黒尾中編 君がいる生活 fin

3つの約束


「あれ、鉄朗?」

ここしばらく私と鉄朗の生活リズムが全然合わない日が続いていた。私が朝起きたときにはまだ鉄朗は寝ていて、先に家を出る。私はほとんど毎日1限からの講義があるからだ。そして鉄朗は最近試合が近いとかで遅くまでバレーの練習があり、私が夜バイトの日はそのまま仲間とご飯を済ませてくるし、私のバイトがなくても仲間の家で飲んで泊まってくる日も少なくない。私だって友達と遊んで帰ることもあるし、それ自体にはなんの不満もないのだけれど、会えたとしてもほんの少しの時間しかなくって、そんな毎日にただちょっと寂しいな、なんて思っていた。

私たちには同棲し始めた頃に決めたルールがあった。まぁ、恋人同士の共同生活を行うにあたってのちょっとした約束事だ。その一、親しき仲にも礼儀あり。家事だとかお互いへの感謝を忘れずに、遠慮も忘れずに、ってとこだ。その二、喧嘩してても挨拶はする。長い付き合いで、よくどうでもいい喧嘩をする私たちだけれど、"おはよう" "ただいま"なんて言葉だけは無視しちゃいけない、というルールはお互いが意地を張り合って喧嘩を長期化しないことに一役買っていた。そしてその三は─────

「苗字ちゃんじゃん!」
「あ、久しぶり木兎くん」

バイト終わり、バイト仲間の女友達と二人で入った居酒屋で、案内された隣の席。そこには高校時代に鉄朗を介して知り合った木兎くんと木葉くん、その後輩の赤葦くん、そして鉄朗が座っていた。その向かいの席には、同じ数の女の子達。

「…飲み会?」
「合コン!」
「ちょ、木兎さん…!」

勢いよく答えてくれた木兎くんはもう既にほろ酔いっぽくて、未成年だからかきちんとソフトドリンクを頼んでいる赤葦くんがそれを慌てて止めようとしている。
ふうん。合コン。ちらり、と鉄朗を見れば一見普通にしているけれど、私にはわかる。焦ってる。でもその太ももにはしっかりと隣の女の子の手が添えられてて、それを見た瞬間身体の底からイライラと怒りの感情が沸いてくるのがわかった。

「あ、大丈夫!ちゃんと聞いてるから!」
「苗字さん、」
「隣だと気になるだろうしあたし達席向こうに変えてもらうね」

尚も何か言いたげにしている赤葦くんとは対照的に、何にも言わない鉄朗。機嫌良さげに手を振ってくれた木兎くんと木葉くんに軽く手を振り返して、私は違う席に案内してもらった。


それからは、あまり楽しく飲む気にもなれずちょっと食べたら早々に解散してしまった。帰宅して、暗い部屋に乱暴にバッグを投げ捨てる。

「女の子いるとか、聞いてないし」

約束その三。異性も含めたイベントやご飯の時は報告する。面倒臭いルールかもしれないが、私も鉄朗もお互いに対してだけはすぐヤキモチをやく性分だから、変に後から浮気を疑ったり喧嘩になったりするのを防ぐために決めたことだった。

「なんか言ってくれてもいいじゃん、黙ってないで、さぁ…!そりゃー、可愛い子が横にくっついてくれて楽しんでる空間に、邪魔者が来たらびっくりする、かもしんないけど!!」

真っ暗な部屋で吐き出した独り言は静かに溶けていく。

「いや邪魔者、って、あんたの彼女なんですけど、」

ぼろ、ぼろ。大粒の涙が頬を流れ落ちた。自分が言ったことに自分でダメージを受けている。

わかっていた。鉄朗が別に浮気したりするつもりであの場にいたのではなかったことくらい。そりゃあ鉄朗にも付き合いだってあるし、女友達だっているだろう。合コンだと教えてはくれていなかったにしろそれくらい許すことができる。普段の私だったら。それでも、最近の私は、一緒に暮らしているのにあまりにも鉄朗との時間が少なかったから。

そう、寂しかったのだ。ただ単純に、私ではない女の子が鉄朗といられるあの空間を羨ましく思った。
自分でもそれをわかっているのに、止まらない涙もイライラも全部にうんざりして、もう今日はこのまま寝てしまおうか、なんて思ったとき。

ガチャ、と扉が開く音がして、そして遅れて「ただいま…」なんて呟くような鉄朗の声が耳に届いた。

「おま、真っ暗じゃん」
「……………」
「泣いてんの?」

電気をつけて、私の側にしゃがみこんだ鉄朗からはお酒と、それから嗅ぎ慣れない甘い香水の香り。
なんなの、なんなの、なんなの!!
あの時は、焦ってたくせに。私が怒ってるってわかってるくせに。どうして、そんな普通にしてられるんだろう。ちょっとは気まずそうにでもしてくれたら、私だって少しは素直になれただろうに。

「おやすみ!!!」

むしゃくしゃして、涙でぐしょぐしょに濡れた顔で鉄朗を睨みつけてやると、私はメイクも落とさずベッドにダイブした。そしてその日、それ以上鉄朗と話すことはなかった。



2019.11.29.
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