黒尾中編 君がいる生活 fin

箱庭の番人


「やば、こんな延びると思ってなかった…」
「今日まじで忙しかったっすね」
「お腹すいたー…入る前に賄い食べたからなぁ」
「何か食って帰ります?」
「いや、彼氏家で待ってるから帰る」
「じゃあ遅いんで送りますよ」

バイト終わり。ごく普通の飲食店で働く私は、人の良い店長が帰りが遅くならないようにって大抵いつもは早めに上げてくれるんだけど…今日はいつもより桁違いに忙しくってそんなことも言ってられなかった。
金曜と給料日被っちゃってんのかぁ、なんて思ったのは勤務中。あまりの多忙さにシフト時間より延びて働いた私は、もうすぐ日付変わるじゃんって時間に上がるのなんか初めてでヘトヘトだ。

休憩中に遅くなりそうなことを伝えておいた鉄朗へ"今終わった"とメッセージを入れて、丁度同じタイミングで上がった後輩くんと店を出た。

「でさぁ、その後あのおっさん何て言ったと思う?」
「えっなんですか、俺そんとき他のテーブルいましたよね?」
「"注文もっと可愛い子が良かったわ〜"だよ!ひどくない?」
「や、それは酷いっす」
「でしょ!?それで私、」
「名前」
「へ?」

名前を呼ばれた前方には、ゆるめのスウェットにサンダルを引っ掛けたの鉄朗の姿。早歩きでずんずん近づいて来る鉄朗は、私達の前までくると私の手を取って指を絡ませてきた。

「よそ見してると危ねぇぞ」
「え、なんで鉄朗いるの?」
「迎え行くって送っただろーが」
「え?…あ、ほんとだ…見てなかった」
「彼氏さん来てくれたみたいなんで、じゃあ俺帰りますね!」
「あ、うん、ありがとう。お疲れ〜」
「お疲れ様です!」

そのまま、送ってくれた後輩くんは鉄朗に頭を下げて帰って行った。その後ろ姿を見送っていると、ぐいっと手を引かれる。私を引っ張るようにして歩き出した鉄朗の表情は見えないけど、何となく雰囲気がいつもと違う。怒ってる?どうして?
ピリピリした空気を感じ取り、話しかけられないまま、そして又鉄朗も何も話さないまま家に着いてしまった。

家に着いて、やっと離された手。困惑しながらも靴を脱ぎ、部屋に入ると鉄朗と向かい合うように座り込む。

「ね、なんで怒ってんの」
「怒ってねーけど」
「嘘。怒ってる」
「怒ってねーけどさぁ」
「けど?」
「妬いてる」
「えっ」

ぽつりと呟くように告げられた言葉に、驚いた。妬いてる。妬いてるって…誰が?誰に?そんな風に言われる覚えはなくてただただ瞬きを繰り返して鉄朗の顔を見つめていると、また腕を引っ張られて抱きしめられる。えっ、っていうか酒くさ。
そういえば、今日はまた木兎くん達と飲みに行くって言ってた。だから鉄朗もきっと帰りが遅くって、それなのにまだ帰ってきてない私を心配してくれてたのかもしれない。それで迎えにきてくれたんだ。そこまで考えて、自然と頬が緩むのがわかった。

「俺が一緒に帰りたかったんですけど」
「来てくれたじゃん、ごめんねメッセージ気付かなくて」
「なんなのアイツ?名前のこと狙ってんの?」
「ただのバイト先の後輩だよ」
「いいや何かあるぞ絶対。そもそも何もない奴送る男子大学生とかいねぇ」
「…鉄朗酔っ払ってんね?」

よしよしと頭を撫でると、微かに香るタバコやらお酒やら色んなものが混ざった匂い。珍しく大人しくされるがまま、子供のように拗ねている鉄朗が何だか可愛くって、思わず笑みが溢れる。

「遅くなる時は絶対迎えに行くから、待ってて」
「えー、来れない時もあんじゃん」
「絶対行く」
「飲み会の時とかどーすんの?バレー部でオールとか全然あるでしょ」
「途中で抜ける」
「そんなの悪いよ」
「うっせぇ」
「ん、ふ…っ」

むちゅ、と音がしそうなくらいの勢いで口を塞がれ、そのまま舌を持っていかれる。執拗に歯列をなぞられ、と思ったらまた舌を絡めて、丁寧に丁寧に口の中を愛撫される。息も出来ないくらいのそれに苦しくなって口を離せば、すぐにまた追いかけられて。

どれくらいそうしてたのだろうか。やっと解放してくれた時には、息も絶え絶え、私は鉄朗の胸に支えられて溶けきっていた。

「はぁ…っ」
「もっと」
「や、ちょ、無理…」
「なんで?」
「苦し、ちょっと休憩」

そう言って、これ以上何かされないように目の前の胸に顔を埋めた。お互いに対してはよくヤキモチを妬く、それは長い付き合いの中で分かっていたことだったけど、こんな風にストレートに態度に示してくるのは珍しいかもしれない。いつもは鉄朗こんなこと言わないのに…飲み過ぎじゃない?何かあった?それか何か言われた?酸欠でくらくらする頭で考えるけど、結局答えは分からないままだ。

そのまま、どれくらいそうしていたのだろう。

「ね、鉄朗…」
「…なに」
「あれ」
「………」
「酔い覚めてきた?」
「………」
「ヤキモチ妬いてくれた鉄朗くんは?」
「からかってんじゃねえ」

ちょっとだけいつも通りに戻った鉄朗は、私の身体を離して覗き込んでくる。さっきので抵抗する力なんて残ってない私はされるがまま。でも鉄朗は見つめるだけで何もせず、やっぱり少し不満そうな顔をしているだけだった。

「…今度、アイツもいる時に食いに行くわ」
「え?」
「牽制」
「やだやめてよ、恥ずかしい…」
「…嬉しそうな顔してるくせに」
「…バレた」

鉄朗はそんな私の緩む頬を片手で掴んで、タコみたいになった口に吸い付く。やば、油断してた。

「んんんっ」
「お仕置き」

もう一度離れたとき。やっといつもみたいに意地悪な顔で笑ってくれたから、もう機嫌は治ったんだろう。たまには今日みたいな鉄朗もいいかも、なんて。またにやけてしまうのは許してもらいたい。



20.6.2.
title by コペンハーゲンの庭で
10,000hits 企画より
- ナノ -