黒尾中編 炎天下のチェリー・ガール fin

リボンをほどくのは夜にして


「花火?」
「そ。花火」
「あるの?」
「線香花火だけな」
「えっなにそれ楽しくない」
「部活の奴らとやった時の残り。野郎でやったら余るんだよ、こういうの」
「まぁやるけどさぁ……」

いきなり黒尾からの「今日あいてる?」なんてメッセージを受け取ったのは、もう夕方と呼べる時間だった。いや急だな。って思いつつも「あいてる」とすぐに返すのは、机の上に広げたワークに飽き飽きしていたからだ。卓上扇風機の風でペラペラと捲れてしまい、既にやっていたところではないページが開いているそれ見てため息を吐く。
珍しく勉強をしてたらこれだよ、受験落ちたら黒尾のせいだ!とか人のせいにするけど、内心はメッセージを見た瞬間から浮き立つ心を抑えるのに必死だった。

少し意識を飛ばせば先日の黒尾の表情を思い出してしまう。目の前に迫った黒尾の唇は、もう少しで触れそうだった。それだけじゃなくて、夏休みに入ってから何度も感じた私を焦がすような視線や熱すぎる黒尾の手の温度、不意打ちで訪れる、ドキドキで死んでしまうんじゃないかっていう空気。

その全てが私の思考を支配して、一瞬集中出来たと思ってもまたすぐにそちらへ持っていかれてしまう。ダメだ。ダメだダメだダメだ!集中!と気合を入れ直したところに本人からの連絡が来るなんて、神様すら今日の勉強は終わりだと言ってくれているのだと思った。

「線香花火って普通の手持ちやった最後にやるからいいんだよ」
「お、珍しくまともなこと言うじゃん」
「珍しくって喧嘩売ってんの?」
「ぶはっ、じゃあ買いに行く?」
「や、めんどいからいいや」
「めんどいんかーい」

それからすぐに「今から集合」ってメッセージと共に送られてきた場所――――――うちからも程近い公園に向かうと、既に一度家に帰ったのか慣れない私服姿の黒尾。ドキン、と胸が鳴るのは見慣れないからだ。かっこいいとか思ってない、ないない。

すぐに逸らして視線を落とした先……黒尾の手に持つものを見た瞬間、だからこの時間に呼ばれたのかって一人で納得した。
二人でしゃがみ込んで、黒尾が家から持ってきたのだというチャッカマンで火をつけてもらう。ジジ……って音ともにパチパチと弾け出した火の玉は小さくて儚くて、……どうして線香花火って、こう夏の終わりを感じさせるんだろう。

「どっちが長く保てるか勝負する?」
「え、私のが先つけたのに!損じゃん!」
「そんなことないですぅー!」
「ずるいっ!」
「ワー、キレーイ」
「黒尾くそがっ!」
「ぶっ、ひゃっひゃっひゃっひゃ!口悪すぎだろ!、あっ!」
「はーい私の勝ちでーす」
「今のはずるくね!?」
「勝手に爆笑して手元揺らした黒尾くんの負けでーす」

ぽとりと落ちた小さな火に一喜一憂して馬鹿みたいに笑い合って、時間はあっという間に過ぎていった。たったこれだけのことが楽しくて仕方ない、今がずっと続けばいいのに。

「はーー、楽しかった」
「ほんと。意外に盛り上がるね、線香花火」
「他の奴はこんな盛り上がらねぇわ」
「えー、そうかなぁ」
「いやでも楽しめたなら良かった」

すっかり真っ暗になって街灯だけが照らす夜の公園で、ブランコの前の柵に座って買ってきたジュースを口に含む。
静かな空間に私と黒尾の声だけが響いて、ぽつりぽつりと話す内容のない話題がまだ帰りたくないと主張していた。

だけどそれもすぐに尽きて、静寂が私たちを包む。手持ち無沙汰になってペットボトルのキャップを開けたり閉めたりして、それでも「そろそろ帰ろう」の一言は出てこない。夏の終わりを感じさせるような、少しだけ涼しい風が私たちの間を通り抜けた。

「……何も喋んねえの?」
「……黒尾こそ」
「俺の話が聞きたいって?」
「そんなこと言ってないけど、」
「フーン?」

ふーんって何よ、ふーんって。黒尾でしょ?絶対こういうとき適当に話せるじゃん。黙らないでよ。理不尽に湧いてくる不満は、だって周りが言う黒尾が私の前だと全然違うからだ。前にクラスの女子が言ってた、「黒尾くんって何気ない気遣い出来るし女子に優しいし大人っぽいし、ポイント高いよね」はあまり私には当て嵌まらない。
私の知ってる黒尾は、基本的には意地悪だし口も悪いし、子供だし、何考えてるか分からないし、私を女子扱いもしてくれないし。たまに、ほんのたまに見せる優しさを足したとしてもおよそ周りの評価とは逆をいっているのだ。

