2021黒尾誕 Hello,princess! fin

ぼくのプリンセスは手ごわい



「名前っ!」
「い゛っ、な、なんでっ」
「こっちのセリフだわ!帰るなら送るって言ってんでしょうが!」
「帰るなら、って……鉄朗が家にあげてくれなかったんじゃんん!」

 本気で走り出したのに、まさか数秒で捕まるとは思っていなかった。強く腕を掴まれそのまま引っ張られて、立ち止まるどころかそうした張本人……鉄朗の胸に勢い良く倒れ込んでしまう。
 今日一日、ずっとお姫様みたいに扱ってくれたのとは随分と違うその乱暴さに、耐えていた涙がじわりと滲んだ。ダメだ。こんな顔、見られたくないよ。

 それなのに鉄朗は私の両手をガッツリと掴んで、私はそのまま逃げないように向き合わされる。思わず見上げた鉄朗はちょっと走っただけでゼェハァと息を切らす私と違って当たり前に涼しい顔…………は、して、なかった。どうして。そんな顔するの。

「……なんでそんな逃げんの」
「に、逃げてなんか……」
「あんな不意打ちの全力ダッシュ決めといて?」
「……鉄朗が、」
「俺が?」
「鉄朗、がっ……」

 勢いで何を言おうとしても、肝心の言葉が見つからない。それが見つかっていたら、もっと最初からちゃんと伝えられたはずだった。さっきみたいな空気にもせず、楽しいまま今日を終えられたはずだった。
 だけど私にそんな事は出来なくて、憧れていたこととか夢見ていたものとか、ずっとずっと私が大切にしていたものたちが全部嘘だったみたいに崩れ去って……

 でもそれでも良いと思えたのに。あんなにずっと言い続けていた王子様とか理想とか、そんなのどうでも良くなっちゃうくらいに私は鉄朗のことが好きらしくて、昔からなんとなくで持ち続けていたこの感情がちゃんと恋なんだと名前をつけることが出来たのに。

「鉄朗が、私のこと襲ってくれない……」
「…………は?」
「お、襲いやすい服、ちゃんと着てきたのにっ、!」
「は?え、……はぁ!?なになになに、何の話!?」
「嫌なら嫌って言ってくんなきゃ、わ、分かんないよぅ……!」
「ちょ、待って名前、待て待て待て」
「鉄朗は私のこと、ほんとは好きじゃないの?だからキスもしてくれないの?家に、あげてくれないの!?」
「もうちょっと声落としてくんない!?」

 叫んでる鉄朗の方がうるさいけど。涙と一緒にぽろぽろと零れ落ちるのは纏まっていないぐちゃぐちゃの言葉たちで、もう抑える事は出来なかった。
 私があまりにも予想外のことを言ったのか、さっき逃げたときより断然今の方が焦ってる鉄朗に更に言葉をぶつける。

 さっちゃんが、鉄朗は私のことが好きだから絶対に「そういうこと」をしてくるって言ったもん。なのにあんなこと言われて、すごく傷付いた。あの子達が鉄朗の開けた扉を潜るのが嫌だった。王子様な鉄朗は好きだったけど、でももっと素の鉄朗も見せて欲しい。他の子にだけ見せる表情があったら嫌だ。どうしてあんなに女の子の扱いに慣れてるの。どこで覚えてきたの。あんなの私だけにして欲しい。それから、鉄朗にも同じくらい私を好きになって欲しい。

 ずずっと大きく鼻を啜って、ぼやけた視界で、私は今まで知りもしなかった汚い感情を全部吐き出す。瞬きするとまた大きな涙の粒が落ちて、子供みたいにしゃくりあげる私を呆然と見つめる鉄朗が映し出された。

「えぇ……」
「こ、こんなの分かんないんだもんっ、……鉄朗が、全部初めてだからっ、……」
「……」
「だから、……っあんな風に、突き放さないでっ……」
「んっとに、お前はなぁ、!」

 えっ。ぐらりと身体が揺れ、それから私はまたさっきみたいに大きく鉄朗にダイブした。だけど今度はそのまま背中に腕が回されてきつく拘束されるから、もう動くことは出来ない。
頭の上に鉄朗の手が乗って、朝プレゼントを渡した時とは違ってぐしゃりと撫でられた手付きは乱暴で、なのにそれが少しだけ嬉しいなんて。

