黒尾中編 炎天下のチェリー・ガール fin

声に出したら解けてしまうね


夏休みだから会えなくても仕方ないのに何日も黒尾と話せないだけでモヤモヤするのは、この前微妙な雰囲気のまま別れてしまったからだろう。だからってじゃあどうすれば良かったの。
見つかった時は焦ったくせに、でも追いかけてきてくれて嬉しかった。腕に食い込む指が痛かった。最後にわざとらしく言われた「楽しんでくるわ」が頭から離れない。
もしかして、って思った側からやっぱり違うって思い知らされる。

漸く地獄の補習期間が終わったのに誰かと会う気にもならなくて、そのくせ気が付けば私はサンダルに足を突っ込んでいた。向かう先は高校。いや、散歩だし、散歩。たまたま会えたら、なんて期待してないから。

そう思うのにしっかりと準備して家を出た私を容赦なく太陽が照りつける。今日も暑い。てか流石にこんな暑いのに外にはいないかぁ、と見えてきた校門に落胆の色を隠せない。いや違う。黒尾に会いにきたわけじゃないけど。
奥に見える校舎はシンとしていて、人気がない夏休み特有の空気をを存分に漂わせていた。


何してるんだろ、私。……アイスでも買って帰るか。

「苗字じゃん」
「、ひぃっ!?」
「こんなとこで何してんの?」
「や、夜久……」

そのとき、まさか後ろから話しかけられるとは思わなくって、恥ずかしいくらいに勢い良く振り向いた。だけどそこにいたのは黒尾じゃなくて夜久。私の反応に夜久は眉を寄せて「黒尾じゃなくて悪かったな」と呟いた。

「はぁ?なんで黒尾っ!」
「会いにきたんじゃねーの?今練習中だと思うけど」
「そ、そんなわけないじゃん!っていうか夜久は?部活じゃないの?」
「今日はちょっと家の用事があって遅れて来たの。もうすぐ昼休憩だし一緒に行くか?」
「はっ!?いやいや……いやいやいや…………」
「お前のせいで黒尾も調子悪くて迷惑なんだよ。喧嘩なら他所でやれって感じだわ」
「な、なにそれ……」
「いいから早く仲直りしろよ」

私のせいでって。夜久ってば相変わらず黒尾に辛辣だと思ったけど、それってもしかして私にも適用されてる?
黒尾が私のせいで調子が悪い。最低にもそれに少し嬉しくなってしまって、だけど会ったところで素直に謝ることが出来るんだろうか。……いや待て、謝るって何に?私なんかした?

まだ頭の整理はついていないのにちゃっかり夜久について校門をくぐってしまった私は、きょろきょろとまるで知らない場所に連れてこられた子供のように辺りを見渡してしまう。だって、こんなの。緊張しちゃう。
構わず先を歩いていた夜久はそのまま到着した体育館に入って行ってしまい、え、私どうするの?って躊躇っているとすぐに体育館の扉から夜久の顔だけがひょっこり飛び出す。

「入んねーの?」
「いや、部活中なんでしょ……」
「午前の練習はもう終わりだって。みんな駄弁ってるから入れよ」
「や……でも、」
「ああもうなんだよ!分かった分かった、そこで待ってろ!」
「えっ、夜久?」

ちょっとキレて頭を引っ込ませてしまった夜久に首を傾げて待っていると、次に現れたのは

「もーーなにやっくん、黒尾クンだって飯食いたいんですけ、ど……」
「や、やほ」
「……やっほう」

黒尾だった。咄嗟にビシって上げた右手に何だよそれって自分で内心ツッコんでしまう。いやなに、やほって!!てか夜久め、私まだ心の準備とか色々できてなかったのに!!!

