黒尾中編 炎天下のチェリー・ガール fin

おとなになるには舌足らず


「苗字サーン?」
「なんですか」
「怒ってんの?」
「怒ってませんが?」
「じゃあこっち向けって」
「もーなに、今忙し、っ、!?」
「やーい引っかかってやんのー」
「ちょっと!黒尾まじふざけんな!」
「お口が悪いですわよ」
「黒尾くんがムカつくからですわ!」

ぶに、と頬に突き刺さった黒尾の指が地味に痛かった。長い前髪から覗く目がにたりと意地悪に私を捉えて、そのままゲラゲラと笑うこの男は本当に高校生なんだろうか。
私はその指から伝わる体温にドキドキして、だけどそれに気付くのは悔しいので今日も気付かないふりをして。

「何してんの?」
「夏休みの課題」
「終業式の日にやるかね」
「夏休みには別に補習があるんでね!誰かさんのせいで!」
「あぁ、ご苦労様デース」
「ほんっとむかつく!」

言いながらも動かす手は止めない、この英単語書き写しだけでも意地でも今日終わらせてやる!
先日の一学期最後の英語小テストで酷すぎる点数を叩き出した私。それで不本意にも夏休みの補習メンバーに選ばれてしまったことから、私が元々予定していた夏休みエンジョイ計画は大幅に狂ってしまったのだ。

ぶっちゃけ期末テストの方だって散々な点数を取ってる科目はあってそれも補習だし、何が悲しくてこんな勉強漬けの夏休みを送らなきゃいけないのか。受験生?そんなの知らないから!

ただ本来補習じゃなくても課される夏休み課題が先に終われば、少しは!少しくらいは遊べるだろう!と思った私は、こんなときばかり勉強にやる気を出してまだ夏休みが始まる前からフライングスタートしているのだ。黒尾のくせに邪魔しないで欲しい。

「終わんの?」
「ん、これは終わりそう」
「すげ。これ一番量やばいやつじゃね?」
「でも書き写すだけだから。質より量勝負のやつは余裕」
「ぶっ……んな自信満々に言われましても」
「うっさいなぁー……」

ぶっちゃけ返事は適当。手の感覚が怪しくなっても、ひたすら書く、とにかく書き写す。そんな私に構って何が楽しいのか、黒尾は私の隣の机に腰掛けずっとそれを見ていた。

終業式が終わった今、後はホームルームのため先生が来るのを皆待っている。それが終わったら待ちに待った夏休みだ。
わいわいと賑やかな教室で、ここだけが切り取られたみたいに静かだった。見られると集中できないんですけど。なんて、内心思っても知らんフリ。無だ、無。

手が痛いからちょっと書くのを止めたくても止まらないのは、半分意地。なんでずっと見てくんの?そう思っていたとき、漸く黒尾が口を開いた。

「まだ怒ってんの?」
「へ?」
「最近なんか……アレな気がして」
「アレ」
「アレ」
「……アレって?」
「アレ……アレ、アレはアレ」
「いや何言ってんの」

ふふっ。黒尾らしくない物言いに、思わず噴き出して手を止めてしまう。だけどチラリと黒尾を見れば特に笑っているわけでもなく、何を考えているのか分からない、感情の見えない表情にまたどきりと胸が鳴った。

アレ、が何を示すのかは分からないが黒尾の問いに対する答えはノーだ。怒ってる?どうして?そう言う思考に至った理由こそ分からなくて、首を傾げてしまう。

「補習で夏休み消えたから」
「え……え、それ?」
「それ以外どれがあんの」
「いや……え、いや、でもこれは別に黒尾のせい……ではあるけど」
「オイ」
「ちょっとだけね。ちょっと、ちょ、おい、体重かけないで重い重いっ」
「ハーーこんなとこにいい肘置きが」
「待って、潰れる、潰れるってば!」

私の発言にピクリと眉を動かした黒尾が私の頭に腕を置いて体重をかけるから、私は机に突っ伏してしまう。ちょっと!ノートがグシャってなってる!っていうか意味不明なんですけど!?
ギャイギャイと騒いでいる間に担任が教室に入ってきて、漸く黒尾は私の上から退いてくれる。最後に私をフンって笑った黒尾は何もなかったかのように隣の席に着くから、益々意味不明だった。

黒尾とは今年に入って初めて同じクラスになった。と言っても一年の時から委員会がずっと一緒で、その時から会えば話す仲。友達と言うほど近くないけど、顔見知りと言うにはちょっと寂しい、そんな距離感。それがグッと縮まったのは、それこそ三年で同じクラスになってからだったと思う。

