黒尾中編 炎天下のチェリー・ガール fin

あっちの鱗こっちの眼


ジリジリ、ミンミン、ムシムシ。今日も殺人的な暑さは健在で、ほんとどうして夏ってこんなに暑いんだろう。午後からは35度を超える暑さだって天気予報のお姉さんも言っていて、そんな中出かけるなんて本当にバカだ。
一日中補習な地獄の三日間は終わったものの、私はあと数回午前だけは学校に出向かなければいかなくて、ってことは丁度一番暑いくらいに帰路に着かなきゃいけないってこと?無理だ。死ぬ。

あの日以来黒尾には会えてないから本当にあの日は偶然だったのか、部活で合宿がなんちゃらとか言ってたしそれに行っているのか。
よく連絡は取る方だと思うけどそういうことは聞いたことがなくて、だって聞いたらアイツ絶対揶揄ってくるもん。「そんなに俺のこと知りてーの?」とかなんとか。は、うざ。調子乗んなし!

そう思ったら、無条件で黒尾に毎日会える学校って凄いよな。夏休みなのは嬉しいけどでもちょびっとだけつまんないな。なんて思うことは、絶対に本人に伝えられない。

「あー……暑いぃ……」

今日も今日とて、補習だし。でももうすぐ私にも本当の夏休みがやって来るから、今日もいっちょ頑張るか!なんて。私の思考は大概単純なのだった。

「あれ?」

頑張るか、なんて言いつつ今日も全然解けない私に呆れて終わった補習。開放感に包まれて、暑いしアイスでも買って食べながら帰るかなぁと思い校舎を出たところ。そこには見慣れた……というか見慣れすぎた、トサカ頭があった。
なんだ。黒尾いるじゃん。久しぶりに見たその姿に少しだけ高揚する胸には気付かないふりをして、丁度お昼だしまた一緒にコンビニまで行こーって駆け寄ろうとする。そのつもりだった。

私よりも先に、向こうから黒尾に駆け寄ってきた女の子。あ、あれ、女バレの主将のサトウさんだ。今は違うけど一年のときは一緒のクラスだったし、その時だって特別仲が良いわけでないけど普通に挨拶はするくらいだった子。だけど、どうして黒尾と。
あ、もしかして何か部活のことかな?じゃあ邪魔しない方がいい?そう思ったのも束の間、二人は学校に入っていくこともなく歩いて行ってしまう。っていうか制服でも部活のジャージでもない。私服だ。

それに気付いた途端、夏の日に急に立ち込める黒い雲のような……暑すぎて頭がぼうっと何も考えられなくなるような……脳と身体が別々になってしまったような、なんとも言えない不思議な感覚に陥る。なに、これ。

私は考えるよりも先に、……その二人を追いかけてしまっていた。


* * *


「あっちは?」
「あっ、いいね。じゃあそれも見てからー……っわ!」
「人多いから危ねえぞ。こっち歩きなさい」
「ふふっ、はあーいお父さーん」
「だぁれがお父さんですか、せめてお兄さんデショ」
「そこ?」

「…………」

黒尾とサトウさんがやって来たのは音駒の近くだと随一のショッピングモールで、夏休みの今沢山の人で賑わっている。
何してるんだろう。二人も、二人の会話が聞こえるギリギリの距離感を保って尾行してる私も。

そう冷静に思うことはできるのにこんなことがやめられないのは、どうして。

二人はどう考えても普通にショッピングを楽しんでいて、その距離感も、話し方も、親密にしか見えない。そりゃバレー部同士、主将同士だもんね。絡むことも多いよね。
でももしかして二人は付き合っているんだろうか。そんなこと全然知らなかった。いつから?……夏休みに、入ってから?

