黒尾中編 炎天下のチェリー・ガール fin

恋の方程式は導けない


家を出た瞬間回れ右をしたくなるような熱気。ミンミンと耳をつんざく蝉の大合唱が、元々少ない私のライフを削っていく。
夏休み。今日はその初日だというのに私は昨日となんら変わらず制服に身を包み歩き慣れたアスファルトの道を踏みしめていて、ちょっと勉強が苦手なだけでコレって理不尽じゃない?訴えてやってもいいんだぞ、学校!私の夏休みをどこへやった!

暑さに負けてポニーテールにした髪が頭の後ろでゆらゆら揺れる。それはそれで首の裏が暑くてそこが焼けないように私は必死にうなじを手で覆い、そうこうしながら着いた学校を見上げ大きくため息を吐いた。

するとその瞬間を見計らったかのように、ぞろぞろと出てきた全体的に赤と黒の集団。うわあ。ほんとにすごいタイミング。
その中でも一番見慣れた顔が、私を見つけるとまるで良いおもちゃを見つけた、とでも言うようにニタニタ笑いながらこちらにやって来た。

「あれっ、苗字サンじゃないですかぁ」
「……何してんの黒尾」
「今からランニングですぅ。そっちこそ?」
「補習だよバカ野郎」
「バカはお前でしょ」
「……一理ある」
「百里あるわ」
「うぅ」

黒尾が言うことは、悔しいけれどその通りだ。
これから始まる憂鬱な英語の補習。これが明日も明後日もあるだなんて耐えられない。
でも黒尾もこれからランニングだって。そっちはそっちでキツイ。ていうか午前中からこんなに暑くて歩いてるだけで汗だらだらなのに、そんなことしたら倒れるよ?

「アッ」
「え?なに」
「差しあげます」
「?なに……え?いやいらないんですけど」
「まぁまぁ遠慮すんなって」
「遠慮じゃねーわ普通に邪魔なの!」
「邪魔とかひどい!」

手渡したのは、鞄から取り出したペットボトル。今朝駅の自販機で買ったそれは、何も考えずに鞄を振り回してここまで来たから開けたら危険かもしれない。
それを分かって敢えて渡すそれの違和感に黒尾が気付かない筈がなくて、無理矢理押し付けたペットボトルを持つその表情はかなり引き攣っている。

「お前これ開けたらパーンのやつじゃねーの?」
「大丈夫だよ、さっき買ったばっかだもん。開けてみ?」
「…………まじで今いらないんだけ、う、わ!!!」
「あっはっはっはっは!バカだ!バカ黒尾!まじで開けた!」
「おま、ふっざけんじゃねーよ!ベタベタなんですけど!?」
「おーい黒尾何してん……うわっマジでお前何してんの?」
「ちょ、やっくんタオルタオル!」
「嫌だわベタベタになんじゃねーか」
「それ俺のセリフ!」

あぁ愉快愉快!ギャーギャー叫んでる黒尾の声を背に私はご機嫌で校舎に入る。今のやり取りのお陰か、鬱陶しい夏の暑さも蝉の鳴き声もなんだかちょっとマシになった気がした。よっしゃ頑張ろう!なんて気合を入れ直して挑んだ補習一日目。

なんかいける!なんて思っても、まぁ出来ないから私はここにいるんですけどね!午前中が終わる頃にはすっかりヘトヘトの脳みそが空腹のお腹も相まって悲鳴をあげている。嘘でしょ。これ、午後もあるの。

丸一日なのは今日を含め三日だけなんだけど、でもまだ今日は初日。自分でもびっくりするくらい問題の意味を理解出来ない頭に半分絶望しながらもとりあえず今は腹ごしらえだ!お昼買いに行こーっと!

「苗字サーン」
「げっ黒尾」
「げって実際言う人いると思わなかったわ」
「何しにきたのよ、私今からご飯食べなきゃいけないから黒尾に構ってる暇ないんですけど」
「あー……飯どーすんの?」
「え?買いに行くけど……」
「じゃあ一緒に行かね?」
「黒尾も休憩?」
「うん」
「よし、じゃあ行こ」

机の横にかけてあったスクールバッグからお財布を持って廊下に出ると、そこで待っていてくれた黒尾も隣を歩き出した。
なんか変な感じ。だって夏休みの校舎でなんて普通だったら会わないし、黒尾は部活着だし、わざわざ体育館からここに来たの?約束もしてないのに?って違和感しかない。

