2021黒尾誕 Hello,princess! fin

愛してるだなんて云えない



「お魚プレートだって。これもあの水槽で泳いでた奴らかな?」
「あはは……結局魚食べるんじゃん」
「まぁあったらね?これは選んでくれって言ってるようなもんじゃん?」

 こんなはずじゃなかった。さっきのことが引っ掛かって今を心から楽しめない。
 鉄朗が好きで、鉄朗を王子様みたいだと思って、そんな鉄朗に沢山ドキドキさせてもらったのに……さっきのあの瞬間、あの子達みたいに気兼ねなく構ってもらえるのも羨ましくなったなんて、おかしい。絶対絶対おかしい。

 そりゃあここ何年かはそんなに話したりしなかったけどそういうのはもう幼馴染でいっぱい経験したじゃん。元から私と鉄朗の距離感は確実にさっきのあの子達より近くて、それでもその関係を抜け出したくて、好きな人の隣で小さい頃から憧れ続けた童話のお姫様みたいになりたくて……鉄朗はそれだって叶えてくれたのに。
 何が不満なの?って自分に問いかける。不満なわけがない。じゃあなに?どうしてモヤモヤするの?

「名前?」
「あ、な、なに?」
「美味しくない?」
「え!?美味しいよ!食べる?」
「えー、じゃあ食わせて」
「えっ」
「あー」

 そう言って口を開く鉄朗には「あーん」待ちなのか、楽しそうに私の様子を窺っている。ずるい、ずるいずるい。一瞬戸惑ったけれど、それを悟られないようにフォークを持つ手にグッと力を入れた。私のお皿の上に乗ったお魚ハンバーグを一口鉄朗の方に持っていくと大きく開いた口にそれは吸い込まれていって、「ん」って鉄朗が短く音を漏らした途端に嬉しそうに笑って。

「美味いじゃん」
「う、うん……」

 そんな鉄朗を見るとモヤモヤなんてどうでもいいのかなって思ってしまったり、それでも完全には消えてくれなかったりで自分の気持ちを自分自身でコントロールできないのが悲しい。

「おーい名前チャン?」
「えっ」
「反応してくれないと流石に恥ずかしいんですけど」
「あっ、えっ?」

 また一瞬思考がとんでた。苦笑する鉄朗は自分のお魚フライをさっきの私みたいに差し出してくれていて、これは私にも食べろってこと……?
 ドキドキしながら口を開くとそれがゆっくりと私の口に運び込まれ、サクサクの衣とふわふわの白身魚の食感に私も「んっ」と自然に声が出る。

「美味い?」
「美味しい!」
「だろー?」
「なんで鉄朗がドヤ顔なの」
「なんとなく」

 にやり。あの子たちには向けられない、私だけが見られる鉄朗のその表情を見ながら、私は何故かその瞬間……このモヤモヤの正体に気付いてしまった。さっきあの子達の前で見た鉄朗と、今日至る所で感じたやけに「慣れている」鉄朗がリンクするからだと。
 あぁやって気軽に他の女の子と話して、距離も近くて、そうやって培ってきた鉄朗のコミュ力や気遣いを好きだと言いながら、それを他の子達にも沢山見せてきたんだと嫉妬してしまっているのか。自分でも意味不明。自己中すぎ。

 私は、王子様に恋したかったのに。恋、していたはずだったのに。今更気付いた。結局はそんなものより、もしかして鉄朗だったら何でもよかったのかなって。今みたいな鉄朗も、皆の前の鉄朗も、全部全部独り占めしたいって……そんなこと、本物のお姫様は思ったりしないよ。

「名前?食わねえの?」
「あ、た、食べるっ」
 
 でも気付いたからって私と鉄朗は既に付き合っているし、どうもしようがない。こんなの言ったって困らせるだけ。だけどじゃあこのモヤモヤは……どうやったら消えるの?

 それから時間が進む度、今日の終わりが刻一刻と近付くにつれてどんどんと憂鬱になっていく私。だって今日が終わったらまた明日から学校で、そしたらいつもの鉄朗に戻ってしまう。
 明日から、他の女の子に優しくしている鉄朗を見ても普通でいられるか……またこんな気持ちになるんじゃないかって、そんな心配をする日がくるなんて思わなかった。
 レストランを出た後もまたあの子たちに会ったら、なんて一人で心配して、そんな私はもう鉄朗の話すら碌に聞いていなくて。

「名前?」
「うん……」
「おーい。疲れた?」
「あ、え?そんなことないよ?」
「お土産見てくデショ?」
「あ、……うん……」
「?」
「やっぱり、いいかな……」
「え?」

 鉄朗が立ち止まったから、手を繋いでいた私も自然に立ち止まった。一緒に作ったブレスレットが揺れて、鉄朗が腰を曲げて私を覗き込む。今私がどんな顔をしているのかなんて分からないけど、でもなんとなく見られたくなくて鉄朗の視線から逃れるように俯いてしまう。

「なんで?行きたかったんじゃねえの?」
「え、っと……でもブレスレット、作ったし。もういいかなって」
「いいじゃん。他にも色々あるだろうし見に行こうぜ」
「いいの、行きたくなくなった」
「……ふーん?でも俺は名前チャンと他のお揃いのものもなんか見たいな〜?」
「い、行きたくない、もう帰ろ!」
「…………名前がいいならいいけど」

