〜?」
「うん。もうお風呂上がって、勉強してたとこ」
「お風呂…」
「うっさいばか」
「まだなんも言ってないじゃん!」

電話の向こうの徹は存外元気そうで、今日の昼間に見たあの背中は見間違いだったのかと思ってしまう。でも、そんな訳ないのもわかっていた。空元気…とまではいかないけど、そんなにすぐに割り切れるもんじゃないと思うから。

「徹は?すぐ帰ったの?」
「ううん、学校戻ってみんなとバレーしてきた」
「えっ」
「楽しかった」
「…すごい」

あんな後で、どんなテンションでみんなでバレーやろうってなるんだろう。私には想像できないな。

「アイツらともっとバレーしたかったし、悔しいけどさ。でも、楽しかったんだよ。アイツらとやれて良かった」
「うん」
「青城でもっとやりたかった、って、それだけで、俺からバレーがなくなる訳じゃないし」
「うん」
「むしろまだ負けてないし。全員これから倒してやるし」
「…うん」
「だから泣かないで、名前ちゃん」

ずず、っと鼻を啜る音がやけに響いた気がした。穏やかな徹の声を聞いて、どうして私がこんなに泣いているのか分からないけど、でも涙が止まらなかった。
悲しいでもない、でも言ってみれば夏が終わるときみたいな、寂しい、切ない、そんな感じ。 

「…泣いて、ない」
「泣くなら俺の前にしてよ。抱きしめられないじゃん」
「泣いてないってば…」
「はは、名前ちゃんさては俺のこと大好きだね?」
「調子乗らないでよ」
「相変わらず手厳しいな」

これで徹達はバレー部を引退して、夏休みが終わって、受験があって、高校も卒業して。きっとそれはあっという間なんだろう。
でも私は、今日のことをずっとずっと忘れないと思う。

「徹はこれからもバレー続けるんだね」
「当たり前でしょ。俺からバレーとったらただのイケメンになっちゃうじゃん」
「そんなことないと思うよ」
「バレーしてる俺かっこいいって言ってくれたのに?」
「………」
「あ、黙秘?」

私が徹を元気付けなきゃいけないのに、なぜか私の方が励まされているみたいになってるのはどうしてだろう。

「…ちょびっとだけね」
「今日くらい、もうちょっとデレてくれてもいいんじゃない?」
「…まぁ…かっこいい、けど」
「やった」

こうして、高校最後の夏はあっさりと終わっていった。


もうあの夏は還らないと言う



20.8.30.
- ナノ -