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「あれっ、もしかして苗字?」
「え?ぎ、銀島?」
「やっぱり!苗字やん久しぶり!どないしたんこんな時間に、元気しとった?」
「まぁ普通……」
「相っ変わらずクールやなぁ」
「銀島がテンション高すぎなだけやろ……何、お酒入っとる?」
「さっきまでバレー部の同期で集まっとってん!」
「うわ懐かし……」
残業終わりの帰り道、今日も上司のセクハラは酷すぎたし後輩は使えないしその他色んな不幸なことが重なって、ここ最近では一番の疲労度。
明日は休みだから早く帰ってゆっくりお風呂に浸かってそれから……なんて考えていたら後ろから話しかけられて、私は大袈裟に驚いてしまった。
懐かしい声。高校の同級生と会うことなんて今やほとんどないのに。なんでよりによって銀島なんだろうって、疲れた頭は正直だ。だって今、人に見せられる顔じゃないもん。
「遅い時間に一人でこんなとこ、危ないで」
「……しゃーないやん、残業やってんもん」
「うわっそうなん?こんな時間まで?お疲れ」
「……ありがとう」
「家どっち?送るわ」
「は!?い、いらんいらん!」
「なんでや、危ないって」
「酔っ払いに送られたない」
「そんな酔ってへんて〜」
酔っ払いはみんなそう言うねんて。いやほんまに、まじで勘弁して。何が悲しくて私は最大限に疲れた一日の終わりにかつての想い人に家まで送ってもらわなきゃいけないのだ。
嬉しい?そんなわけがない。だってあの頃から銀島には好きな人がいて、私のことなんかこれっぽっちも見てくれなかったんだから。
どうせまだバレー部のマネージャーやったあの子が好きなんやろ。あの子に久しぶりに会えてテンション上がったとかでそんな情けないふにゃふにゃした顔してんねやろ、って。この気持ちを味わうのも久しぶりだった。
「なーなー苗字ー」
「……」
「苗字?苗字ー?」
「なに……なんでそんな機嫌良いん」
だからって私、こんなこと聞かなくても良いのに。有無を言わさず勝手に送ってくれる流れになって、隣を歩く銀島にこの後続く言葉なんて知っているのにこんなことを聞いて。
別に卒業した今もずっと銀島が好きだったわけじゃないのに、私だってそれなり歳を重ね恋愛だってしてきたのに、こうして再会するまであの時の気持ちなんて完全に忘れていたのに……こんなん、今更思い出させんといてよ。
「角名がな、結婚すんねんて!」
「角名……え!?角名って……角名?そうなん?」
だけど銀島の口から聞かされたのは、全く予想外の言葉。
「せやねん。おめでたいやろ?やから機嫌ええんかもしらんなぁ」
「え、……それはあの……マネージャーの彼女と……?」
「おん。すごいよなぁ。高校んときからやから、結構長いであそこも」
「そ、れは……大丈夫なん?」
「ん?何が?」
「や、だって……銀島って角名の彼女のこと、」
「あー……」
角名は同じクラスにこそなったことないけど、でも知ってる。当時から銀島達のバレー部は有名だったし、その中でも目立っていた宮双子の侑の方と、それから角名は今やプロにまでなった有名人なんだから。
そしてなにより……角名は銀島の想い人であるバレー部マネージャーの、彼氏だったから。
私が言いたいことなんて、最後まで聞かなくても察することが出来ただろう。何を隠そう当時銀島の恋愛相談を一番聞いていたのが私なのだ。
好きでしてたわけじゃない、私だって銀島のことが好きなのを隠して、銀島の好きな人の話を聞くなんて。それでもやめられなかったのは、そうやって銀島と一緒にいられる時間を少しでも作りたかったから、なんてあの頃は純粋で健気やったなぁ。
思いがけず高校生の頃の切ない記憶が蘇り、胸がチクチクと痛んだ。
もしかして銀島のこれは空元気なんじゃないだろうかって、あのとき必死に想い人を励ましていた自分が顔を出す。それなのに、目の前の銀島は私が思うより全然何でもない風に笑ったのだ。え、って。息が漏れた。初めて見るあの頃より大人っぽいその表情の中に、少しだけ昔の面影が残っている。
「全然!流石にもう……ていうかあん時から別に角名からとったろとか思ってへんかったしなぁ。今はもう純粋に、おめでとうって気持ちしかないわ」
「そう、なん……」
「あ、疑ってるやろ。ほんまやで?」
「別に疑ってるわけちゃうけど……」
「でも今こうやって思えるんも、苗字のお陰やな!」
「へ」
「あん時の俺は、苗字に救われとったから」
ニシシッて笑うその顔はやっぱり昔とおんなじ。照れ臭そうに、だけど真っ直ぐ私を見つめて、そんなの私の方が照れてしまう。勘弁してや、こっちはシラフやねんて。
顔を見られたくなくてそっぽを向いた私には気付いていないのか、銀島は鼻歌まで歌い出す。
頬を撫でる風も空気も冷たいはずなのに、それを感じさせないくらいに身体は熱くなっていた。
「あっそ……」
「冷たっ」
「……元気そうで何より」
「苗字は?」
「え?」
「彼氏とかおるんやろ?」
「いやなんでおる前提なん、分からんやん。高校ん時もずっとおらんかったやろ」
「それはそれやん?苗字むっちゃ美人やし、高校ん時も苗字狙ってる奴ようけおったし、もう流石に相手おるやろなぁって」
「……」
私は、銀島の素直なところが好きだった。何に対しても真っ直ぐで、そんな飾らないところが好きだった。だからってこんな……いつの間にかちゃんと吹っ切れていた銀島に安心したそばから、こんなこと聞いてこないでよ。
ほんとは私も銀島が言うように自分がそこそこモテることを知っていたし、それなのにじゃあどうして三年間ずっと彼氏も作らなかったのかって、そんなのそれだけ銀島のことが好きだったからに決まっている。
それは、今更銀島から美人、なんて言われたその一言だけで浮かれてしまうのが何よりもの証拠だった。
「好きな人、は、おるけど……」
「え?そうなん!?え、だれだれ、俺の知っとる人!?いやそんなわけないか、職場の人とかか?」
振られても、なんてあの時想いを伝えなかったのは、子供過ぎた私のプライドが邪魔しただけ。他の男子にはそこそこモテるのを自覚してるのに本当に好きな人には振られるなんてって、思っちゃってたから。
それなのにこんな試すような発言は……少し美人と言われたからって浮かれた発言だってわかっている。それでも。
どくん、どくん。胸が痛い。あぁもう最悪、今日はただでさえ疲れてるのに、こんな疲れるようなことしたくない。考えたくない。なのに久々に会った昔の想い人に、これ以上ないくらい胸を高鳴らせているなんて。
「ぎ、銀島やって言うたら……どないする?」
「へ」
「……」
「お、俺?」
「うん」
「……苗字の好きな奴の話やんな?」
「うん」
「……で、俺?」
「……うん」
銀島、酔ってるんやんな。やからあかんくてもどないでも出来るよな、って。こんなことするの、私らしくないのは私が一番知っている。
なのにらしくもない自分の発言に、それを聞いた銀島の顔に……期待を持ってしまうのは、あの頃とは違う、プライドなんで簡単に捨ててしまえる大人になったからやろか。
21.12.02.
22.01.10 加筆修正.