黒尾中編 炎天下のチェリー・ガール fin

融点まではあと少し


「……ほんっとよく会うよね。ストーカー?」
「はぁ?お前こそ」
「誰が黒尾なんかストーカーすんの?そんな物好きいる?」
「そっくりそのままスタジオにお返ししまーす」
「それをまた現場の黒尾さんにお返ししまーす」
「いりませんので苗字さんお願いしまーす」
「ねぇキリないんだけど」
「いやほんとそれ」

ぶはって吹き出した黒尾は、私の隣に並んで歩幅を揃える。きっとさっきまではもっと大きかった一歩が私に合わせて小さくなって、それに気付いたってだけでなんだか胸が擽ったい。
夏休みも後半に差し替かって、それだけで夕暮れが寂しく感じるのは私だけだろうか。

家が近いのか、夏休みに入ってもしょっちゅう遭遇する黒尾は今日も部活帰り。あちーって言いながら齧っていたのはこの間も食べていたパピコで、さっきそこのコンビニで二人で購入したものだった。

「なんか俺らいっつもアイス食ってね?」
「夏はアイスが主食だからねぇ」
「確かに」
「てか研磨くんは?最近会ってない」
「暑いからって秒で帰るんだよ。ちょーっと自主練してる間にもういなくなってる」
「あはは、置いてかれてんじゃん」
「そ。可哀想デショ?」
「カワイソー」
「それ思ってないやつね」

この間よりは少し早い時間だろうか。ひぐらしの鳴き声が聞こえてくる帰り道に、私と黒尾、二人分の影が伸びた。

今日はさっちゃんの家で勉強してきた帰りで、夏休みに補習送りになるような私だって腐っても受験生なのに全く持って時間が足りていない。高三の夏は一度しかないのだから思いっきり遊びたいのに、勉強もしなければいけないというジレンマ。
夏休みが終われば周りはきっと一気に受験モードに突入するのだろう。それを考えると何故か寂しくて、切なくて……これも夏の夕暮れがそうさせているのだろうか。とにかくどこかに穴が空いてしまったみたいな、何にも言い難い気持ちになる。

「ねえ」

この間繋がれていた手は、今日はぶらりと何も掴むことなくぶら下がっていた。その少しだけ伸ばせば届いてしまう距離が、もどかしい。あの時の熱は未だすぐにでも思い出せるのに。

「ん?」
「……いや、やっぱいいや」
「なんだそれ」

少しは進展したかと思えば、それは夢だったみたいにまた元通り。まだ一歩を踏み出せないまま、ずっと宙ぶらりんのまま。

「明日も部活?」
「勿論」
「だよねー」
「苗字は?」
「明日はクラスの何人かでカラオケ」
「うぉーい受験生」
「はっはっはっ」
「マジで知らねえぞ」
「ちょっとガチトーンやめて」

今日もまた、手は繋げないけど背中にバシンと触れることは簡単に出来るこの関係に満足して終わってしまうのだ。


* * *


「え、お前なんでいんの」

それから黒尾に会ったのは、また二日後のことだった。

「やっほー」
「いややっほーじゃね……ちょっ!ま、っおま、やめ!」
「あぁっ……ごめーん」
「ごめーんじゃないんですけど!?」
「あっはっはっ!黒尾びしょ濡れじゃん!」
「苗字のせいでしょうが!」

ぽたり。髪から落ちる雫が鬱陶しいのか犬みたいにブンブンと頭を振る黒尾に笑いが止まらない。いや、ごめん。そうしたのは私のせいなんだけど、手に持つホースから飛び出す水をかけるつもりはなかったんだよ、流石に。

頭の悪い私は担任の先生からも心配されていて、だからこそ進学先の話だとかの相談に乗ってもらっていたのはまじの話。言ったら絶対に意外だって笑われるから言いたくないけど、補習の時に先生となんとなしに進路の話になり、思いの外そこから聞ける大学の話が面白かったのだ。
もし時間があるならオープンキャンパスの案内だとか今後どういう勉強がしたいだとか話そうか、と言われ学校に出向いたのが今日だった。

そのまま午前中いっぱいを費やした私がそろそろ帰ります、と腰を上げた時に頼まれたのが体育館と校舎の間にある花壇の水やり。えぇ、こんなに暑いのに?と言いたかったのだがお前のために時間を作ったのだからと言われらぐうの音も出ない。私は大人しく頼まれたそれを実行しているところに黒尾が話しかけてきた――― ということだった。

「まぁいいじゃん。暑いし、どうせすぐ乾くし」
「んな問題じゃねーの!」
「えー?器のちっちゃい男だなぁ黒尾は」
「……つーか苗字、水分摂ってる?顔赤くね?」

一歩、二歩と近づいた黒尾はゆっくりと私の顔を覗き込む。「へ」急に迫った黒尾の顔に吃驚して私は肩を跳ねさせるけど、黒尾はそんなことにも気付いていない。
さっきまでふざけてたのに、それはダメでしょ。ずるい。熱中症とかじゃなくて黒尾のせいで赤くなるってこれは。また少し、身体が熱くなった気がする。

