黒尾中編 炎天下のチェリー・ガール fin

夏の夜だまし


夕方から夜に変わる時間。ぬるい風が頬を撫でてじとりと滲む汗のせいで、額に前髪が張り付く不快感。昼間の熱を保ったままのアスファルトがこのもわりと纏わりつくような気温を助長させていた。
普段なら一刻も早く帰ってクーラーが効いた部屋でだらだらしたい。なのにそうしないのは、今私の隣を黒尾が歩いているから、ただそれだけ。

「アイス食べたい」
「お、いいじゃん。コンビニ寄ろうぜ」
「あの、ほら。なんか新作出たじゃん。あれ食べよ」
「えーおれパピコ」
「あーそれもいいねえ。半分ちょーだい」
「苗字サン?自分のも買うんでしょ?」
「黒尾のものは私のものだから」
「どこのガキ大将だよ」

ふは、って隣から聞こえる黒尾の笑い声にそわそわとしたのは、こんな時間に学校の外で黒尾と歩いているのがなんだか照れ臭いからだ。照れ臭いっていうか、違和感っていうか。いや今日会ったのはほんとたまたまだよ?さっきまでこの近くでさっちゃんと遊んでただけだし?
部活帰りの黒尾と流れで一緒に帰ることになって、やっぱり少しだけ嬉しくなってしまう。夏休みなのによく会えるな。嬉しいな。その気持ちを素直に表す術を私は知らないのだけれど。

立ち寄ったコンビニでお互いに買うものを選び外に出ると、まるでお風呂みたいな熱気に顔を顰めてすぐに買ったアイスを取り出した。これこそ夏の醍醐味でしょ。
しゃくり。一口齧り付くとフルーツの甘さが口いっぱいに広がって、それから……いや、え、なにこれ。うま!

「黒尾!これめちゃくちゃ美味しいよ!」
「まじ?」
「まじまじ!一口食べる!?」
「え、いいの?」
「うん!私は黒尾のパピコ半分貰うし!」
「鬼かよ」
「うそうそ二口あげる!」
「そんな変わんねえ」

笑いながら腰を曲げて私の差し出したアイスに齧り付いた黒尾は、「んっ」って小さく眉を上げた。ね、美味しいでしょ?って。言おうとして、そこでばちりと目が合う。え。

「あっ……」
「…………」

思ってもいなかった距離感、意識していなかったけどよく考えれば間接キス、黒尾に覗き込まれているようなこの姿勢。
全てに今気付いて、一瞬時が止まる。

「……ほんとに美味いやつじゃん、さすが限定?」
「……で、でしょ?この夏はこれヘビロテするわ」
「えー、パピコさんも愛でてあげなさいよ」
「ふっ、黒尾のそのパピコ愛なんなの?」

さっきのことなんてなかったみたいに、私達の間の時はまたすぐに動き出した。

……い、いつも通りだ。気のせい?いやでも、……うぅん、分からないけど、まただ。たまに、たまーに私達の間に訪れる変な緊張。それは意識しなければそうでもないのかもしれないけど、……黒尾のことが好きな私にそれは無理な話。いつも私だけ一人ドキドキと胸を高鳴らせて、その何とも言えない空気に呑まれていくのだから。

黒尾もそうだったらいい。どうか私の勘違いじゃなくて、黒尾も意識して、それからあわよくば私と同じくらいにドキドキしてくれていたらいいのに。

「もう食べ終わっちゃった」
「ん」
「え!?本当にくれるの?半分?」
「ドーゾ。俺のものは苗字サンのものらしいので大人しく献上します」
「言い方」
「さっきまで自分でジャイアニズム出してたじゃねえか」
「えぇ〜じゃあ遠慮なく」

受け取ったパピコにまた胸の奥がトクンと跳ねた。
冷たいアイスを食べても身体の熱は下がるどころかどんどんと上がっていって、それはきっとこの夏の気温のせいだけじゃないと思う。
学校の外で会う黒尾は気持ち少しだけ優しくて、柔らかい。例えばこれが演技だとしたら?私の気持ちを分かった上で、私の反応を見て楽しんでいたら……もしそうだったら、……

「黒尾ってほんっとずるいよね」
「は?」
「胡散臭い」
「なんで急にディスられてんですか俺は」
「もうちょっと分かりやすくなってくれてもいいのになぁって」
「俺結構分かりやすいと思うよ?」
「いやいやいやめちゃくちゃ分かりにくいから……」
「ふーん?」

うっかり出してしまった本音にも黒尾は曖昧に笑って、でもだってその表情にもどういう意図があるのか分からないじゃないか。すると黒尾は空になったパピコの容器を咥えたまま、「えーじゃあさ、」と呟いた。