新学期のクラス替え、最高学年という事実に胸を躍らせ足を踏み入れた三年五組の教室。
その時パチリと目が合ったのが黒尾だった。

「ドーモ、苗字サン。今年は同じクラスだね」
「ほんとだねぇ。今年もよろしくね」
「こちらこそ。今年も相変わらず体育委員やんの?」
「うーん……他にいなければ?仕事分かってるから楽だし」
「お。俺もそのつもりだから、じゃあまた一緒かもな」
「あはは、黒尾くんとだったら気楽だし楽しいかも」

って。最初はこんな感じだったのに、今と全然違うじゃないかって?そう。最初は適度に話すくらいの、付かず離れずな関係だった。
だけどこの後無事同じ委員になり、しかも席も近いしグループワークやら何やらで一緒に話す機会が格段に上がると黒尾の中で私は揶揄い甲斐のある女子、という位置付けになったらしい。

元よりノリが良くて気遣いも出来て頭も良くて……だけどたまに一緒になってふざけたり変な失敗をして笑かしてくれたり、そんな黒尾が私を更に構ってくれるとなれば単純な私はすぐに意識してしまう。
もしかして黒尾のことが好きなんじゃないか。そう思った時にはもう、私達の間には色気のいの字もない、良くも悪くも何でもポンポンと言い合うような仲になってしまっていた。

ぼうっとしている間にホームルームも終わったらしい。ガヤガヤと騒がしくなって、我に返る。皆が来たる夏休みに期待してどこに行くだとか私は夏期講習がとか言い合っている中、やっぱりまた隣から視線を感じた私は首をそちらに捻った。え、なに。今日めっちゃ見るじゃん。

「ホームルーム全っ然聞いてなかったデショ」
「えっ、うん。ボーッとしてた」
「潔いな」
「事実だからね。黒尾は今から部活?」
「おう。苗字は帰んの?」
「うん。お腹すいたし」
「そ」
「うん」
「…………」
「…………」
「…………」
「……え、なに?」

今日の黒尾は変だ。いつもはベラベラ喋るくせに、今日はなんだか寡黙っていうかなんというか。とにかくいつもよりあまり会話が続かない気がする。

……もっと話していたいけど、でも話すことはない。黒尾とはしばらく会えなくなるから寂しいけど、お腹が空いたのはほんとだし、黒尾は部活だし、帰るかぁって。なのに立ち上がる私に被せて黒尾が「あのさ」と話しかけるから、私は中途半端な体勢でまた止まってしまった。

「…………」
「……なに?」
「…………」
「…………」
「…………スカート」
「え?」
「後ろ、捲れてパンツ見えてんぞ」
「え!?」

黒尾の言葉にバッとスカートを押さえると、確かに。後ろの裾が折れ返って、大変なことになってしまっている。

「ちょっと!なんで言ってくんないの!?」
「ぶっひゃっひゃっひゃっひゃっ!言ってやったでしょーが!」
「今じゃん!絶対もっと早く気づいてたくせに!」
「いやー俺だって男の子ですから?女の子にそーゆーことはちょっと言い辛いっつーか」
「さいってい!いつもはお前は女子じゃねえとか言うくせにこんな時ばっかさぁ!」

ニヤニヤ笑う黒尾は、絶対さっきからこれを見てたんだろう。ほんっと!趣味悪い!性格悪いっ!
他の女子だったら黒尾ともなればさり気なく知らせることなんて容易にするだろうに、私にはしばらく教えてくれないなんて。
見られてしまった羞恥もあってキレてしまうのは仕方ないと思う!

「ぶっふふ……じゃ、俺は部活行くんで」
「はいはい!早く行きな、バカ黒尾!」
「くく……ごめん、ごめんって」
「もうほんと、最悪なんですけど」
「ま、帰る前に教えてもらえて良かったじゃん?」
「ばーか!遅いんだよばーかばーか!」
「小学生かよ」

まぁまぁ、なんてムカつく仕草で私の肩を叩く黒尾に、体温を上げてしまうのすら悔しい。こうやって触れ合えるのに喜んで、だけど絶対女子扱いされてないよなってちょっとだけ胸が騒ついて。

「じゃ、いい夏休みを」
「嫌味!?」
「ぶくくくっ」

肩を震わせながら教室を出て行く黒尾に、私はあっかんべー!と舌を出したのだった。


21.07.05.


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