黒尾中編 炎天下のチェリー・ガール fin

ZiRiRi・負け戦も三度目


小学生の時から、夏休みが終わると同時に楽しかった時間が全部夢だったみたいなそんな感覚に襲われていた気がする。特別学校が嫌いってわけじゃないし友達にも会いたいけど、でもそれとは全く別のところにある特別なものが"夏休み"で、学生である今の私たちだけの特別な時間。

高校最後の夏も終わり、今日からまた学校が始まる。だけどいつもみたいな喪失感が少ないことは、疑問に思うまでもなかった。

「はよ」
「お、おはよ」

校門の少し手前で後ろから肩を叩かれ、振り返ると黒尾が欠伸をしながらそこに立っている。ドキンと心臓が跳ねるのは、あの日以来初めて黒尾と会うからだった。

「夏休み終わってもまだあっちいよなー」
「ねー」
「……なんで苗字そっち向いてんの?」
「べ、別に?」
「ふぅん……手でも繋ぐ?」
「はぁ!?ひっ、人が!いるでしょ!!」
「ぶっ……ひゃっひゃっひゃっ!言い方!」
「笑うなバカ!」
「なになに苗字サン照れてんの〜?可愛いね?」
「バッ……!」
「バ?」
「バーカ!」
「語彙力なし子さんかよ」

クツクツ笑う黒尾から私は思いっきり目を逸らす。黒尾と付き合い始めて初めての登校日、と言っても今日は始業式だけで授業もないのだけど。毎日あんなにふざけ合っていた私たちが夏休みが明けたら付き合ってましたなんて……周りにびっくりされるじゃん!そう、照れてるんじゃくて、みんなを急にびっくりさせたらいけないなーって!私なりの心遣いだから!

なんて心の中で言い訳を重ねていると、

「!」
「ん?」

さらっと取られた右手に躊躇なく指が絡まり、所謂恋人繋ぎ。や、ちょっと、待って。それはちょっと待って!
今まで黒尾と手を繋いだときはこんな繋ぎ方じゃなかった。こんな、指を絡ませるような……突然の接触に急激に体温が上昇して、それなのに黒尾ときたらその手を見せつけるようにして私の顔の前まで持ち上げるじゃないか。オマケに「繋いじゃった、」なんて語尾にハートマークが見えるような言葉まで添えて。

「な、な、っ、な、!」
「ぶっくく……真っ赤」
「ひ、人、人がいるから……」
「えー、せっかく初彼女が出来たんだからちょっとは浮かれたいじゃん?」
「か、彼女とか言うな!」
「彼女じゃねえの?」
「彼女だけど!」
「じゃあいいじゃん」
「よくない!」

「あー!黒尾と苗字が手繋いでる!?」
「!?」
「おー……もう見つかった」

黒尾のせいだ黒尾のせいだ黒尾のせいだ!言い合ってるうちにクラスメイトにこの姿を見られ、どんどんと人が集まってきた。こういうのって照れ臭いから実は苦手。今までも揶揄われたことはあったけどでも付き合ってないからって否定できたのに、今は否定も出来ないわけだし逃げ場がないし。

「まぁ今更だよな〜」「やっとくっついたか」「ねぇねぇどっちから言ったの!?」なんてもみくちゃにされるうちにどんどんと暑くなって、なのにまたその瞬間ギュッと手を握る力を強くされる。

「な、」
「秘密デース」

くらりと足が縺れる。周りをヒートアップさせるだけさせといて飄々と躱す黒尾みたいに私は出来なくて、どんどんと体温が上がっていく感覚。そんな私を見てにやりと笑った黒尾に、私からもせめてもの抵抗で繋いだ手に最大限の力を込めた。


と、そんな朝の出来事があって、すっかり忘れていた。……ううん、その時点で気付いてももう遅かったのだけれど。今日は始業式、授業はないけどその後に実力テストがあるんだってことに。
いやぁいきなりテスト用紙が配られた時はびっくりしたなぁ、聞いてないよーって思わず叫んじゃったもんなぁ!

