銀島中編 嘘つき女と鈍感男

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「……ほんまに俺?」
「……うん」
「えー……」
「あ、あかん……かな」
「や、え?……あかんくない、けど」
「けど?」

 見上げた銀島の顔は、これでもかと言うほど真っ赤に染まっている。かくいう私もきっとそうで、それでも……もう今しかないから。ここで引き下がったら、私は一生後悔する。なのに。

「でも苗字、あのときから」
「……うん」
「角名のこと好きやったよな……?」
「…………は?」

 覚悟したその瞬間、無意識に肩に入っていたんだろう力が一気に抜けた。なに言い出すん、普通このタイミングでそんなこと言う!?言いかけたそれはなんとか声には出さなかったけど、それでも隠しきれず表情に出てしまっていたらしい。私の顔を見た銀島は慌てたように続ける。

「いやさっきの角名とマネの話もな、言ってからヤバいって思ってんで!?でも苗字案外普通そうやったし、まぁ俺が吹っ切れてるんやから苗字もそうなんかなぁーって……」

 銀島はやっぱり申し訳なさそうにして私の表情を窺っていて、そこにさっき一瞬訪れかけた甘い空気なんて存在しなくて、……いや、そんなもの最初からなかったのかもしれない。最初から、銀島はそのことばかり気にしていたのだ。
 それに気付いてしまった私は、今度は大きなため息を吐いた。もう無理。考えんのめんど。そもそも私今日は疲れてんねんて、ほんまに。

「や、やっぱまだアカンかった……?ごめん!俺苗字の気持ちとか考えず無神経なこと言うた!」
「いや……」
「そりゃあんな好きやったんやもんな、会わんくても忘れられへんかったりするよな、」
「いやちょお待って銀島、」
「でも自棄になったらアカンで!苗字美人やねんから、俺みたいなんちゃうくてももっといい相手おるから!」
「……」

 撃、沈。

 銀島の熱い言葉(てかお説教?)を聞いて、私はもう一度ため息。もう言い返す気力もなかった。
 それでも一個言いたい。そんなん気にしてへんし!私角名のことなんか好きちゃうから!そんなん角名の彼女が好きやった銀島と話合わせるための嘘やから!
 ……なんて、今更言えないし銀島も信じてくれなさそう。なによりそんなくだらない嘘をついていた理由を聞かれても、銀島が好きだからですなんて私が素直に言えるはずがない。捨てたと思っていたプライドは、やはり捨てきれていなかったのだ。

「はーほんま……アホ」
「え、苗字は頭良いやろ」
「誰が私のこと言うた」
「え、俺!?」

 銀島の言葉には答えず、私は止めていた足を動かした。

 結局その話はそれきりになり、だけどどんな神経をしているのか銀島は普通に会話を続けてくる。
 「アホって言うたら二年の最後のテストのときさぁ」とか、「昨日駅でめっちゃでっかい虫見てん」とか、いやどうでもいいねんけど。
 それやのにいつの間にか私はそんなどうでも良い話に笑っとって、高校のときから銀島はこんなんやったよなぁ、三年間こんなアホなことばっか言っとったなぁ、なんて……懐かしくて、楽しくて。

 いやほんまに私、角名のことは元からやけど銀島のことだってずっと引き摺ってたわけちゃうねんで?今日こうやって再会するまでは忘れとったくらいちゃんと私の中では終わってたことやったのに……せやのにこんな数十分であのときの気持ちを蘇らせてしまうとか、予想外で。

 アホみたいな話をするときのこの距離感とか、私の本当の気持ちになんて一切気付かない銀島の鈍感さとか、大きく口を開けて笑うその笑顔とか。思い出してしまえば、全部が懐かしくて私をときめかせる要因になってしまう。あの時の私に、戻ってしまう。
 ほんまにアホなんは私。だってまたこうやって叶いもしない片想いの沼に足を踏み入れようとしているのだから。

だけどあの時の私と違うのは、その狡さがあの時より格段に上がったってことだ。あの後それなりに恋愛というものを経験して、社会の波にも揉まれて、……ずっとずっと大人になったのだ。

「……銀島、さっきの話やねんけどな」
「ん?」

 銀島はきっとこの話をまた蒸し返されるとは思っていないだろう。でも私にとっては、ほんとに今しかないんやって。

「私、銀島と付き合いたい」
「……え?」
「角名のこと、忘れさせてくれんのは銀島しかおらへんねん。あんときからずっと……やっぱり銀島がおらなあかんねん」
「は、え、ちょ」
「やから……銀島と、付き合いたい」
「苗字」
「……角名のこと、忘れさせて?」

 銀島が好きなことを隠して、好きでもない角名をダシに使って、あのときの嘘をまたつくことになるとは思わなかった。ここで素直にほんまは銀島が好きやってんって言えば、……言えれば、なんの後ろめたさもなかっただろうに。
 だけど私は、こう言えば万が一にも銀島が断らないことを知ってるの。

 あのとき私がずっと銀島の話を聞いてあげていたことを……私以上に銀島は恩に感じてくれている。だからきっとあのときの苦しみをまだ私だけが持っているって知ったら、見捨てることなんて絶対しない。素直。優しい。正義感が強くて、お人好し。銀島はそういう男だ。

「お、俺なんかでええん?」
「ん、……銀島じゃないとアカン」
「……後悔せん?」
「せんよ、絶対」
「……苗字がそう言うなら」
「!」
「俺でええなら。よろしくお願いします」

 眉を下げて銀島が笑う。私も銀島も顔を真っ赤にして、道の真ん中で向き合って、こんな。大の大人がなにしてんやって感じやけど、でも。
 高校のときからずっと夢見てたことが今目の前で叶って、……それすらも夢みたいで。

 片想いの沼じゃなくて両想いになったやんって?ううん、そんなわけない。銀島のこれは罪悪感とか責任感とか、……それだけの関係。相変わらず片想いなんは変わらん。でもそれでもええ。

「な、なんか照れるかも……」
「そんなん苗字がそうなら、俺もっと照れてるて……」
「銀島私のことなんやと思ってるん、」
「褒め言葉やて」
「絶対嘘やん」
「嘘ちゃうて」

 こんなやりとりでもしてないと、間が持たないなんて。

「……よろしくね、銀島」
「……おん」
「……でも嫌だったらすぐに言ってね」
「それは、……苗字こそ。嫌んなったらすぐ言ってな」

 そんなん、銀島が嫌って言わん限りはないよ。そんで銀島も私が言わん限りは、多分嫌って言わん。
 こうして私の無駄なプライドからついた嘘が、こんな歪な関係を作り上げてしまった。でもこんなんでも喜んでる自分はほんま、嫌な大人になったなぁ。昔の純粋で健気やった自分が聞いたら、きっと吃驚するやろな。


22.01.10.
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