宮治長編 I my darling!!

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「……苗字ちゃん」
「は、はい!?」
「……なんでそんな遠いん」
「いや! 遠くないです全然! わーめっちゃ近い!」
「遠いやん、人一人分どころか五人くらい入れるでこれ」
「ええ〜そうですか? それってめっちゃ細い人ですね!」
「ハァ?」
「ちょ、待っ、……治先輩! 近い!」
「近くないわこの前もこんくらいやったわ!」
「それが近いんですってー!」

 肩がぶつかるどころか押し付けられて、治先輩の体温をすぐに感じられるその距離にドキドキと心臓が痛い。
 治先輩、なんかこの前からすっごく積極的! そんなに私とくっつきたいんですか!? きゃー! なんてふざけてみても、それを無視してジッと見つめられたら私はすぐに顔を真っ赤にして狼狽えてしまう。ほ、ほんまにどうしたんですか治先輩!

 昨日の一件で好きな人と両想いってことの凄さを改めて実感した私。これが好きな人がいる生活! これが彼氏(!)のいる日々!?
 放課後、晩飯は争奪戦になるからと自主練が終わったら侑先輩とすぐに帰ってまう治先輩が最後まで残ってはったんに驚いて、そんな私を見て治先輩はめちゃくちゃわかりやすく口をへの字に曲げた。

「……治先輩、まだ帰りはらへんのですか?」
「……帰る」
「お疲れ様です!」
「……苗字ちゃん待っててんけど」
「エッ」
「なんでそんなびっくりするん」

 そう言って私の手を攫ってく治先輩に、私はどうしたらいいのかわからんくて。だってまだ私はこんな治先輩に全然慣れてへん。
 今日の昼休みやって、せっかく部活外の治先輩に会えたのに上手く出来ひんくて先輩を呆れさせてもうたし。

「……」
「……」

 微妙な沈黙が流れた。お、怒ってはる……? と先輩の様子を窺うみたいな私を、あのときのさっちゃんはらしくないと笑った。それでも。私もこんなん自分らしくないって思う。思うけど、でも理屈じゃないのだ。

 私は昼休みのことを思い出して、それからはぁとまたため息を吐いた。


* * *


「さっちゃん、そろそろ焦らさんでええよう! もう午前中ずーっと気になって気になって授業集中でけへんかってんからぁ!」
「え?なに?」
「もう〜〜! 分かってるからそろそろ教えてよ!」
「いやほんまなに……」
「昨日侑先輩と! 上手くいった!?」
「はぁ!?」
「ふっふっふ、なんで知っとんって? なんで知ってると思う〜?」
「え、ちょ、」

 さっちゃんに片想いしてたらしい侑先輩のために、彼氏さんの浮気が発覚して傷心のさっちゃんを泣く泣く侑先輩に託した昨日の私。
 ほんまは私がさっちゃんを慰めたかったけど! 一番側にいてあげたかったけど!

 でも昨日のことは侑先輩のお陰やった部分もあるし、なにより侑先輩の気持ちを知っちゃってる私は頼まれんでも一応気にしちゃうのが後輩心というもの。
 実際私も侑先輩には色々お世話になったし、まぁ、こんくらいは?って繋いだ貴重なチャンス、絶対侑先輩はものにしてくれるって信じてた。だって侑先輩やし。

 やから今日学校でさっちゃんからその話を聞くことを楽しみにしとった私は、昼休みになっても話してくれないさっちゃんに遂に私の方から聞いてしまったのだ。
 やっぱり友達の恋バナは聞きたいよ! ってわくわくを隠しもしない私に、さっちゃんは照れ隠しなんか怪訝そうな顔をして……それからぺし、と私のおでこを軽く叩いた。

「はい、ストップ。ちょお落ち着いて」
「む、だって気になるもーん」
「ていうか全然話分かってへんねんて。なに? 侑先輩がどないしたん?」
「だからぁ、昨日! あれからどうなったんかなって!」
「えぇ……別に、なんもなかったけど……」
「え!?」
「あのあとすぐ私帰ったし……」
「えっ、い、家まで送ってもらったり?」
「するって言うてくれはったけど、そんなん先輩にさせられへんし、侑先輩とおったらただでさえ目立つし……普通に一人で帰ったで」

 そんっな! なんで!? 侑先輩なにしてるん!?
 頭ん中で、侑先輩の本気の泣き顔が浮かんでくる。もしかして侑先輩ってヘタレ? 自分の恋愛に対しては草食系とか!?