ここは室内で空調だって効いているはずなのに、嫌な汗が滲む。
だって黒尾の側にはいつも私がいると思ってた。それは思い上がりでも何でもなく、事実、一番仲の良い女友達であると自負している。だからこんなこと知らなくて。そもそも黒尾が他の女子と二人でいるところも、初めて見たのかもしれなくて。

「っくしゅん!」
「寒い?ここ結構空調効いてるよな」
「んー、薄着すぎたかも……いつもは日焼け対策にカーディガン持ってるのに今日忘れて来ちゃったんだよね」
「あー……じゃあこれ着る?ちょっと汗臭いかもしんねえけど」
「え!?い、いいよ、黒尾のだし」
「俺別に寒くねえし、サトウが嫌じゃないならどうぞ。女子が身体冷やしちゃだめデショ」
「じゃあ……ありがとう」
「どーいたしまして」

衝撃だった。黒尾ってそんなに優しいっけ?優しい……いや、優しいか。黒尾は基本的に優しい奴だ。胡散臭い見た目や言動に隠れているけれど、それは確かだった。
だけど、今のみたいな、女子扱い?私にしてくれたことあった?……ないよね?自分で考えても、想像すら付かない。

ドクンドクンと心臓が音で鳴っている。私は咄嗟に胸を押さえた。…………そういうこと。
どれだけ私と黒尾が気の置けない仲だったとしても、決してああなることはないのだろうと。気付いていなかったんじゃない、気づかないふりをしていただけだ。結局は黒尾だって、ああいう女の子らしい子を選ぶのだ。

「……帰ろ」

早くここから去らないと。そう思うのに、足が震えて上手く前に踏み出せない。
それでも制服のスカートを翻して、来た道を戻ろうとしたのに。

「苗字!?」
「いっ、」

どうしてこんなタイミングで見つかんの!?
腕を掴まれて、驚いて上がる肩。反射的に振り向くまでもなく分かる、……黒尾だった。

「なに、」
「……泣いてない」
「え?」
「いや、……」
「……なにそれ。てか私帰るんだけど」
「なんでこんなとこいんの。補習は?」
「午前で終わりだし。……暇だからちょっと寄っただけ」
「あー……勘違いすんなよ」
「…………なにが」
「毎年バレー部は男女混合で一泊合宿があるから……それの準備で買い出しに来てただけだから」
「……そ」
「だから、勘違いすんなよ」

二回言われた。しかも、二回目はより強めに。……私何も言ってないじゃん。そう言えなかったのは、まるで私の心を読んだかのように珍しく私の前でそんな表情をするからだ。いつもみたいに揶揄っていない、ちょっと焦った、そんな顔。

だから私は数回瞬きをして、すぅって息を大きく吸う。そしてまるで鏡の前で笑顔の練習をするように……意図的に口角を上げた。

「勘違いってなんですかぁ〜?」
「…………」
「っていうか何、なんかこわいよ黒尾。笑って笑って〜声出してこ〜〜」
「ぶはっ……なにそれ」
「ほら、早くサトウさんとこ戻ってあげな。なんでこっち来てんの」
「……言われなくても」
「黒尾先輩、買い出しがんば!」
「うん、ドーモ。頑張ります」
「ははっ、ま、楽しんで」
「……は?」

あっ。

思った時には遅かった。一瞬取り繕った仮面は簡単に剥がれて、やっといつもみたいに笑ってくれた黒尾の顔がまた一瞬にして曇る。きっと言い方が悪かった。思ってない言い方がバレたんだ。
低い声と共にグって眉間に皺を寄せた黒尾が、私の腕を掴んでいた力を強めた。それはきっと無意識で、だけどギリリと食い込む指が痛い。

「……楽しんで、とは」
「何、って、……そのまんまだけど、」
「本当に思って言ってんの?こっち見て言ってくれます?」
「な、何怒ってんの」
「……はぁ」
「……なに、」
「いや……何もないデス。じゃ、楽しんでくるわ」
「う、うん」

そう言って私を一瞥した黒尾は、振り返ることもなく去って行ってしまった。掴まれていたところが熱い。向こうの方で私と黒尾を見ているサトウさんが見えて……私は目を逸らした。何、今の。
何が黒尾をそうさせたかは分からない、けど今、確実に黒尾は怒っていた。どうして私が。そう思うのに、結局聞けなくて。

気まずくて、気を紛らわすように何となく眺めたスマホに自分の顔が映る。……はは、泣きそうじゃん、私。なんでこんな顔してんの。もしかして黒尾の前でもこんな顔してたのかな、って。

結局私はさっきよりも更に胸にモヤモヤを広がらせたまま……一刻もその場を離れるしかなかった。


21.07.18.


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