2021黒尾誕 Hello,princess! fin

惚れられた強み



 いってきまーすと呟きながら玄関を出てすぐ、視界に映ったトサカ頭に私は固まった。そんな私に気付いた当の本人は眠そうな瞼を少しだけ押し上げ口角を上げているけど、え、なに、なに!?

「名前」
「黒尾!?こんなところでどうしたの!?」
「一緒に学校行こうぜー」
「もしかして待っててくれたの!?」
「今日朝練ないし、どうせ家近いじゃん」
「そう、だけど……」

 そんな急に。ん、と差し出された手に戸惑いながらも私も自分の手を重ねる。どうしよう。嘘みたい。私いま、黒尾と手を繋いでる。それに、

「……名前、久しぶりに呼ばれたね」
「あー……嫌?」
「い、嫌じゃない!けど、」
「けど?」
「なんか、変な感じ」
「変じゃねえだろ。俺たちお付き合いするんデショ?」
「!」
「名前も昔みたいに呼べばいいじゃん」
「昔みたいにって、…………て、鉄朗?」
「ん、」
「!」

 恥ずかしくなって視線を落とした私の視界には自分のつま先だけ。だけどそれも一瞬で、この反応を予見していたのか至って真面目な顔で私を覗き込んでくる鉄朗がいて……至近距離で目が合ったその瞬間、昨日のあれを思い出してしまう。

 教室の中でのワンシーン。本物の王子様みたいに私の目の前に跪いて、私をお姫様にしてくれたこと。

 そのあとすぐにチャイムが鳴って教室に戻ってしまった鉄朗は知らないかもだけど、私は大変だったんだから。クラスの皆に初めてあんなに囲まれて、質問責めにされて。
 私だって自分に何が起こったのか分からないから何も答えられるはずがないのに。

「名前?」
「なっ、……もう、なに!」
「いや?今更めちゃくちゃ照れてんなぁーって」
「く、……鉄朗こそ、よく照れないで普通にいられるよね!」
「まぁーね」

 まぁーね、ってなに!鉄朗が何を考えているのか私にはさっぱり。だけど観念して顔を上げた私を鉄朗はやはり揶揄っている感じではなくて、それが本当に謎。なんなの、なんなの。
 私は鉄朗のことが昔からずっと好きだったんだからその顔ですらもめちゃくちゃ格好良く見えて、ドキドキで朝から倒れてしまいそうなのに。

 ぎゅ、と握り込まれた手は朝晩が冷えるようになってきたこの季節、心地いい温もりを分け与えてくれた。

「あ、そういえば」
「?」
「馬とか乗れるようになった方がいいの?」
「え、……は?」
「白馬の王子様って言うじゃん。流石にそんなんで迎えに来てはあげられないんすけど。あ、チャリでもいいなら」
「なっ……ふ、ふふ、何言ってるの!?」
「……名前が王子様とかなんとか言ってたんでしょうよ」
「ふふふ、ふふ、ふふふっ」
「……人が真面目に聞いてあげてんのに笑うかねこの子は」
「ま、真面目に言うと面白いからやめてっ……!」

 真面目な顔、してると思ったら聞いてくるのはそんなこと。流石の私でも、それくらいは分かるよ。一気に身体の力が抜けて大きく肩を震わせる私に、鉄朗はギリギリと手の力を強めて私を非難する。
 ふふ、ふふふ、いた、っ、いたたたた。面白いのと痛いのとがごっちゃになって悶絶する私に、そのうち鉄朗まで笑い始めた。

「ぶふっ、……くく、な、ちょっと待ってつられるからやめっ、……」
「だ、だって鉄朗が変なこと言うから……!」
「だぁーからお前に合わせてやったんでしょうが!」

 朝から何してるんだ、私たち。漸く笑いがおさまった頃には学校に間に合うギリギリの時間で、やばいやばいって言いながら二人で走り抜ける通学路は見慣れたものなはずなのにいつもより輝いて見える。
 すごい。これが好きな人と両想いになって見える景色。全然違うじゃん。キラキラしてるじゃん。

 本鈴が鳴る一分前に滑り込んだ教室、私より教室が遠い鉄朗を振り返れば口パクで「じゃあな」って言って走り抜けていく。はぁ。この胸の高鳴りはきっと走ったからってだけじゃないはず。だって苦しいだけじゃないもん。今、めちゃくちゃ楽しいもん。

 席に着くときに目が合ったさっちゃんはそんな私をニヤリと笑って、あれは後で色々聞かれるんだろうなぁって分かるのにこの時の私はそれさえもちょっぴり楽しいと思ってしまった。


* * *


「で?どんな感じ、運命の王子様とは」
「ちょ、っと、さっちゃん!」
「名前が言ったんでしょ、黒尾は王子様だって」
「そ、そうだけど!」

 だから、そんな大きい声で言わないでってば!昨日のことを知ってるクラスメイト達には完全に聞こえちゃってるし、生温かい目で見られているのもその視線でビシバシ感じている。
 私はそれに気付かないフリを決め込んで、ズズッ、とパックのオレンジジュースを口に含んだ。

「……別に何にもないよ、昨日の今日だもん。鉄朗は部活があるから昨日はあれきり会わなかったし」
「ほう、鉄朗」
「……黒尾」
「いいっていいって、さ、惚気なさいよ」
「だからぁ、まだなんにもないんだってば!」
「まだ、ね?」
「もう!」

