及川長編 そんなものさいいもんさ fin
「…わかんない」
「どこ?」
「ここ」
「ああ…ここはね、」

6月末、放課後。ここ最近毎日、教室で徹と二人勉強会を開いていた。もうすぐ期末テストが始まるからだ。

「あ、わかった」
「良かった」
「…ありがとう」
「どういたしまして」

ずっと私たちの間にある微妙な距離感。ふわふわした空気に、少し居心地の悪さを感じる。表面上はいつも通りを装っていられてると思う。けれど以前にも増して、この関係性に、この気持ちに、名前をつけ難くなっていることは確かだった。

「無駄に教えるの上手いよね、ほんとむかつく」
「名前ちゃん教えてもらっといてその態度どうなの?」
「はいはいありがとう」
「もっとちゃんと感謝してよ!」

文句を言いながらも丁寧に教えてくれて、勉強はかなり捗っている。そしていつも通りに軽口が叩けていることに、安心している。不安定な今の関係に、何も変わりがないことに。安心、している。

「テスト終わったらどこ行こうか」
「徹の行きたいとこでいいよ」
「名前ちゃんは、なんかないの?」
「特に」
「ドライだな」

期末テストが終わったら、どこかに行こう。

この間した、徹曰くデートの約束。

「うーん…この間マッキーが新しいケーキ屋さんが出来たって言ってたんだけど、そこ行ってみる?」
「徹って甘いの好きなの?」
「普通だけど…名前ちゃんは好きじゃない?」
「…好き」
「じゃあそこにしようよ。なんかカフェみたいになってるらしいから、そこなら放課後でもちょうどいいでしょ」
「…徹慣れてるよね」
「え?」
「なんか、女子に喜んでもらえるプランを心得てるっていうか」
「大袈裟だなぁ。でも、」
「?」
「名前ちゃんとのデートだし、本気出さなきゃ、ね?」
「…知らない」
「まーた照れてる」

こういうときニヤニヤ笑う徹はムカつくけど、言い返せないくらいには本当に照れてる自分がいるから更にムカつく。だってこんなのずるいじゃん。デート、とか。私は全然慣れてないのに。

「じゃあ決定ね。でももし他に行きたいとこが出来たら教えてね」
「わかった」
「はい、続きしよ」

そこからは何となく、向かい合って座る徹が気になって集中できなかった。


* * *


テストは、まぁまぁできたと思う。むしろいつもより手応えはあって、それはあの勉強会が無駄ではなかったことを意味していた。

テストが終わると、今日は久しぶりに部活がある徹はそっちに行ってしまうし私はまた一人で帰宅するのみだ。ちょうど今日は週末の金曜日だから、約束の月曜日は3日後。
あれからは特にその話に触れることはなかったので、言ってた通り新しいケーキ屋さんに行くんだろう。そこで少し楽しみにしてしまっている自分がいることに気付いた。あー恥ずかしい。

「ね、苗字さん」
「?」

帰り支度をしていると、クラスの子に声をかけられた。

「ちょっと噂で聞いたんだけど…」
「なに?」
「苗字さんと、及川くんって…実は付き合ってないって、ほんと?」
「え?」
「なんか、付き合ってるフリしてるだけみたいな…」
「…どこで聞いたの、それ」
「苗字さんと及川くんがそんな話をしてるのを、聞いた子がいて。テスト期間中くらいから広まってるよ」
「…」
「もしかして本当なの?」
「…うそだよ、そんなの」

もしかしたら、バレてしまったかもしれない。動揺して、上手く答えることができなかった。

その子は私の返答を聞いて「そっか」とそれ以上は聞かずに帰って行ったけど、でもバレるのも時間の問題かもしれない。噂に嘘はない。
もしバレたら、どうするんだろう。徹との偽りの関係は終わるのかな。バレー今すごく頑張ってるのに、周りが騒いだら迷惑かけるかもしれない。そんなの嫌だ。

「どうしよう…」

呟いた独り言は、一人になった教室に溶けて消えた。

そもそもこの関係を始める理由になったバレーのことはよくわからなかったけど、今では私も応援している。楽しそうにバレーの話をする徹を近くで見てきたから。必死にボールを追いかける徹を実際に見てしまったから。放っておけばすぐに女子に囲まれる徹が練習に集中できる環境を作ること、それが私に与えられた役目だった。

そして同時に気づいてしまった。私はそのポジションを、実は手放したくないと思っていることに。何故かはわからない。元々嫌いだった徹を応援したくなるくらいには、尊敬できる部分を知ってしまったし色んな面を見つけてしまった。いつも私を揶揄いながらも、最後には優しいことも知ってしまった。そのときの笑顔を、一番近くで私に向けてくれなくなる。それは嫌だった。

徹のこと、嫌いではない。

そう思い直したのは最近のはずなんだけど。でも実は、もしかして、

「…好き…なのかな…」

これがそういう感情なのか。言葉にしてみてもしっくりこないのは、その正解をまだ知らないからかもしれない。
わからないまま過ごしたテスト終わりの週末は、徹は部活があるし寝る前にメッセージを送り合うだけで終わってしまった。



そして月曜日。

今日は徹との放課後デートの日だ。毎週一緒に帰ることにはもう慣れてしまっていたのに、心持ちが違うだけでこんなにもソワソワする。徹の気持ちがわからない。私の気持ちもわからない。こんな状態で、いつもみたいに普通に出来るかな。
正解が出ていないこの気持ちは、徹に伝えるにはまだ早すぎるのだ。

教室にやってきたクラスメイト達によって、そんなことは一瞬で頭から吹き飛んでしまったけど。

「苗字さん、及川くんの本当の彼女じゃなかったらしいね!」
「え」


酸化する青




20.01.02.
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