 正直そんな侑先輩想像できへんけど、でもこれは……って予想外の展開に狼狽える私を見て、さっちゃんは更に眉を顰める。

「てか」

 でもその後のさっちゃんの言葉を聞いて、私は全てを悟ってしまった。侑先輩は草食系やったんじゃない。肉食系な上で、この戦いに負けてしまったんやって。
 
「名前がなんで私が侑先輩とどうこうなる思てんか知らんけど、私どっちかっていうと角名先輩派やしな」
「エッ」
「あ、タイプの話な? 本気で好きとかちゃうけどな?」
「あぁ……」

 攻めて攻めて、攻めた上で今と同じようなことを侑先輩が言われたんやとしたら? うっ……想像できちゃう! 悲しいことに目が死んでる侑先輩が想像できる! 可哀想! なんかめっちゃ可哀想です侑先輩!

 そうして頭ん中で勝手に侑先輩を哀れむ私は気付かなかったのだ。さっちゃんが「あ、」って溢したと同時に頭の上に感じた重み。そういえばさっきから周りが騒めいてるんもそのせいやったんか、いちごミルクを私の頭に置いた治先輩がすぐ後ろにいてはったことに。

「治先輩! と、角名先輩!」
「……なに大声で騒いどんねん、迷惑やろ」
「! なんか今の北先輩みたいですね!」
「照れてるだけでしょ」
「おい角名」
「えぇ! 照れてるんですか、治先輩!? 可愛い〜!」
「苗字ちゃんはちょっと黙り?」

 相変わらず治先輩と角名先輩、仲良いなあ! っていうか昼休みまで会えるのラッキーすぎる! どうしよう! むっちゃ幸せ! ってきっと私に尻尾があったらぶんぶん振ってる。

 やけどなんでここに? ただでさえ有名人な先輩らが後輩の教室なんかに来たら、もう周りはすごいことなるって知っとるはずやのに。
 そんな私の疑問には、角名先輩が答えてくれる。

「治がこれ、苗字ちゃんにあげたかったんだって」
「ヘ、私に?」
「ちゃう、たまたまこっちに用事があって来ただけや」
「なんか限定のパッケージらしくて、ほら……このキャラが苗字ちゃんに似てるよねって」
「……可愛いワンコですね?」
「おい角名!」
「ついてきてあげたんだからキレないでよ……」
「誰もついて来いとか言うてない!」
「『これ苗字ちゃんに似てない? 好きそうちゃう?』ってしつこかったじゃん」
「えっ」
「そんなん言うてへんわ!」

 私は手に持つそのいちごミルクと治先輩、それから角名先輩を見て……もう一度治先輩を見た。
 そんで、ボンッッッ! って。まるで爆発したみたいに顔が熱くなる。

 えぇ、だってこれ、……ええ? いちごミルクなんか可愛いもん、治先輩が買いはったん? 私のために? わざわざ教室まで持って来てくれて? しかもこれ私に似てるん!? 先輩って普段からそんな私のこと考えてくれてはるん!? なんそれめっちゃ嬉しい!! きゅんです治先輩!!! って脳内は大変やのに、出て来るんは「あ」とか「う」とか言葉にならない音ばかり。

 今までやったら言えたはずやのに、なんか知らんけどただいちごミルクをくれただけっていうのがめちゃくちゃ私のツボに入ったと言うかなんというか……

「あれ、あんま喜んでないじゃん」
「……これ嫌いやったん?」
「あ、いや、そうじゃないですけど……っう、嬉しいです! とっても! ありがとうございます!」
「……おん」
「だ、大事にします……家宝です……神棚に飾ります」
「……いやすぐ飲んだってや」

 って。もうなんかすっごい微妙な空気!
 そのまま自分の教室に戻ってく先輩方を見送ったあとさっちゃんに向き直すと、さっちゃんだけは多分私の気持ちを理解してくれてて「アホやなぁ」なんて頭を撫でてくれる。
 だって! だってだってだって! 違うんです、ほんまに嬉しかったんです!

 でもなんか嬉しくて、嬉しすぎて、ぐわーーーって胸ん中がいっぱいになってなんも言えんくて! いっつもみたいに全力で喜びを表現出来ひんくて!