 近すぎる距離、くらくらと酔いそうなくらいに香る鉄朗の匂いと、走った後みたいに跳ねる心臓に今さっきとは違う意味で泣きたくなる。ぽろ、睫毛に残っていた涙が頬を伝った。
 そんな私に、鉄朗は「言っとくけど」ってさっきとは違って……うんと優しい声。

「名前が俺のことを王子様とか言うから、俺めちゃくちゃ研究したんですけど」
「え……?」
「研磨に話したらすっげえ顔されたし」
「な、そ、そうなの?」
「少女漫画もあのあとめちゃくちゃ読みましたし?」
「どうしてそんな、」
「名前がそれが良いって言ったんだろ」

 ゆっくりと顔を上げると、鉄朗の腕の中から見上げるその顔はほんのりピンクに色付いている気がする。どうして。だって私、そのままの鉄朗で良いって言ったのに。
 もう一度問えば、多分あんまり言いたくないんだろうなって分かるけど、歯切れ悪くも紡がれる私の知らない鉄朗のこと。

「好きな子がそれが良いって言うなら、ちょっとくらい無理してでも叶えてあげたくなっちゃうんデスヨ」
「好きな、子」
「王子とか姫とか、そういう訳わかんねえことでもノっちゃうくらい名前のこと好きだって俺言ったじゃん。だからあん時チャンスだって、思ってさ」
「い、いま訳わかんないって言った!」
「いや意味不明だろ!俺が王子って、自分で言ってて恥ずいわ!つか本気で教室であんな小っ恥ずかしいことできるか!」
「そんなことないもん!鉄朗は王子様だもん!」
「だぁから!そうやって名前が言ってるうちは手出したら怖がらせるかなって」
「え、」
「……思ったんだよ。だからめちゃくちゃ我慢してたし、なに、あー……我慢しなくて良いならぶっちゃけ全然、今すぐ家来てもらってもいいけど?まじで我慢しなくて良いなら?」
「へ、え、」
「言われなくても、昔からとっくに俺は名前だけのものなんで」

 そうやって笑う鉄朗が最高に格好良くて、その言葉の意味を理解する前から私はきっとめちゃくちゃに赤くなっている。だってそんなのずるい。鉄朗、私のことそんなに好きなの?今日のも全部、頑張ってそうしてくれてたってこと?私の理想を叶えてくれるために?

 熱を帯びた鉄朗の手がいつもみたいに私の頬にゆっくりと触れて、それから焦ったく皮膚をなぞる。まるであの日の続きをするよって、そう言ってるみたいな手つきにぞくりと身体が震えた。

 頬に添えられた手から伸びる長い指先が私の耳裏を掠めて、熱いのなんてきっとお互い様だ。私の瞳に映る、少しだけ緊張したような真剣な表情の鉄朗にずきゅんと胸を打ち抜かれる。
 好きだよ。格好良いよ。昔も今も、やっぱり鉄朗は私の王子様なんだよ。そう言ったら、まだそんなこと言うのかってもしかしたら呆れちゃうかもしれない。どきん、どきん、どきん。だけど私だけのだって、そう言った鉄朗はしっかりとオトコノヒトの顔で私に影を落とした。

「ふ、……ん、ぅ、」
「……名前、息して」
「ん、っ……」
「……」

 あの日と違う、躊躇いなく重なった唇。私のものとは違う温度に触れたそこから溶けてしまいそう、思わずギュッときつく目を瞑って息をするのも忘れてしまう。
 そんな私に鉄朗はフッと小さく息を漏らして、息してって言う割には角度を変えてゆるゆると擦り合わせるように触れるその唇は私を追いかけて離してくれない。

 好きな人との魔法みたいに思っていたそれを、自分が今してる。初めてのキス。ふ、って苦しくて一瞬漏れた息も食べられて、苦しいのに蕩けるくらいに甘くて、どうしようもなく胸がいっぱいになって。

「っ、……はぁ、」
「……おわっ」

 やっと肺に酸素を取り込んだと同時に身体の力が抜け、私はそのままへなへなとしゃがみ込む。支えようとしてくれた鉄朗も一緒になってしゃがみ込んで、二人して道の真ん中でこんな……っていうか道の!真ん中!こ、こんなところでちゅーしちゃった……!