「言いましたけど」
「心を読むな」

じとりとした視線を向ける黒尾から逃れるように机に突っ伏すと、もう私たち以外みんな帰ってしまった教室にゴンと鈍い音が響いた。痛い。

「一応聞くけど全然ダメだったんだろ」
「…………」
「だーから復習しろよって言ったでしょうが」
「……だって」
「だってなんですかぁ」
「そ、それどころじゃなかったんだもん……」
「…………」
「…………」
「…………」

黙らないでよ!……とか噛み付くこともできない、だって今絶対ひどい顔してる。
そう、あの日、黒尾と付き合うことになった日からどうにも浮かれてしまって、勉強にすら身が入らなかったのだ。今の言い方ではそれがバレバレで、でもそれは紛れもない本心だった。

私はこの夏黒尾のことで頭がいっぱいだったのだ。それを当の本人に言ってしまうくらいには。

「……顔上げてくんない?」
「い、嫌だ」
「今のは反則でないですか」
「反則じゃないです」
「いや反則です」
「反則じゃないです」
「なぁって」
「…………」
「名前」
「へっ」
「ちょろ」

ずるい。ずるいずるいずるい。黒尾から名前を呼ばれて、それはもう反射というか。目が合った黒尾はてっきり思いっきりニヤニヤしてるんだと思ったのに、意外にも真っ赤な顔で口元を隠していた。なに、それ。だからずるいんだってば。

「……名前呼んだ」
「……おう」
「なんで……?」
「ダメ?」
「ダメ、じゃないけど……わ、私も……鉄朗、って、呼びたい」
「……どうぞ」
「……鉄朗?」
「っ」
「鉄朗」
「……くっそぉ」

私が名前を呼んだ瞬間に、今度は鉄朗の方がバタンって机に突っ伏して、そしてその髪から見える耳は相変わらず朱に染まっている。……なんか可愛いかも。

「鉄朗」
「…………」
「鉄朗」
「……面白がってんじゃありませーん」
「ふふ、仕返し」
「名前」
「……はい」
「ぶっ……名前」
「な、なに」
「……俺ら何してんだろな」
「ほんとだよ……名前呼び合ってさ」

そもそも今日は、体育館が別件で使えないからって部活はないらしい鉄朗と帰りにどこかへ行く予定だったのだ。いつの間にか発展していたお互いに名前で呼び合ってお互いに照れるだけだなんて人に見られたら恥ずかしすぎるやりとりに漸く終止符を打ち、私たちは教室を出る。
九月なんて全然暑くて実質まだまだ夏、教室を出た瞬間にもわりと息が詰まりそうな空気に眉を顰めて、でももう今度は自然にどちらからともなく手を繋いでいた。

「あ、そういえばさ」
「ん?」
「これやる」
「え、何」
「さっき落ち込む名前を置いてトイレに行った時に、担任に会って貰いました」
「?」

サラッと呼ばれる名前にまたキュンと胸が鳴るも、言ってることは中々ひどいな。私の視線は黒尾の手元、そういえばいつの間にか持っていたなって思った紙袋の中には夏が咲いている。それは少しだけへたった向日葵が束になって簡単にリボンがけされている、花束だった。

「向日葵……」
「夏休みに水やりしてたじゃん?」
「あぁ……あれ」
「もう時期も終わりだからってくれました」
「てかまだ生きてたんだ」
「なんか遅めに植えたとかなんとか」
「へぇ……私にくれるの?」
「うん、俺いらねえもん」
「まぁそうだよね」

私も別にいらないけどさ。だけど単純にプレゼントを貰ったみたいで嬉しくなって、思わず受け取ってしまう。ガサリと音を立てながら紙袋から出したそれは、太陽の日差しを受けてキラキラ輝いているように見えた。

「可愛い……ありがとう」
「いーえ、貰いモンですけど」
「でも嬉しい」
「…………なぁ」
「?」
「向日葵の花言葉って知ってる?」
「え?」

ばちり。合った視線はどういう意図なのか、思わず立ち止まると鉄朗も立ち止まる。向日葵の花束に視線を落として……また鉄朗を見て、向日葵を見て。花言葉……知ってる、けど。

「……"あなただけを見つめています"?」
「えっ」
「え!?ち、違った?」
「お前なんで知ってんの!?」
「いや普通になんかで読んだ……」
「…………へぇ」
「…………黒尾?」

返事を聞いて歩き出してしまった黒尾に私の頭の中はクエスチョンマークでいっぱいで、どうしてそんなことを聞くのだとか何がしたかったのとか、考えたって分かるはずもない。
慌てて追いかけて隣に並ぶけど、その横顔は何を意味しているのか全く読み取れなかった。

「黒尾」

名前を呼ぶ。黒尾は少し間を開けてゆっくりこちらを向いて……「鉄朗」と小さく呟いた。

「あ、ごめん、鉄朗」
「……別にいいですけど」
「な、なんか怒ってる?」
「別に」
「……ほんとに?」

さっきのやりとりで別に怒られるようなことはしていないはずなのに、様子のおかしい鉄朗に機嫌を窺うようになってしまう。それに鉄朗も気付いたのか、ごほん、と小さく咳払いをすると「いやまじ、怒ってはない」ともう一度言ってくれた。
その表情はなんだか曖昧な、言うならば苦笑い。……何に対して?