 鉄朗より目の前の友達の方がよっぽど私を揶揄ってくるってどういうことなんだろう。昨日の私の発言は自分で言っててなんだけど絶対に鉄朗にこそ突っ込まれると思っていたのに、別にそんな風には言われなかったし。

 鉄朗を思い出すだけでなんだか気恥ずかしくてソワソワしてしまう。それは長い間片想いしていた今までの比じゃなくて、だって昨日と今日の朝だけでもういくつも今まで知らなかった鉄朗の表情を知ってしまったから。

「朝も二人で仲良く登校してたじゃん」
「ま、まぁ……なんか迎えに来てくれて」
「お、流石幼馴染。家なんてとっくに知ってますってか」
「もうなに、さっちゃん……」
「いいからいいから、続けて」
「その……めちゃくちゃ自然に、手、繋いじゃったり」
「おおっ」
「む、昔も繋いだことはあるんだよ!?でもその、その時と全然違って、なんか……鉄朗もちゃんと男の子なんだなって、」
「いいね」
「鉄朗が何しても何言ってもなんかすっごいキラキラしてて格好良くて……ねぇどうしようさっちゃん!?」
「いやめちゃくちゃ惚気るじゃん。ね、どう思います、黒尾クン?」
「…………え?」

 黒尾クン。……黒尾くん?何これデジャヴ!?なんかこの感じ昨日もあった気がするんですけど!?
 最後のさっちゃんの言葉は私じゃない、私を通り越してその後ろまで投げかけられたそこには勿論鉄朗がいて。反射で振り返ってしまいバチンと合った視線、今の私は顔から火を噴きそうなくらいに一瞬で熱くなっている。

「い、いつから!」
「……恥ずかしいこと普通に言ってくれてっから俺いま結構動揺してる」
「絶対最初っからいたじゃんんん!」

 そういうのほんと駄目だよ!王子様はそんなことしないもん!こんな、恥ずかしすぎて死にそうで思わず私でも意味不明な責め方をすると、鉄朗は「え、ごめん」ってまた普通に謝ってくるから調子が狂う。
 だからなんなの。揶揄って欲しいわけじゃないけど、素直に認められたら私はどうしたらいいのか分からない。

 今までこういう話をしたら皆あり得ないって私を笑ったからだろうか。いつの間にか「そんなことないもん!」って言い返すことがお決まりになってしまった私は、逆にどう返したらいいのか困ってしまうのだ。

「で?黒尾は何しに来たの?姫に会いに来た?」
「あー、まぁ、うん」
「ちょっ、」
「だってさ名前。行ってくれば?」
「もっ、……さっちゃんほんと!後で覚えておいてよね!」

 どこかで聞いたことがあるかのような言葉を投げつける私、これじゃあお姫様どころか悪役……のその手下にすらならないかもしれない。だけど今はそれどころじゃない。恥ずかしさでどうにかなってしまいそうで、勢い良く鉄朗の手を取って教室から飛び出した。

 あああもう、ほんと、こういうのって慣れない。王子様が私を迎えに来るってただそれだけを夢見てた私は、その先を知らないのだ。王子様と想いが通じ合って、それで?その後はどうなるの?
 好きな人にどんな風に接したらいいのか、小さい時のお気に入りの絵本にその先は何も書いていなかったのだから。

「名前っ、」
「わ、あっ!」
「どこまで行くんだよ。あんま遠くまで行ったら昼休み中に戻って来れねーぞ」
「ご、ごめん……」
「まぁいいけど」

 ズンズンと突き進む私の手を握り返してくれた鉄朗。引き止めるように立ち止まってくれたのに倣って、私も足を止める。教室から大分離れた、屋上に上がる手前の階段。ここは昼休みでも殆ど人が来なくてどうせこの先に行ってももう何もないのだからここでいいだろう。
 私はゆっくり振り返って、そして鉄朗を見上げる。

「さ、さっきみたいなの、」
「ん?」
「恥ずかしくないのっ?」
「さっき?……あぁ、王子とか姫とか?」
「……」

 言葉にされるとやっぱり恥ずかしくて、私は黙り込んでしまう。自分で口にするのは平気なのに鉄朗がそういうこと言うってなんかやっぱり……何だ。うまく言えないけど。

「よく分かんねえけど、それが名前の昔からの夢で名前にとっては大事なことなんだろ?」
「……うん」
「そんならまぁ……別に言ったところでなんか減るわけでもねえし」
「で、でも」
「つうかそんな話にもノれちゃうくらい俺が名前チャンのことをずっと好きだったって思ってもらえれば?いいんですけど?」
「なっ、……にそれ!」
「ぶはっ、そのまんまの意味だよ」

 そう言ってまたポン、と頭に手を置いた鉄朗は見たこともないくらい優しい表情で笑うから、いま私は真っ赤な茹で蛸みたいになってしまっているだろう。
 それを、今度はにやにやと口元を緩めて「アララお顔が真っ赤デスヨ、お姫さん?」って言う鉄朗は確信犯。照れ隠しにベシベシとその腕を叩く私が本当にどこかのお姫様なら、とんだじゃじゃ馬姫だと家臣にため息を吐かれるかもしれない。

「いでっ、い、ちょ、痛いって名前!」

 結局そうやって鉄朗に止められるまでこの照れ臭さを誤魔化していた私は、止められても尚真っ赤な顔で鉄朗を睨みつけていた。


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