「大丈夫?」
「だ、誰にも見られてないよね……?」
「……どうでしょね」
「!もしかして人通った!?」
「……通りかけて、戻ってった」
「さ、最悪だ……!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「まぁ……しちゃったもんは仕方なくね?」
「……」
「なに」
「なんか、鉄朗、普通……」
「は?」
「わ、私はこんなにドキドキしてるのに……」

 そう言って目の前でヤンキー座りする鉄朗を見上げるけど、ほら、心なしかまた一段とキラキラして見える鉄朗に私はいつまでも夢中なのだ。どうしよう。また好きになっちゃったかも。
 呟いた私に鉄朗は、はぁ、って短く息を吐いてそれから私を真っ直ぐに見つめた。なんかちょっと分かっちゃったかも。鉄朗って、照れたり恥ずかしかったりすると真顔になるよね。今まさにそんな表情で、だけど視線だけは逸らさないから相変わらず私をドキドキさせる天才。
 こんなの、さっき散々味わったばかりの唇の感触ばかり思い出して、そこにしか目がいかないよ。でもそれをしたら逆効果でもっとドキドキが速くなった気がした。

「……俺だって余裕なんかねぇけど」
「嘘、だぁ……」
「ほんと。初めてだったし」
「……嘘、だぁ」

 あんなに女の子の扱いに慣れてたのに?私が知らないだけでほんとは今までに彼女とかいたんじゃないの、なんてあんまり考えたくはないけど。

「ほんとだって」
「信じられない……そんなの根っからの王子様じゃん……」
「ぶはっ……結局そうなんの?」
「だって……」
「まぁ違うんだけど、いっこだけいい?」
「うん?」
「ちょっと手出して」
「手……?」
「あ、そっちじゃない。左手な」

 鉄朗に言われるがままに左手を出すと、鉄朗はその中の薬指の先をちょん、と緩く掴む。それから優しく爪を撫でて……するするとなぞって、最後に付け根の部分をキュッと摘んで。
 一連の動作を見守っていた私にその意図は分からないのに、何故かソワソワする。鉄朗に目を合わせて、そして言葉を待った。

「俺、今日で十八なんだけど」
「うん」
「知ってた?」
「も、勿論」
「じゃあー……男が十八になったら結婚出来るってのは?」
「え」
「知ってた?」
「し、知ってた、よ……」

 どくん。いつの日かさっちゃんに話した、王子様が迎えに来てくれるかもって話。鉄朗が撫でる、私の左手薬指。それがどういう意味を持つのか、ここまできて気付かない程鈍感ではない。小さい頃から伊達に夢見ていない。
 バチリと重なったままの視線にピリリと緊張が走って、もしかしてあの時聞いてた……?なんて。あり得ない話じゃない。だって鉄朗は、今日のデートでも散々私の理想を叶えようとしてくれたのだから。

「まぁすぐにってのは無理だけど」
「……」
「学生だし。卒業したら大学だって行くし、まだもうちょっと先になると思うけど」
「ん……」
「そん時になったら、本物の指輪持って、薔薇の花束抱えて迎えに行くからさ」
「ん、……ん、」
「だから、予約させて」
「予約……?」
「うん。俺が名前だけの……王子?になって、迎えに行くから。そん時の予約」
「なん、でっ……笑ってんのぉ……」
「ぶっは!名前はなんで泣くの」

 違うもん。これは嬉し涙だもん。いつの間に、どこから出したの、まさかこれを今日渡すつもりでずっと持っていたの、自分の誕生日なのに?
 鉄朗が持ってるおもちゃの指輪は昔よく遊びで着けていたもので、……今の私じゃ小さすぎて薬指の半分のところで引っかかってしまっているそれは間違いなく当時の、……あの約束の日に鉄朗がくれたもので。

「て、鉄朗が持ってたの……?」
「あげたのに俺ん家に忘れたの誰だよ」
「嘘ぉっ……」
「普通こういうのってずっと大事に持ってるのを俺が発見して、きゅんってさせられるんじゃねえの?」
「ご、ごめん、なくしたと思ってた……」
「それでよく約束したとか言えたわこの子」
「うっ……」

 プラスチックなのにまるで宝石みたいにキラキラ輝いて見えるそれは、あの日と変わらない。私にとっては世界一の宝物。
 止まらない涙を指で拭って、それでもまた頬を濡らす私に鉄朗はにやりと笑う。

「今度は大事に持っててネ」
「うんっ……」

 本物のお姫様は、きっとこんなこと言われない。それに本物の王子様だって、こんな風には言わないと思う。それでもいいんだ。これで良い。
 誰がなんて言おうと、私はこの瞬間鉄朗だけのお姫様にしてもらえたのだから。




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