「今俺が思ってること、当ててみ?」

って。

「えぇ、分かるわけないじゃん」
「いいから。当たってたらご褒美をあげます」
「うさんくさ」
「ねぇそろそろ俺泣くよ?」
「えー……そうだなぁ……」
「無視かーい」

チラリと黒尾を見て、横目に私を見る黒尾とまた目が合って。今黒尾が何を考えているか?そんなの分かるわけない。だって私は相変わらず今もドキドキと胸を高鳴らせて、それどころじゃないんだから。

私ばっかりこんなの悔しい。なんて一人で勝手にそうなっていることは棚に上げて、私だって黒尾に仕返しがしたいと思ってしまう。
たったそれだけの意地とか、いつもと違う夜の空気感とか、黒尾に会った時からずっとふわふわしている頭の中とか、色々なものがごちゃ混ぜになって出てきた私の言葉は。

「"あー今日も苗字のこと好きだなぁ"」
「……は?」
「、とか?」
「…………」

は、外した……!黒尾の反応で一気に血の気が引く。やばい。やってしまった。次の言葉がこわい。ちょっと待ってこれは無理だって。
黒尾の反応が見たかっただけなんだけど、ただただ自分が恥ずかしいことになっているこの現状を打破する策なんてありはしない。というか、元々浮かれすぎて頭が回っていないからこういうことになったのだ。

黒尾が見れなくて私はひたすら前だけを見るけど、なのにゆっくりと手に熱が触れてするりと絡んで。

「え」

反射的に振り返ると、黒尾が私の手を握っている。どくん。どくん。さっきまでの比じゃない、耳元で鳴っているんじゃないかってくらいにと大きくしっかりと心臓の音が聞こえて、くらくらする。
だけど当の黒尾本人もきっと私と同じ……ううん、もしかしたらそれ以上かってくらいに頬を染め上げていて、それは初めて見る表情だった。

「お前さぁ」
「な、……」
「それわざと?趣味悪くない?」
「なに、」
「俺の方がわかんないっつーの。苗字が何考えてんのか」

怒ってる?ううん、多分そうじゃない。だってそんな顔じゃないもの。私の手に絡む指はそんなに力を入れられているわけじゃない。なのにそれを振り解くことなんて絶対に出来ないと思った。

伸ばされた黒尾の腕分の距離がもどかしい。でもだめだ、こんなの私分からないもん。心臓が壊れちゃう。

「え……ちょっ、……はぁ!?」
「えっ」

離れたくない、だけど離してほしい。そんな矛盾した感情がどう伝わってしまったのかは分からない。だけど黒尾は私の顔を見て驚いたかと思うと、その手をアッサリと離してしまった。
え。なんで。なんて思うってことは、やっぱり離してほしくなかったのか。自分でも分からない自分の感情に戸惑う。

「ご、ごめん、調子乗りました」
「へ」
「流石にお前に泣かれたらどうすれば良いか分かんないんだって、ごめん、」
「泣い、て、」

熱を失った右手で、頬に触れる。微かに湿り気を帯びたそこは涙の跡らしい。
緊張も極限を迎えると、涙が出るのか。なんて他人事で分析する私とは裏腹に、黒尾は焦ったように謝罪を繰り返す。さっきまでの緊張感がまたちょっと解けて、だけど私はその熱が恋しくて。

「……怒った?」
「お、怒ってない、よ」
「……そう、」
「それに、」
「ん?」
「い、……嫌じゃ、なかった、し」
「は……」

言った瞬間、またぶわわわって顔に熱が集まる気がした。今度こそ黒尾を見れなくてどうしたら良いか分からない。いやもうずっと、さっきからずっとだ。どうしたらいいの。
私の中ではとっくに限界を迎えていて、キャパオーバーだ。こういうの、苦手なんだってば。

しばらく無言が続いて、とっくに食べ終わったアイスの効果なんてないに等しい。熱い。暑い。

「じゃあ、……繋ぐ?手」
「えっ」
「……ほい」
「あ……じゃ、あ」
「あー……俺手汗やばいかも」
「や、それは、……私も」
「…………」
「…………」

差し出された大きな手に私の手を重ねれば、今度はさっきよりもしっかりと絡め取られる。アツイ。

私と黒尾の家の別れ道まであと五分ちょっと。その間、私達は何も言葉を交わさない。ただただ前だけを見つめて、心なしか小さくなった歩幅と鬱陶しく肌に滲む汗。
だけどそれでも、まだまだ着かなければいいのに、なんて。勿論口には出せないけれど、ずっとずっと心の中ではそう祈っていたのだった。


21.07.23.


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