「お、治先輩怒ってはった……?」
「怒ってない怒ってない、でも名前もうちょい喜ぶとは思いはったんちゃう」
「や、やっぱり……どおしよ、さっちゃーん!?」
「そんな気にすることでもないやろ〜」


* * *


 何度思い出しても溜め息。やから部活前に謝って、ほんで改めてお礼を!! って言おうと思っとったのに今日に限って治先輩は委員会で遅れて来はって話す時間もなくて。
 こういうんはちゃんと顔見て謝りたいし、また明日かぁってなってたのに。なのに!!!

「……」
「……」

 今の近すぎる治先輩に、私の心臓はバックンバックン気を抜けば外に飛び出してまう。
 やっぱり昼からなんかおかしい。治先輩と話せるのも、帰れるのも、こんなにくっつけるのも嬉しい以外にないのに。

 ていうか治先輩もなに!? デレ期ですか!? 先輩って付き合ったらこんな感じなんですか!? 私もう瀕死なんですけど! 死んじゃいますけどいいんですかーーーっ!?

「うるさい」
「いてっ」
「全部声出とんの、やばいで」
「えっうそ!?」
「ほんま」
「!」

 そんなこと言うてんのにちょっと笑ってる治先輩。また繋いだ手にぎゅっと力を込めて、……ううっ! やばい。なんか出る! そんなぎゅってされたらなんか出ます!!

「苗字ちゃん」
「は、はい……」
「なんでこっち見いひんの?」
「や、み、見てます……めっちゃ見てます……」
「嘘下手すぎひん?」
「ぎゃっ!」

 もう無理! って思ってんのに、追い打ちをかけるように治先輩が私を覗き込んで。急に視界に広がった治先輩のドアップに、は、って息が漏れた。

「おさ、む、せんぱ、……」

 どうしよう。どうしようどうしよう。私息止まっちゃったんかも。このまま死んでまうんかも。
 胸がぎゅうって締め付けられて痛いのに、苦しいのに、治先輩からは目を離せんくて。

 無言で私をジッと見つめる治先輩の長い睫毛がふるりと揺れた。

「……もう大丈夫なん?」
「え、……」
「……昨日なんかおかしかったやん」
「え、き、昨日? 今日じゃなくて?」
「今日? ……もまぁ、おかしかったけど」
「え、昨日……昨日……?」

 治先輩が言った意味が分からんくて首を傾げる。昨日って、そもそもあんまり治先輩と喋ってないし……
 すると治先輩はムッて眉を寄せて、それから「なんもないんならええわ」って。えぇ……? なんそれ、気になるんですけど……

「電話してきたやん」
「え?」

 電話は、した。さっちゃんと侑先輩と別れてから、すぐにスマホに求めたのは治先輩の声。
 あんときは二人がくっつくかもって思って、その嬉しさを誰かに共有したくて、あわよくばその相手は治先輩が良くて……せやけど実は電話したときすぐ近くにおった治先輩とその直後に偶然会ったから、結局なんも話さんまま治先輩は家まで送ってくれはった。

 でもおかしかったって……別に普通やったけど?
 でもでも治先輩が言うてるんはその時のことしか心当たりもあらへんくて。
 更によくわからんなって相変わらず疑問符を浮かべ続ける私に、治先輩は遂にフイッと顔を逸らしてしまう。

「……珍しく電話なんかしてくるからなんかあったんかと思うやん」
「えっ」
「……今までそんなんしてこおへんかったやん」
「そ、そりゃ……流石の私でも恥ずかしいです、し、いや先輩がしていいならしますけど! で、でもそんなん私冷静でおれるかな!?」
「いらん」
「えっ! そんなこと言わんでくださいかけます!!」
「いらんて」
「ひどい……!」

 結局よくわからんまま、治先輩もそれ以上なんも聞いて来やんまま。ただ繋がってる手はむっちゃ熱くて、それがなんか嬉しくて、ちょっと気まずかった空気もいつの間にかどっかに行ってしまったみたい。
 先輩と手を繋いで歩く道はキラキラしてる。あーほんまに私治先輩の彼女になったんやなぁーって、ちょっとくらい実感したりもする。

 ちょっと照れてはるみたいな声も、心なしか歩くスピードがゆっくりなんも、触れる温度が熱いのも、ほんま。
 もっともっと治先輩を好きになって困るなぁって幸せなため息が止まらないですよ!

「……いちごミルク、ありがとうございました!」
「今かい」
「ずっと言いたかったんです!」
「……ほんなら、ええけど」


きみの唯一の死因になる



22.03.31.

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