ジジジ、と近くにあった木から蝉が飛び立っていく鳴き声が、やけに大きく聞こえた。

「あー……」
「?」
「その……なんか思った感じにいかなくて」
「な、なんの話?」
「……ダサくて引くけど」
「引かないよ」
「…………」
「ほんとに!」

大きな声でそう告げた私に、鉄朗はもう一度だけ私をジッと見つめて……それから観念した、とでも言うようにため息を吐く。ガリガリと首裏を掻いて、「あー……」とまだ言いにくそうにした鉄朗を、私は黙って待った。

「……知ってると思わなかったから」
「え?」
「向日葵の花言葉」
「花言葉……え、そこまで戻るの?」
「だあああああ!」
「え、なに、何が?知ってたらダメだったの、ごめん?」
「俺の脳内のシミュレーションでは知らないって言った名前にじゃあ帰ってから調べてみって俺が言って家に帰って名前が一人で照れる作戦だった!の!!」
「は…………」
「つーことで全部忘れてください!てか忘れろ!」
「えぇ……?」

一気に言われたその言葉を何度も咀嚼し、飲み込む。ようやく理解出来たそれは本当に理解出来ているのか、だってそうだとしたらなんか……私ちょっと、大分自惚れちゃってるんですけど。
私たちの間に流れる生温い空気をこの夏何度経験してきたんだろう。もうないと思ってた。それなのにこれはまだまだ……というか、これから今までより更に増えるんじゃないかとさえ危惧する。

花言葉の意味を込めて、プレゼントしてくれたんだろうかって。そんなキザなこと鉄朗が私にするわけないのに、どうせ担任が渡す時に何気なしに言ったとかそういうことだと思うのに、でもそうにしか考えられなくなってしまった私の頭はもう結構やばいのかも。

「んな顔で見ないでくださーい」
「ま、真っ赤……」
「名前もだから」
「……鉄朗って意外に私のこと大好きだよね」
「…………意外ってなんだよ」
「え、」
「そんな伝わってねえってこと?」

ドクン。
仕返しのつもりだった言葉は思わぬ強い口調で返された。ねぇ、もうこれ以上は無理だって。心臓がまた一段と大きく跳ねる。さっきまで照れてるを通り越して拗ねてたくせして、今はまたそうやって私に詰め寄って恐いくらいにギラギラした目で私を見据えてる。

もうずっと情緒が忙しくてくらくらしてるよ。視線を逸らせずにその場で固まってしまった私は、想いを伝え合ったあの夜のことを思い出した。

「……い、一年の時から好きって言ってた……」
「…………おう」
「クラスも一緒になったことなかったのに」
「……初めて見た時に可愛いなって思っちゃったんだからしょうがなくね?」
「は、……」
「仲良くなりたいなって。ずっと思ってましたヨ」

思い出したのは一年の時から委員会で一緒だった違うクラスの"黒尾くん"。たまに廊下で会ったら話す程度の、同級生の"黒尾くん"。でも鉄朗はあの時から私のこと好きでいてくれたの……?

「……よくそんな恥ずかしいこと言えるよね」
「はぁ!?」
「無理!無理無理無理、ちょっと今こっち見んな!」
「そっちが聞いてきたのにそんなこと言います!?」
「うっさいこんなの巻き添えじゃん……」
「巻き添えって」
「勝手に鉄朗だけ自爆してなよ……!バカ……!」

だってだって、こんなの情報過多で頭がショートしちゃうよ。既にパチパチと火花が出ていそうな頭を抱えて、チラリと見た鉄朗は開き直ったのかにやにやと笑っていて。

「初彼女だから俺も浮かれてるっつったじゃん?」
「そんなの嘘だと思うじゃん……」
「え、もしかして名前チャン照れてんの?可愛いね〜」

って。朝と同じこと言ってるし、語彙力ないのはどっちだよって。私は手に持った向日葵の花束を抱え直した。ずっとあなただけを見つめてるとか、そんなん私もだわ!バーカバーカ!バーーーカ!


21.08.27.


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