「う、うそ、?でも確かに朝から何も飲んでないかも」
「この暑さの中それはやべーから」
「なんにも持ってないんだよね」
「……俺の飲みかけでよかったらどーぞ」
「へっ」
「いやそんな顔しなくても」
「し、してないしてないっ、ありがとう!」

何慌ててるの、私。黒尾が持っていた、きっとバレー部で作っているんだろうドリンクを受け取る。それを見てごくりと喉が鳴ったのに深い意味はない、決して。
別に、この前だって一緒のアイス、食べたし。なんてそこまで思い出すと、そこから芋づる式にその後のことまで思い出して……ボフンッ!また爆発したみたいに顔が熱くなってしまった。し、失敗した!これは自滅だ!

意識しすぎてきもいよ自分、落ち着こ!?なんて思っても、考えれば考えるほどドツボにハマるばかりで私は黒尾の顔がまともに見れない。
今日はなんか、本当にダメな日かも。早く帰ろう!!

手に持つドリンクを黒尾に預けて即帰る!「またね黒尾部活頑張って!」!よしいける!って脳内では完璧に動けていたはずなのに、そう上手くいかないのが人生だったりする。俯いてぶつぶつ唱えている私を不審に思ったのか、「苗字?もしかしてまじでやばいやつ?」って膝に手をついて覗き込むように目線を合わせてくる黒尾さえいなければ、完璧だったのに。

「うっ、ひゃっ!」
「うおっ!」
「っ……!」
「えっ」

バランスを崩した私を支えてくれた黒尾と、体幹がないせいで黒尾を巻き添えにして後ろに倒れ込む私。

「ちょっとちょっと、だいじょーぶ?」
「い、痛いっす黒尾パイセン……」
「誰だよ」
「苗字だよ」
「知ってるわ」
「ね、もういいから」
「え?」
「か、顔……近い、」
「…………」

ぶっちゃけ支えくれたお陰でどこも打ってないし痛くもない。でも強いて言うなら……胸が痛い。さっきからずっとドキドキ胸を打つ鼓動が、黒尾にバレてしまうんじゃないかって。とっくに気温のせいだけじゃないこの熱が、黒尾に触れられている部分から全部伝わってしまうんじゃないかって。

ぐっと近くなった距離に耐えきれなくなって顔を逸らしたいのに、その瞬間黒尾は支えていた方とは逆の手で私の頬をなぞって……視線すら、捕まってしまった。

「……顔真っ赤」
「あ、暑い、から、」
「うそつけ」
「っ、」
「……何想像してんの?」
「なに、……も」
「……うそつけ」

馬乗りになられて頬にも手を添えられては逃げ場がない。ジリジリと私達を照らす太陽が、私の身体も思考も全部溶かしてしまいそうだ。視界の端にさっき水をやったばかりの向日葵が映った。
ジッと見つめる黒尾は、たまに訪れる緊張の時の顔じゃなくて。……にやにや、面白いものを見つけたような、でもいつもみたいに揶揄っているのはまた違うような。いま何を言っても冗談にしてやらねぇ、みたいな。そんな声が聞こえる気がして。

「ね、……もう、」
「……苗字、もうそれ隠す気ある?」
「なに……」
「……その顔は反則じゃないですかネ」

ぽたり。水か、汗か。黒尾の髪から落ちてきた水滴が私のおでこに落ちた。
目の前まで迫った黒尾の顔に、その目に、吸い込まれそうで。ぎゅっと目を瞑って、ついでに唇も噤む。

「っ、……」
「…………」

キス。

されるかと思った。私と黒尾はそんな関係でもないのに。そんな経験もないのに、でもそうかもって。
だけど数秒待って、「んんっ」「……ばーか」触れられたのは私の鼻。触れたのは黒尾の手。キュッと摘まれた衝撃で目を開けば、さっきまでの表情はどこに隠したのかそこには耳まで真っ赤に染め上げた黒尾がいた。

「苗字サンの反則負けでーす」
「な、なにがっ」
「苗字があまりにもバカで心配してるって話」
「はぁあ!?意味わかんないんだけど!?」
「分からなくて結構でぇーす」
「むっっっ……かつく……!!」

私も黒尾も蛸みたいに真っ赤なことは、お互いに突っ込まない。だって今はまだ鳴り止まないドキドキが聞こえないように、いつもみたいに黒尾とギャーギャー騒いで誤魔化すことが先なのだから。

「……何してんの」
「研磨くん!助けて襲われる!」
「ちょっ……お前やめ、……こら!研磨もそんな目で見るんじゃありません!」


21.07.27.


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