「……あー……どうした?」
「え。あ、いや、その」
「…………」
「えっと……そのー、………」
「……昼飯、一緒に食う?」
「えっ……あ、でも、私何も持ってきてない……」
「コンビニでいいっしょ。ちょっと待ってて、財布取ってくるわ」

な、なに。まだ怒ってる?怒ってない?どっち?
どんなテンションで話せばいいのか決めかねて吃ってしまう私に、黒尾も決まり悪そうに笑ってからまた体育館に戻っていく。すぐに財布を持ってまた現れた黒尾は目線で行くぞと促してきたので、それに倣って私も黒尾の隣に並んだ。

「…………」
「…………」
「……何食う?」
「んー……黒尾は?てか持ってきてたよね?」
「買ってたけど後輩にあげた」
「えっ!?良かったの?」
「いーよ、他のもん食いたくなったんで」
「へぇ……」

絶対嘘じゃん。思ったけど言えない私は曖昧に返事をして、横目でチラリと黒尾を見る。何を考えているのか分からないその横顔はこんなに暑いのに涼しげで、むしろ汗だくの私が恥ずかしいぐらいだった。

何を話そう、って思うと途端に話題が出てこない。徒歩五分のコンビニに着いて、ご飯を買って、もう帰り道なのにこれと言って何も話していないなんて。
いつもみたいに冗談の一つでも言ってくれればいいのに、その願いも届かず相変わらず黒尾は静かだった。……やっぱりまだ怒ってるのかな。

「ねえ」

かなり勇気を出したと思う。絞り出した声は掠れていて、たったこれだけのことで緊張して喉はカラカラだ。立ち止まると手に提げていたビニール袋がガサリと揺れた。

「……怒ってる?」
「……いや、」
「嘘じゃん……なんか黒尾全然喋んないし」
「苗字もデショ」
「そう、……だけど」
「あー……いやごめん。なんて切り出していいのか分かんなくて、」
「え?」

見上げた先。私の数歩前で同じく立ち止まって、こちらを振り返った黒尾はガシガシと首裏を掻く。右に左にと、きょろきょろ定まらない視点は結局最後に私で止まった。

「この前はごめん」
「あ……」
「なんか感じ悪い返しだったなーって……その、反省したっつうか」
「……何だったのあれ」
「…………」
「……意味わかんないもん」

勢いのまま思っていたことをこぼすと、黒尾は困ったようにまたさっきと同じ位置を掻いた。反応に困った時の癖なんだろうか。「あー」とか「まぁ……」とか、いつもの回る口は何処かへ行ってしまった黒尾からは不明瞭な音しか出てこなかった。

見つめ合って、たっぷり十秒が過ぎる。久しぶりにしっかりと私の姿を捉えてくれたその瞳はいやに真剣で、こんな時なのにその顔がカッコいいとか思ってしまうんだからこれが惚れた弱みと言うやつなのだろう。

誰も通らないから遠くの方で車が通る音だけが聞こえて、黒尾の首筋を汗が伝った。
ドキドキと煩いくらいに胸が鳴る。黒尾との間にたまに訪れるこの緊張が何故か苦手で、だって一歩間違えたら知らない私が出てきてしまいそうで。次の瞬間には、知らない世界に居そうで。

「……苗字が、」
「…………」

ごくり、唾を飲み込んだ。

「……いや何もない。忘れて」
「え……いや、え、なんで」
「何でもねーの!」
「はぁああ!?」
「もうこの話終わり!しゅーりょー!」
「ちょ、っとぉ!」
「終わりったら終わりですぅ!しつこい女は嫌われますヨ、苗字サン?」
「ムカつく!意味わかんないんですけど!!」
「はいはい、早く帰んぞ休憩終わるわ」
「……主将が遅刻だなんて示しつかないんもんね」
「そうそう、ほら、置いてくぞ」
「ちょっと待って!」

拍子抜け。緊張していた身体の力が一気に抜けて、先を行こうとする黒尾を慌てて追いかけた。
絶対さっきより速くなってる、胸の鼓動。夏の暑さだけじゃない、きっと頬まで赤くしているそれは期待したせいか、それとも安堵のせいか。

黒尾が何を言いたいのか分かるようで分からなくて、もし揶揄ってるだけだったらって私からは何も言えないけど。だけどやっぱり今が変わってしまうのが怖いから、もう少しこのままでいて欲しい気もするの。

それなのについさっきまでの黒尾の熱っぽい視線に私の意識は持って行かれたまま、……手を伸ばせば届く黒尾の手に触れてみたいだなんて、私は暑さでどうにかしてしまったんだろうか。


21.07.22.


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