黒尾中編 君がいる生活 fin

君がいる生活


最悪だ。ガンガンと鐘を鳴らされているように頭に響く鈍痛。朝は普通だったのに、お昼ぐらいから急にちょっとだるいなって思ったが始まり。それからどんどん体調は悪化していく一方で、体は熱いし、それに全身鉛のように重くなっていく。大学の友達にも顔色が悪いなんて言われたけど、これくらい平気だよってそのままバイトもこなし、でも帰り際には軽く吐き気まであった。それでも特に大きなミスもせず仕事した自分を褒めてやりたい。ああ、帰ったらすぐ寝よう。なんて思いながら、私はその扉を開いたのだった。

「ただいま…」
「おー、おかえりー」
「…も、むり…」
「え、は?ちょ、名前!?」

お願いだから大きな声で叫ばないで、頭に響くから───────
そして私が次に目が覚めたのは、ベッドの中だった。


「ん…」
「お、起きた。これ、水」
「んん…」
「お前今日朝から体調悪かったの?別に普通じゃなかった?」
「朝は平気だった…」
「帰ってきてすぐ倒れるからびびったわ。バイト代わってもらえよ」
「代わり、見つかんなかった」

鉄朗が差し出したペットボトルの水を受け取ると、そのキャップを回して口を付ける。張り付いた喉が潤っていく感覚と、その冷たさが今は心地良かった。少しだけ減ったそれを鉄朗に渡して、私は起こしていた上半身を再び布団に預ける。ぬるい。

「今何時…」
「1時48分」
「夜中じゃん…鉄朗寝なきゃ」
「いい、明日午後からだし」
「良くないよ…しっかり寝ないとバレー、できないよ…」
「お前自分のことまず気にしてね?」

はぁ、とため息を吐かれたら何にも言えなくなってしまう。あれ。もしかして怒ってるのかな。頭が痛い。それにきっと熱もある。ぐわんぐわん、その表現がぴったりの今の頭は全く働いてなくて、思ったことがそのまま口を出た。

「てつろ、怒ってる…?」
「怒ってねーよ。心配してる」
「じゃあ優しくしてよぉ…」
「え?おま、泣くなって」

風邪の時は弱るとは本当だ。いつもだったら何でもないことにも過敏に反応して、涙腺を刺激する。そんな私を見て焦っている鉄朗は、寝ている私の額に手をやって、そしてそれはサラリと頭に移動する。落ち着かせるように、ゆるりゆるりと撫でられた。

「熱いんだけど。熱測る?」
「いい…」
「飯は?」
「いらない…」
「じゃあ全部明日にして、寝よ」
「ん…鉄朗は…?」
「一緒に寝るって」

ごそごそ私の横に入ってきた鉄朗は、いつもより冷たい。いや、私が熱いのか。冷たさを求めるように、私はそのままぎゅっと鉄朗に抱きついた。

「鉄朗、感染っちゃうよ…」
「そんなくっつきながら言われても」
「いや?」
「嫌じゃないけど、我慢すんの大変」
「最低だぁ」
「これはしょうがないでしょ」

小さく笑った鉄朗は、さっきみたいに私の頭を撫ではじめた。向かい合ってくっついていると、最悪だったはずの体調が少しマシな気になるから不思議だ。

「風邪ひいたとき、誰かいるっていいね…」
「そうだなぁ」
「鉄朗がいて良かった」
「こんなので良ければいつでも」
「ふふ」
「もう寝ろよ」
「はぁい」

子供を寝かしつけるときのように、ゆっくりとポンポンする鉄朗。安心するそれにより、私はすぐにまた眠りに落ちた。

翌朝、目が覚めたのはいつもより遅い時間だった。寝る前に隣にいたはずの鉄朗はいない。体のダルさも熱も昨日の夜がピークだったらしく、大分とマシになっていた。頭ももう痛くない。
ごそごそと布団の下で足を動かすも、まだ起きる気にはなれなくてベッドを出られないでいる。すると私の目が覚めたことを見計らったようなタイミングで、鉄朗が戻ってきた。

「体、どう?」
「昨日より全然平気。熱も多分下がった」
「おー、よかった。すごい回復力。おかゆ作ったけど、食える?」
「うん、食べる。ありがと」
「食わせてやろうか?」
「い、いいよ。自分で食べられるし」
「残念」

せっせと看病しようとしてくれる鉄朗に感動しながら、私はやっと体を起こした。作ってくれたおかゆは言わずもがな美味しい。昨日食べていないこともあって普通にお腹は空いていて、ふぅふぅと冷ましながら口に入れていく。半分を食べたところで、鉄朗が黙ってこっちを見ていることに気がついた。

「鉄朗も欲しい?」
「え?いや、それは名前のだからいいよ」
「そう?こっち見てるから欲しいのかと思った」
「…なんつーか、」
「?」

無言で続きを促すと、鉄朗はガリガリと首の後ろを掻きながら視線を逸らして呟いた。

「結婚したらこんな感じなのかなーって思っただけ」
「ええ?今?」
「そ、今」
「普通、一緒にご飯の買い物してる時とか寝る時とかに思うんじゃないの?」
「でも、別々に住んでたらどっちかが弱ってる時に付きっきりでお世話しないじゃん?」
「ま、あ…そうなのかなぁ?」
「だから、なんかそういうのいいなって」
「そか…」
「あ、照れた」

ニヤリと笑った鉄朗は、さっきまで自分も照れたような表情をしていたくせにもういつもの意地悪な顔に戻っていた。だっていきなり結婚とか言うから、しょうがないじゃん。私は心の中だけで言い訳をする。そう言ってくれるのが嫌じゃなかったから。私も、鉄朗とこんな風にずっと一緒にいられる今が好きだし、いずれ結婚してそれが当たり前になってくれたらいいなと思う。

「…いつ出来るかな?」
「卒業して、就職して…まぁ最短で頑張るわ」
「期待していい?」
「いいよ。夢見まくっといて」
「ふふ、鉄朗が花束持って夜景の綺麗なレストランでプロポーズとかしてきたら、笑っちゃうね」
「何でだよそこは"鉄朗カッコいい!"ってなるとこだろ」
「いやぁ…」
「おい」

顔を見合わせて、お互いくすくす笑う。今が当たり前になればいい。これからも毎日君のいる家に帰って来られればいい。私がいる家に帰ってきてくれたらいい。

私はもうすっかりよくなった体を寄せて、鉄朗にキスをした。



19.12.10. fin
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