 あ。言い方、間違えちゃったな。ちょっとだけ空気がピリついた気がする。そりゃそうだ、今日は鉄朗の誕生日なのにこんな自分勝手なことでモヤモヤして、勝手に空気を悪くして……私、何してんだろ。私が今日出来たことなんて、精々買ってきたプレゼントを渡しただけ。
 自己嫌悪でどんどんと沈んでいく私に、鉄朗はもう何も言わなかった。

 あんなに楽しかったはずなのに、今は本当にあれが今日の出来事だったのかと思うほどに気まずい雰囲気が流れる。謝らなきゃ。そう思うのに、口が開かない。なんて言えばいいのか分からないし、何か聞かれたとしてもそれに答えられる自信がない。さっき芽生えたばかりの気持ちの変化を伝えるには、まだ言葉を整理しなきゃいけなくて、それには時間が足らない気がして。

「……」
「……」

 朝はあっという間だった電車での時間も、とてつもなく長く感じた。そのくせ最寄駅に着いた瞬間、もう終わってしまう、なんて焦りにも似た気持ちが湧いてきてしまう。
 さっき素直にお土産を見るって言っていたら、今こんな風になっていなかったのかな。でも、でも。後悔しても遅いのに。

「……て、鉄朗」
「……ん?」
「あ、……その、」

 なんて言うかなんて、考えていなかった。ただただ焦りから転がり落ちた声が、震える。鉄朗は私が何か言うのを待ってくれていたけれど、いつまで経っても何も音にはならなくて……痺れを切らしたのか「帰ろっか。送るわ」って、それだけ言って私の返事も待たずにまた歩き出してしまった。付き合ってから初めて聞く少しだけ冷たい声色に、萎縮してしまう。

 今どんな顔をしてる?何を思ってる?一歩前を歩く鉄朗の背中を見ながら、思う。手は繋いでいるのに心はうんと離れたところにあるみたいで、泣きたくなった。
 こんなはずじゃなかった。今日はうんと、とびきり楽しくしようって。そうなるはずだって、思っていたはずなのに。

「鉄、朗……」
「……ん?」
「か、帰りたくなぃ」

 なんとか絞り出した声は届いたみたいで、またゆっくりと振り返る鉄朗の感情は読めない。伝えたいことは沢山あるはずなのに、それよりもこの気持ちをどうにかして欲しくて、私はまるで駄々を捏ねる子供のように繋いだ手に力を込めた。

 無表情で見下ろされるのに緊張して、どくん、どくんって心臓は嫌に忙しく鳴っている。

「……じゃあどうする?」
「え、……っと、」
「俺ん家でも来る?」
「う、んっ」

 鉄朗の提案に、私は食い気味に頷いた。鉄朗の家。久しぶりだ。小学校のとき、以来かも。
 だけど今更鉄朗の家でゲームをするとかただお喋りするとか、そうじゃないことは分かっていた。鉄朗がどんな意味で今それを言っているのかも。だってさっちゃんにも散々言われたし、その準備だってしてきたし。
 あの時はあり得ないと思ったけど、でも、鉄朗が私の理想の中の王子様じゃなくて、もしかして普通の男子高校生なのかもって、そして私はそっちの鉄朗を求めてしまっているのかもって気付いた今、私に頷く以外の選択肢はなかった。

 今までとは全然違う感情がどろどろと渦巻いている。綺麗な「好き」だけじゃない、お姫様じゃなくなってしまった私はむしろこれから起こるかもしれない「そういうコト」を利用してこのモヤモヤを消そうとしているのかも。
 私だけしか知らない鉄朗をもっと見せて。あの子達が知らない、私だけの鉄朗を。

 だけど頷いた私に、鉄朗はこれでもかというくらい渋い顔をして、

「……やっぱ無理」

 そう短くそう告げられて……ヒュッと喉から息が漏れた。上がりかけた気持ちが一気に地の底まで突き落とされる。

「ど、どうして……?」
「なんでも」
「なっ、……答えになってない!」
「お前なぁ、」
「言ってくんなきゃ分かんないよ、」
「……お姫様はそんなにホイホイ簡単に男の部屋に上がったりしねえんじゃねーの?」
「え……」

 どうして。どうして、今そんなことを言うの?そんなに冷めた声で、冷めた目で私を見るの?普通、付き合ったら彼氏の家にくらい行くものじゃないの?鉄朗は嫌なの?私とそういうこと、できない?そういえばこの前のお昼休みも、そういう雰囲気になったら茶化されてしまったし。
 ぐるぐると思考は纏まらないのに、視覚、聴覚は研ぎ澄まされたように色んなものを受信しまくっている。

 あぁ、あんなに楽しかったのが本当に嘘のよう。もしかして幻滅されたのかな。……鉄朗の方から誘ったのに。って。

「……か、帰るっ」
「だから送って、」
「いい!いらない!」

 こんな風に逃げ出したって意味がないのは頭では理解しているのに……これ以上鉄朗の顔を見られなくて、気付けば私は王子様から逃げ出すシンデレラのように駆け出していた。ガラスの靴なんて元から履いてやいなかったのに。


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