コンビニがある裏門の方から出ると丁度真上に上がった太陽がギラギラと容赦なく私たちを照りつけていて、痛いくらいの日差しが眩しくて私は目を細める。
コンビニまで徒歩五分。朝のことで文句とか言われるのかなって思ったけど、それに関してはもう何も言ってはこなかった。

「黒尾っていつもお弁当じゃないの?」
「苗字こそ」
「私んとこは、お母さんが夏休みくらいお弁当作りたくないよ〜って言ってお金だけくれた」
「あぁ、なるほど。娘が補習になったばかりにお母さんの夏休みがなくなっちゃ訳ねえよな」
「うるっさいなぁ」
「でも俺んとこも同じようなもん。毎日作ってもらうの申し訳ねーし、たまにはコンビニでいいかなっつって」
「ふーん?」
「興味なしじゃん」

言いながら黒尾はくつくつ笑っているけど、別に興味ない訳じゃないんだよ。むしろ今、結構喜んでる。だってまさかこんな風に黒尾と一緒に歩けるなんて思ってなかったし。

噴き出す汗もお構いなしに、「あちーなー」ってTシャツの裾をパタパタとさせる黒尾にドキドキする。あぁなんかだめだ、調子狂う。
熱を持つ頬は暑さのせいにして、私は少しだけ禿げたローファーの爪先を見つめた。

「黒尾今日何時までなの?」
「え?練習?」
「ウン。あんな朝からやってんのにいつまでやるのかなって」
「17時くらい……で終わってからいつも自主練して帰るけど。なに、帰りも一緒に帰りたーいって?」
「はぁ?」
「え?違うの?」
「違います〜〜調子乗らないでください〜〜」
「ぶっ……まぁ最近自主練しすぎで怒られてるし。苗字が終わった時間に切り上げるから、連絡してちょーだいよ」
「え……!?……や、でも私の方が早いかもだし」
「じゃあ待ってて?」
「はぁっ!?……な、なんで、」
「まぁ嫌ならいいですけど」
「いっ……やじゃ、……ない、ですけど」
「はい決まりな」

って。うそ。なんかとんとん拍子に決まっちゃったけど、今までこんな風に黒尾と何か素直に約束を取り付けたことがあっただろうか。
口を開けば小学生顔負けの口喧嘩をしている私と黒尾が、なにもなしに一緒に帰る約束をしてる?夢?

信じられないけど、嫌な訳ない。なのにこんな時でも黒尾の前では思ったこととは真逆を言ってしまう、全然素直になれない私が憎い。

「まぁ黒尾が?そんっなに私と一緒に帰りたいならしょうがないですけど?」

だからこれも、いつもの煽りのつもりだった。大体これに黒尾が「はぁー!?ぼっちが可哀想だと思っただけですー!」とかなんとか言いそうなのに、今日もそうだと思ったのに……黒尾といったら「まぁそういうことでいいよ」とか言っちゃってるし!
そういうこと、って何よ。調子狂うじゃん!?

「……そんなに見つめちゃってどうしたんですかぁ。苗字からのあっつい視線でテツローくん溶けちゃう」
「はぁあ?」
「ほらほら早く戻って食わなきゃ午後始まりますヨ」
「う、ん」
「何食おっかな〜〜」
「……何か黒尾今日いいことあったの?」
「え?なんで?」
「や、なんかご機嫌?だから?」
「…………」
「…………え、なに」
「ナイショ」
「うざ」
「はあああん!?」

うわ、キレた!いつも通りの黒尾だ!逃げろー!って走り出したら、黒尾が思ったよりガチ走りで追いかけてきて本気で恐怖を感じたり。クーラーが効いたコンビニ店内が楽園すぎて思わず変な声を上げちゃったり、お昼ご飯もまだなのに目に入ったアイスが食べたくなっちゃって黒尾と半分こして学校に帰ったり。

あれ。なんかそんなに悪くないんじゃない?なんて思う夏休み初日。勉強は嫌だけどあとちょっと頑張れば、黒尾と一緒に帰れるんだって。それってなんかすごいいい感じじゃん。私にしては、すごいこと言っちゃってるじゃん。

「苗字、できたか?」
「全く全然一問も解けてません!」
「…………先生泣いていい?」

まぁなんていうか、今はそれだけをモチベーションにして。私はまた配られたちんぷんかんぷんな課題に頭を悩ますのだった。


21.07.15.


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