それなのに、どうしてこんなに好きなんだろう。好きになってしまったんだろう。また黙り込んでしまった黒尾が恨めしくて、だけど先の言葉は出てこないまま。また沈黙が流れた。

「なぁ」

ぴくりと指先が反応する。さっきぶりに聞いた黒尾の声が、それしか聞こえないこの場所では大きく聞こえた。

「変なこと聞いていい?」
「嫌だ」
「この間の、あの学校で会った日なんだけどさ」
「無視しないでよ」
「なんであん時、目瞑った?」
「ぇ……」

驚いて、隣を見上げる。そんなこと聞く?って。
絶対あのニヤニヤした不敵な顔を想像したのに、そこにあったのは無表情。な、に。ばちりと合ってしまった視線、ひゅっと喉が鳴る。まるで周りの時間が止まってしまったみたいに、私たちは静かに見つめ合った。

「な、……」
「…………」
「なん、……つ、むってない、」
「……フーン?」
「またそれ……」
「バレバレな嘘つくねぇ」
「嘘じゃ、」
「ない?ほんとに?」
「っ、」

視線を前に戻す。熱い。最近黒尾といるといつもこうだ。胸が苦しくて、黒尾の一言一言にビリビリと耳が痺れて。
黒尾の意図が分からない、何を考えているのか分からない言葉にまた言葉を重ねるのは少し躊躇う。一歩間違えたらその瞬間から何かが変わってしまいそうな、それくらい今の私たちは不安定な気がした。

「目逸らすの禁止」
「わっ」

黒尾が私を覗き込むから途端に距離が縮まる。触れた肩が、私を見上げるその目が、……また私を逃してはくれないのだ。

「……苗字って分かりやすいように見えて意外に分かりにくい?」
「なにが、」
「いつもさ、俺の反応見て遊んでんのかなーって思ってたんだけど、違う?」
「は、……どっちが、」
「お。顔真っ赤、」
「〜〜〜〜〜〜っバカ!そういうとこ!」
「ぶふっ……いいじゃん、可愛い」
「は、……」

可愛い。今そう言ったの?誰が?黒尾が?誰に?……私に?
疑うフリして、でもしっかりと聞き取れてしまったその単語に体温が急上昇する。ドッドッドッて息が出来ないくらいに速い心音が響き渡ってる気がした。
なんで?ずるい。黒尾だけ、そんな、余裕そうに笑っててさ。

「……俺がなんか言う度に笑ったり照れたり、そういうのすげえクる」
「……なに……黒尾、」
「のくせして、たまにすっげえ暗い顔してるし。なに?なんか試されてんの?」
「……黒尾が他の女子には優しくするから」
「お。……それは本音?」
「…………バカ」
「…………やば」

絞り出した言葉は恥ずかしいくらいに本音で、どうして言っちゃったのかも分からない、だけど今しかないと思ったから。

隣から覗き込まれるようにして元々近かった距離、鼻先がちょんと触れて、目の前でその熱っぽい瞳と交わって、それから黒尾の息がかかる。少しだけ躊躇う素振りを見せた黒尾だけど、でも恐る恐る手を握られたのと同時に私は目を閉じた。

睫毛が震える。ふに、と少しだけ触れて離れた唇は、またすぐにゆっくりと重なって。堪らずきゅっと手に力を入れるとそれ以上にギュッと返される。
はじめてのキス。少しだけ湿った柔らかい感触が、私の唇をぺろりと舐めるまで続いたそれに私は夢を見ているみたいだった。

「……めちゃくちゃ恥ずかしいんですけど」
「え、……」

気配が離れた気がして目を開けると、目の前にまた真っ赤な顔。おでこをコツンとぶつけて、その距離にまだ当たり前に慣れていないのに黒尾はそれでも離れようとはしなくって。

「……今すげえダサいね、俺」
「……そんなことない、よ」
「そ?……良かった」

元から私たちしかいないのにどうして自然に小声になってしまうのか。内緒話をするように息のかかる距離で紡がれる言葉に、余裕なんてないはずなのに少しだけ笑ってしまった。


21.07.28.


- ナノ -